第2話 壁を這いずる天使

 朝、目を覚まし視線を何気なく上に向けると、寝室の天井に我が天使、いっちゃんこと一花ちゃんが張り付いているのが見える。


「………は?」


 まるで手足に吸盤でもあるかの様に天井や壁に張り付き、重力なんて何のその、楽しそうな顔をフリフリしながら縦横無尽にハイハイをしている。

 あ、こっち向いた。かわいい。好き。


「………赤ちゃんて8ヶ月を過ぎると天井や壁をハイハイできるんだなぁ」


 危険もなさそうだしそういうもんかと、寝転びながら天使の戯れを眺めつつ、引っ越しの疲れがまだ残る身体をのびーっと伸ばす。


 四方八方から撒き散らされる聖水を顔に浴びながら、そういえば参考にしてる育児書にはそんな事書いてなかったなと独りごちる。


「いや、そんなわけないでしょ。ふわぁぁ……おはよう、はじめちゃん」


 はじめちゃんと俺を呼ぶのはマイスイート女神。

 女神も起きていたようで、眠そうな目を擦りながら大きなあくびをしている。今日も目細いかわいい。好き。


「おはよう花ちゃん。……そんなわけないという事は家の子はつまり……天才……ということでよろしいか?」


「そうね……いっちゃんが天才であり世界一かわいいというのは、もう隠しようがない事実よ」


「だぁーうぁー」


 うむ、つまりいっちゃんは天使、ということだな。

 うんうん、と娘の成長を喜ぶ。


 しかし、いい加減止めないと部屋中聖水塗れになってしまうので、お腹の上を通過した時に捕獲する。


 身体を起こしいっちゃんの身体を確認するが、どこにも異常はない。

 いくらいっちゃんが天才な天使といえど、こんな成長の仕方はちょっと予想の斜め上過ぎる。


「まさかの超能力系赤ちゃん爆誕? まじでなんだこれ?」


「よく分からないけど、いっちゃんが楽しそうだからもういいかなって」


 聞けば、先程ぱっと目を覚ましたいっちゃんは、いつもの如く寝室を興味津々に徘徊し始めた。

 タタタっと壁際に行き壁をバンバン叩いていたと思ったら、そのまま壁を登り始めついには天井まで到達し、あとは俺も知っている通り寝室を上も下も横も関係なく這いずり廻っていた、と。


「だぅー?」


 手をバタバタさせながら首をかしげるいっちゃん。

 うん、かわいい。


「まぁ本人に危険がないなら別にいい……のかな?」


「うん。考えたって分からないし、私はもうそういうもんだと受け入れることにしたわ」


 何も問題ないなら週末に一応病院とか専門家に見てもらおう、という事で二人で問題を先送りにする。

 壁を這いずる専門家ってなんだろう……。


 しかし、なんで急にこんな超能力が発現したのだろうか。

 一般的な赤ちゃんならハイハイの後は掴まり立ちとかだと思うが壁登りて……天井這うて……。


 昨日まではこんな事出来なかったはずで、夜寝ている内に何かあった?

 そういえば昨日の夜寝ている時になんか外がめっちゃ光ったような……。


「花ちゃん、昨日の夜寝ている時になんかあった?」


「なんかって? いっちゃんも昨日は夜泣きもせずに寝てくれたし私も朝までぐっすりだったよ」


「そっか……。いやね、夜寝ている時に外が光った気がしてさ。いっちゃんの超能力、外が光った、これから推理されるのは――」


「――っ!? まさか……!」


 ふっ、なろう系小説を愛する花ちゃんなら理解るか。さすがだ。

 突然の光、そして普通なら有り得ない超能力、つまりスキルに目覚める。と来れば――。


「そう、異世界転移。」


 異世界転移ならば!やることは一つ!


「―――――ス、ステータス」


 呟けば――、


 俺の眼前に半透明なパネルのようなものが――、


 展開されるはずもなく。


 ――ぶふぅっ!


 プルプルと震えながら笑いを堪えている花ちゃんと眼が合う。

 …恥ずい。


「――す、すてえたす!(キリッ」ぶふぅっ!

「も、もうすぐ40のおっさんが、ちょっといい声で、す、すていたす(キリッ)、噛んでるし、う、ウケるんですけど」


 ぶふぅーと吹き出して笑う花ちゃんを尻目に、恥ずかしさを誤魔化すように寝室の窓を開け俯きながらベランダに出る。


 この状況ならワンチャンいけると思ったんだけどなぁ…。ラノベ的展開を少し期待してしまった。

 ステータスが無いパターンのやつか?


 ベランダの手すりに頭を預け項垂れる。


 異世界転移じゃないとしたらいっちゃんの超能力は何なのだろうか。


 恥ずかしさで暑くなった身体を潮風が優しく包んで冷ましてくれる。

 潮の香りと波の音が、心地よい。


 さて、今日も仕事だ頑張るぞいと頭を上げ――っ?!


 ちょっと待て、潮の香り?波の音?

 確か新居の周りは田んぼだったはずだぞっ?!


 ばっと頭を上げ家の周りを見ると――、


 青い空、白い雲、どこまでも続く海がそこにあった。


「ラノベ的展開来たーーー!」


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