第5話 緑色の式彩三色
「そろそろお暇します」
明日は平日だ。あんまり居座っていると遅刻が見えてくる。
礼を言ってそのまま廃墟から出ようとすると、先輩もほぼ同時に立ち上がった。
「送りますよ」
「いや、いいですよ」
「遠慮なさらず。私こう見えても武道の心得があるので」
「今も武道の心得はあるんですか?」
「ありません!」
「また明日―!!」
手を思い切り振り続ける先輩に一礼をして、道路に出る。
振り返るとまだ先輩は腕を振っている。流石に疲れたのだろう、最初程の勢いはない。
恥ずかしく思いながら腕を振り返すと、先輩は満足げに頷いた。
「なんで見えちゃったんだろうなあ……」
僕にこの特異な事態を収拾する特別な能力も自信もない。
脅迫が怖かったのと不憫だと思っただけで……気付いたら期待されてしまっていた。ごめんなさい、先輩が思うより僕はずっとできない奴です。
月明かりの中、相変わらず見慣れない景色に迷いながらも歩き進む。
頼りの綱はスマホのライトと地図アプリ。これがなければ家に帰れそうもな……、
「え」
暗闇の中膝から崩れ落ち、深く深く溜息をつく。
「終わった」
元気に足元を照らし家までの道順を示していたスマートフォンはただの黒い板に成り下がって――電池が切れた。
廃墟の方へと戻るにしても距離があるし、当然これから家に帰れるはずもない。
警察のお世話になるべきか。時間は深夜、いち高校生が交番に行けばそれは補導だろう。
そして友達一桁を誇る僕にはこんな緊急時、助けてもらえる頼りにできる人などいない。
「八方塞がりじゃないか……」
「お困りみたいだねぇ?」
聞き覚えるのある声に顔を上げると、にやにやと気味の悪い笑みを浮かべる式彩三色の姿があった。街灯が少なく、視界が悪いせいでその全貌は捉えられないけれど、声と体格は確かに彼女そのもの。
「なんですか先輩。結局ついてきてたんじゃないですか。道に迷った後輩をニヤニヤ笑うために後を付けてたんですか」
「うん?……なるほど。そうそう、どうせ君なら迷うだろうと思ってね。さしずめスマホの充電が切れてしまったんだろう」
なんだか口調も身振りもずいぶんと違うように見えるが、きっと気のせいだろう。
深夜テンションというやつかもしれない。お嬢様だし、夜更かしもしたこと無さそうだ。
「ところで先輩。僕の家の場所知ってたりしますか?」
「知ってるわけないだろう?」
「名前は把握してるのにですか」
「……今どき住所なんてトンデモ個人情報、学校が生徒に公開するわけないさ」
公開していたら覚えているのだろうかこの人は。
相変わらず超人じみた記憶能力だと若干引いてると、先輩は手を引いて歩き出した。
「ちょっ、どこに行くんですか?」
「どこって君の家だよ。それ以外目的地でも?」
先輩は振り返った。
一緒にコンビニ食をつついた先輩の面影はなく、不気味に不思議に微笑む。彼女は雲間から僅かに差し込む月明かりに照らされて、妖艶にすら見えた。まだ顔は良く見えない。
「僕は運がいいのさ」
式彩は手を差し伸べ、僕はそれに戸惑いながらも応える。
嬉しそうな笑みをたたえると、引きずられるようにして道を歩いた。
「なんで助けてくれたんですか?」
「正義の味方だから」
三叉路に立ち、式彩は迷う素振りなく右を選んだ。
「正義の味方?」
「弱きを助け、強きをくじく、そんな存在に憧れているのさ」
「そんな話さっきしましたっけ?」
信号を待っていると、待ち時間の長さに飽きたのか突然別方向へ進み出す。
「んあーしたした。君が聞き逃したんだよ多分」
「そうかな……では何故正義の味方に憧れてるんですか?」
「めちゃくちゃ格好良いから。できれば正義より弱者の味方でありたいけど、弱者だって間違うことはあるから正義の味方ってことで」
大通りを歩くのを止めたかと思えば、路地へと入った。
分厚い雲はどこかへ吹き飛んでおり、ただ満月の明かりが彼女を照らしていた。
緑髪の式彩三色を。
「先輩……いえ、式彩三色先輩はあの噂についてどう思ってるんですか」
僕の口ぶりににやりと不気味な笑みをたたえて、
「まーあの手の話は慣れてるし。ま、いいんじゃない? 迷惑を被ったのは僕一人、みんなは楽しめた。正義の味方的にはそれでハッピーなのだよ」
正義の味方を名乗る式彩三色は見覚えのない髪色を揺らしながら、愉快に気楽に去ってしまう。
「じゃあね。僕じゃない式彩三色によろしく伝えておいてくれたまえ」
僕の目の前からは彼女がいなくなり、代わりに映ったのはまごうことなき我が家だった。
「はあ……」
通学路で溜息を吐く。じりじりとアスファルトに照り付ける日の強さは歩みを鈍化させ、滴る汗は後悔を募らせた。
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