第7話 運良く屋上

「おーい亜黒君? もう授業終わったけど?」


 おぼろげながら聞こえる声。机に突っ伏した顔を上げて、欠伸をする。


 机を挟んで赤髪の少女が顔を覗いているのが分かった。


「なんだ赤上か……」


「すごい眠そうね。なんで? 新作のゲーム始めたとか、面白い漫画見つけちゃったとか、それとも理由なく夜の街を闊歩していたとか?」


「最初の二個はともかく、三つ目はないだろ。僕を誰だと思ってるんだ」


「心身共に不健康な人」


「よく分かってらっしゃる。んな洒落た趣味を持つような人間じゃないのさ」


「酒に落ちそうな駄目人間だものね」


 駄洒落かよ。


 彼女はクラス内屈指の人気者だから隅っこで寝ているような僕に話しかけることなど有り得ないのだが、体裁があるとこうして話しかけてくる。『遅刻寸前に教室へ入ってきて一限から四限までもれなく寝ていた問題児を気に掛けている』という体裁。


 その鮮やかな二面性には感服する。


「それで、本当は何があったの?」


「それはだな……」


 説明するのは少し気が引けた。『式彩三色が四人に分裂して、その中の一人から元に戻してほしいと言われている』と言われて信じるか? 否だ。


「別に言いたくないならそこまで詮索しないけど。あなたは一人なんだから、あんまり抱え込まないでよ」


「……本当だから反論は無いけどさ」


 言い方自体はかなり棘があるけれど、彼女なりに心配してくれているのだろう。

「じゃあそんな頼れる赤上鮮花さんに相談なんだけどさ」


「珍しっ、本当に調子悪いんだね。いいよ聞いたげる」


「悩みの種である相手に『悩みがあるなら相談に乗るよ』って言われて、どうしたら気まずくなく切り出せると思う?」


「…………」


 赤上は僕の発言にぽかんとしていた。


 そこまで難しい話でもなかったと思うけれど、まさかこれだけで僕の陥っている状況を察したのだろうか。


「亜黒君に友達がいるかのような口ぶりだね。ゲームの話で合ってる?」


「ちゃんと現実の話だよ」


 忌々しく睨むけれど赤上に効果は無く、自分の顎に手を添えるようにして考えている。


「色々シチュエーション考えてみたけど、誠実に一度会って言うのが丸い気がするかなあ」


 幸運で正義の味方を名乗るヒーロー志望。僕は彼女のことを何も知らない。どんなリアクションが返って来るのか分からないまま刺激するのは危険な気がする……。


「めんどくせー」


「面倒じゃない人間関係ってないし……方法はあるにはある」


「あんの!?」


 体を起こし、ぐいと赤上に顔を近づけると、その分距離を取るように赤上が引き下がる。


「まー王道っちゃ王道なんだけど。ラブコメ読んだことある? 『さも友人のことのように話してるけど、実は相手のことを話してる』ってやつ、よくあるじゃん。それすれば?」


「そういうベタなシーンに見覚えはあるけど……いやからかってるだろ」


「まあねー」


「真面目に聞かなきゃよかった……」


 くすくす笑う赤上に声が掛かる。彼女の友人だ。いつもの鮮やかな笑顔と愛嬌のある喋り方に戻り、一言二言話した後、立ち上がる。


 話の内容はご飯を一緒に食べないかというもの。


「なんだよー? 僕とは昼飯食べてくれないのかよー?」


「女子数名に囲まれて美味しいご飯が食べられるって言うんだったら、ついてきていいよ」


 両手を挙げる。降参の合図。


 満足気に鼻を鳴らすと、ひらひらと手を振って赤上は人混みへと消えていった。




 残された僕は今日も今日とてボッチ飯です。


 カバンから水筒を取り出し、口の中に小さくなった氷と麦茶を含む。購買で購入済みの総菜パンを出そうとして――不意に教室の入り口に目がいく。


 がやがやと耳が痛くなるような賑わいの中で。白い髪が、揺れたような気がした。


「え?」


 そこには知った人物がためらいがちに教室を覗いているのが見えた。


 式彩三色、無色の先輩。




 吹いた。それはもう盛大に。

 



 地味な生徒がいきなり麦茶の噴水を作り出すものだから視点は僕へと集まってしまう。


 賑わいは多少収まり、人混みに倣うようにして先輩の視線も僕へと移動する。


 不安そうな表情が一転、安堵するようなものに変わり、こちらへと駆けてくる。


「見つけました! 私よりも気配が消すのが上手いんですから、探すのに手間取りました」


「ちっ、ちょぉっと先輩? 場所が悪すぎるのでこっちに来てもらえますかぁ?」


 席を立ち、そのまま先輩の手を引く。


 僕が教室を出ようとすると、クラスの生徒たちは避けるようにして道を開いてくれる。


 いつもなら気が付きもしない癖に。




 教室を出てそのまま当てもなく歩く。


「ほかの人には見えないんですから気を付けてください」


「すみません。いつもの調子で話しかけちゃいました……えっと、」


 横に並んで歩く先輩はこちらを不思議そうに見た。


「なんで電源の付いてないスマホを耳に当ててるんですか?」


 僕と先輩は二人、教室から逃げるように走り、本館から西館へと移動していた。


 一年生教室があるのが本館、二年生教室があるのが西館。


 一年生と二年生ではネクタイの色が違うから多少注目されているような気がするけれど、それでも本館よりもよっぽどマシだ。


「僕は横にいる先輩と話しているつもりですけど、他の人から見ればその限りじゃないんですよ。でもこうやってスマホで電話しているフリをすればあまりおかしくはない」


「なるほどー、考えましたね。じゃあこれからも外で私とおしゃべりできるんですね」


「控えてもらえると嬉しいんですけどね。せめて一度連絡してもらうとか……携帯はお持ちですか?」


 四等分されてしまっているわけだけど、別に住居や所有物まで分裂しているわけではない。廃墟住まいやコンビニ食が良い例だ。存在感のない、誰にも気が付けるわけもない人なのに高価なデバイスを持っているだろうか。


「持ってますよ。ほら、これ。最新機種」


 有名ブランドのスマートフォンを先輩は取り出す。


「あーその顔。私が本当になにも出来なくなってると思ってますね。人には見えなくても機械から無視されるなんてことはないし、ネットショッピングで買って、置き配にしてもらえばいいだけです」


「なるほど、その手がありましたか」


「へへーん! そうだ、電話番号交換しておきましょうよ!」


 言われるがまま耳から携帯を離して先輩の番号を登録する。電話番号……SNSは何もやってないのだろうか。自慢げに胸を張り、嬉しそうに歩き出す――大声で不気味に笑い、ただし不自然ではない調子で話す正義の味方の姿がちらと見え、


 ドンッ。


 歩みの遅い先輩を押しのける形で緑色さんとぶつかってしまった。


「あいたっ」


「うへぇっ!?」


 なんでもなさそうに小さく呟き、強い体幹で立ったままなのが緑色さん。


 驚きを隠せず情けなく叫び、よろけて転んでしまうのが先輩。


「ちゃんと周りを見なくちゃだめじゃないですか」


 先輩に手を差し伸べると、ふにゃふにゃになった腕をどうにか持ち上げてきて、それを引っ張るように起こす。


 スカートの埃を払い、恥ずかしそうに笑う。怒らないんだな、この人は。


「ありゃ?私今誰かとぶつからなかった?」


 緑色さんは恐らく彼女の取り巻きであろう女子生徒に問いかけるが、みな首を振った。


 見えていないんだから分かるはずもない。仕方ないけれど、多少腹が立つものがある。


「僕とぶつかったんですよ。緑色さん」


 携帯をしまい、緑色さんの面前に立ちふさがった。彼女は視線を少し上げて、面白そうに眼を丸くした。


 先輩は口をパクパクと動かし、何か言いたいらしいが一つも言葉になっていない。

「おやまあ亜黒氏じゃないかっ! 今日はどうしてここに?」


「別に用があってここに来たわけじゃないですよ。というか、その前に言うことがあるんじゃないんですか」


 取り巻きは口々にこいつじゃないだの、ぶつかっていないだ陰口を叩く。


 緑色さんは取り巻きの呟きに聞こえないふりをして、


「んー……確かに! ぶつかってごめん。これからは前を見て歩くよ」


「分かればいいです。こちらも不注意でしたし」


「して、本当になにもないのかい? にしては荷物が多い気がするけど」


 勘が鋭い、というよりは運が良いのか。


「実は屋上で飯を食おうと思ってまして」


「そりゃいいね! 私もご相伴にあずかろうかな」


「遠慮しておきます」


 ケラケラと不気味に笑うと手を振って通り過ぎる。不服そうな取り巻きもそれに追従した。すれ違いざま「ごめんなさいってぶつかった相手に伝えておいてくれよ」僕にしか聞こえないような声で。


「運良く当てた……ってことにならないかな」


 気味が悪いくらいに緑色さんは僕の思惑を、状況をぴたりと当ててくる。


「あれを倒さなきゃいけないんだよなあ。骨が折れるよ」


 まだ震えている先輩の手を引き、屋上を目指す。




「ま、まさかもう『私』に接触していたとは……」


「接触したってのは違います。たまたま見つかって思いのほか絡まれてるだけです」


 上階に昇るにつれて人通りは少なくなり、屋上手前では無人と化していた。




「屋上でご飯食べるんですよね。私なんにも持ってきてないですよ?」


階段の終端、屋上を繋ぐ扉を開けばコンクリート床と緑色の柵、うだるような熱気を放つ青空が広がっている。誰もいない理由が分かった。めちゃくちゃ暑い。


「何個かパン買ってるので、それ一緒に食べましょう」


「いいんですか!?」


 熱を持った床に座り、総菜パンの一つを先輩に手渡す。


「いただきます!」


「……い、いただきます」


 ご飯を食べる前に挨拶をする彼女に倣う。昼飯を誰かと食べるのは久しぶりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る