第2話 ブラッドローズとかいう二つ名

「もうみんなやめちゃったね」


 夕暮れをただ眺めていた僕に一人の女子生徒が声をかけた。


反応することで僕が不利益を被ることは無かったけれど、ただなんとなく無視してみた。というかその声が僕にかけられたものだとどうして断定できよう。 


「あいたたたたた」


 頬をぐいと引っ張られ、そのまま首を回され、その女子生徒と目が合う。


「なんで無視するの」


「僕に話しかけていたのか? てっきり別人にかと」


「あなたと私しかいない教室で、どうして私は虚空に話しかけないといけないわけ?」


「マジナリーなフレンズがいる可能性に配慮してだいたたたとれちゃうほっぺたとれる」


 降参の意思表示として両手を挙げると、女子生徒は手を放し、不満げに鼻を鳴らした。




 赤上 鮮花あかがみ あざやか


 このクラスの学級委員長でスポーツ万能の成績優秀者。かつ、いいとこの御令嬢の癖に変にお高く留まっておらず接しやすい存在だ。クラスのみんなから愛される――色鮮やかな日々を送る少女。その経歴をありありと伝えられた時思わず感嘆した。


 アニメのキャラかよ、と。




 赤髪の長髪、赤いつり目、制服に改造の痕跡はあれど、今は校則遵守の規範然とした格好。まじまじと舐め回すような視線に気が付いたのかギロリと僕を睨みつけ、僕は再度両手を挙げた。


学校が学校なら赤上はクラスどころか学級、学校全体を巻き込むような存在感ある女子生徒だったに違いない。




 文脈通り、この高校ではその限りではない。


 いるのだ、傑物が。




 何人も寄せ付けない完全性、決定的な天才性を下地にして、圧倒的な人気を誇る一人の生徒が。赤上には敵わない――ちょうど赤上クラスが三人そろえば均衡を保てるような傑物がこの学校の長だった。


「……みんなやめたっていうとアレか? 七不思議の、」


「そ。雄才学園(ゆうさいがくえん)七不思議の一つ。『生徒会長、式彩三色しきさい みいろは三人いる』って噂」


「生徒会長ね……それだけの肩書じゃ足りないだろ、あの人は」


「あれぇ? 亜黒君は会長のファンクラブ会員だっけ。じゃあ通例通り『完全無欠フルカラー』の二つ名に言い直そうか?」


 赤上はからかうような笑みを浮かべる。


「白黒にあの人のファンは荷が重いよ」


 僕の発言を言い訳と捉え、なお赤上は僕に冗談が言いたくてうずうずしている。


 式彩三色は三人いる。


 この噂はなにも最近突如として出現した訳ではない――時を遡れば一年前、今は二年生の式彩先輩がまだ入学したての頃から流れていた噂である。




 同じ中学校を卒業した奴曰く、この手の噂話は中学校でも流れていたのだとか。


 同じ小学校を卒業した奴曰く、この手の噂話は小学校でも流れていたのだとか。


 同じ幼稚園を卒業した奴曰く、この手の噂話は幼稚園でも流れていたのだとか。




 度を過ぎた彼らの証言に僕は半信半疑だった。


 物心がつく以前から認められる天才性を持つことなどあるわけがない。あったとしても「その年齢にしては頑張ってるよね」というやつだと高を括っていた。


けれど彼女の活躍ぶりを見て驚嘆した。


 アニメのラスボスかよ、と。



 

 あらゆる競争にて優秀な成績を残す熱血。


 他の追随を許さない幸運を身に宿す気楽。


 事件事故を人情なく解決してしまう冷淡。




 まさしく、三原色。


 初めて目の当たりにした本物の天才に、ただ己を恨むことしかできなかった。


 どうして僕はこうなれなかったのか。どうして彼女はこうなれたのか。


 式彩三色に抱いた感情は憧憬でもなく恋心でもなく、劣等感だった。


彼女の毒牙にかかってしまった生徒たちは今後一切、式彩のことを思い出し、自分と比べて溜息をつくことになる。本物の才能にあてられた天才たちはことごとく潰れてきた。


 噂は自衛でもある。


 『もし彼女が三人いれば、順当に一色だけを持つ少女であればなんら気負う必要もない』ということ。

 



「噂の尻尾を掴むことはとうとうできなかったのか」


「ブームみたいなものだし、本気にしてたのはごく一部よ。私みたいなね」


 自嘲気味に言葉を終わらせると、自分の通学カバンから箱のチョコ菓子を取り出し、ぱくつき始めた。


「ん」


 ぶっきらぼうに差し出された箱の中から一つだけつまみ出して、口に放り込む。


「ありがと」


 赤上は手を振って応えた。




 彼女も式彩三色の才能にあてられた一人である。


 元剣道部員。中学時代の異名は『鮮血の太刀筋ブラッドローズ』。


 式彩三色という天才が自分よりも優れているのかを確かめるためにわざわざ県外からこの高校に入学してきたらしい。


 今は七月。式彩が彼女の心を折るにかかった時間は二カ月足らずだった。


 二か月かけて一本も取れなかった。生徒会や他の部活との兼ね合いがあっての激務の中、片手間に倒され続けた。以来、剣道部には顔を出していないと聞く。


 この学園ではよくあることだ。




 夕空が教室に溶け込み、カーテンを揺らす。蝉の音と運動部の威勢の良い声が耳に入っては抜けていく。教室の壁掛け時計が指し示すのは五時頃だった。


「じゃ、私は帰るから」


 椅子をリノリウムの床に擦りながら、カバンを片手に持つ。


「……そろそろ行くか」


「なになに、私と帰りたいわけ?」


 カバンを背負って一歩赤上の先を行く。


「暇潰しに図書館に行くんだよ」


「なあんだつまんないの」


 赤上は少し残念そうに笑って「戸締りは私がするから」とだけ。僕を追い出してしまう。

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