第3話 無色透明な三色先輩

 階段を降りて、廊下に出ると右に曲がる。そこから直進すると図書館への扉が見えてきた。


 扉にかかった掛看板をカタカタと揺らしながら、ノブを捻る。吹き込む冷気、そして埃と黴とインクの臭い。木製の本棚が等間隔に並び、手前にはカウンター、物が多いせいでどうも手狭に見える。自習スペースの一角に座った。


 今日は本を読みに来た。


 古本屋で見つけた、とある推理小説。題名も作者名も初めて聞く名前で、検索してみるとこの作者名義で出された小説はたったこれだけだった。


 これは僕の問題なのだが、名の知れた作品を読むとき、心を動かされその後の人生観を変えなければいけないようで――感動を強いられているような気になる。


 無名な作品はそれがない。


 カバンから古い一冊のペーパーバックを取り出し、大体の内容を思い出しながら読み進めていく――。




 ――面白いな。


傑作とは言い難いけれど、僕は好きだ。


「あの……」


 背後から声がして、聞き覚えの無いそれに素直に振り向いた。赤上にしてやったいたずらを知らない人にやる必要もない。




 声が出なかった。体に確かな悪寒がして、目を見開く。


 呆然とする僕にその女子生徒は怯えた様子で、自分の両手を握り込む。


「よかった……」


 安心するような溜息に思考が真っ白に、無色になる。疑問は積み重なっていくのに、口から出てきた言葉はただの固有名詞だった。雄才学園史上最強の名を。


「式彩三色……先輩」


 彼女は肩を震わせると、折り目正しく白髪を揺らしながら一礼をして、


「そうです。私は、式彩三色と申します。あの、折り入って頼みがあるのですが」


 先輩は僕の手を両手で包み、消え入りそうな声で懇願する。


「私を探してくれませんか?」


 順序を無視した意味不明な頼みに瞬きをして、ひとまずの疑問を呈す。


「えっと……なんで先輩は、そうなったんですか?」


 僕の知る彼女は堂々としていて敬語を使わず、髪だって真っ黒だったはず。


 ただ、今の彼女は『無色』。透明で、不思議と綺麗な――。


「理由は分かりません。気が付いたからこうなってて、でも解決の方法は分かっています」


「それが先輩を探すってことですか? ちょっと話が見えてこないっていうか……」


「そ、そうですよね。ちゃんと順を追わないと分からないですよね。えっと……別にあなたを疑っているとかではないのですが、またあんな噂が立つととても困ります。これから話すことを少しでも聞いてくださるのなら、契約を結んでほしいのです」


「契約?」


 式彩先輩は首肯する。


「『私を探す』契約です。これが完遂されない限り、私はあなたを許しません」


「なんで!?」


 思わず声を荒げて、勉強中だった数人が睨んでくる。


 顔がじわじわと熱くなっていくのを感じながら、今度は式彩先輩にしか聞こえない声で。


「先輩に恨まれるようなことはした覚えないんですけど」


「契約をしたらの話ですよ。契約しないのであればそこそこ恨むだけで済ませます」


 勘弁してくれ。完全無欠に恨まれるほどの人間でもなければ、耐えられる精神も持ち合わせていない。彼女のファンを敵に回すなんて絶対に御免だ。


「契約しますか?」


 結ばなければ目を付けられてことで僕の学園生活は幕を閉じ、仮に結んでも完遂しなければ僕の学園生活は見るも無残なことになる、と。


「……猶予を下さい。覚悟を決めるだけの猶予を三日ほど」


 式彩はいぶかしげな視線をこちらに向けるけれど、無茶を言っている自覚があるのかすんなり受け入れた。


「時間は九時半、集合場所は学校近くの廃ビル。そこで答えを聞きます」


「分かりました……けどなんで廃ビル?」


「私そこに住んでるんです」


「は!?」


 咄嗟に口に手を当てて声の勢いを殺す。


 式彩家は超がつく金持ちだったはず、なんでその娘が廃墟住まいになるのか。



 

「じゃあ私はこれで」


「最後に一つ、いいですか」


 彼女は廊下へ向いていた足を翻し、こちらを見据える。


「どうして僕だったんですか?」


「そんなこと。私、透明人間になっちゃったみたいなんですよね」


 片手をひらひらと振り、ピースを作る。


 先輩はあっという間に図書館から姿を消した。

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