第三十二話 念結び③

 心之介はおみつの長屋へ急いだ。


 二つのルールがあったからだ。


 誰にも見られてはならないことと、夜が明ける前に終わらせること。


 もし、そのどちらかが起きたときは、心之介自身は二度とこの世に戻れず、一緒にいた故人も永遠にさまよう霊となってしまうのだった。


 生きている人間と故人の想いを結んで昇華させる。


 それは、葉宮家にひそかに伝えられてきた秘事の一つ「念結ねんむすび」だった。


 ただ、心之介としても、命を危険にさらすこの秘事をするべきかどうか迷った。


 今、それ以上の大きな仕事を抱えている身だからだ。


 だが、どうしても放っておけなかった。


 それが心之介の心情だった。


 まだ空に朝の気配はやって来ていなかったので通りは薄暗かったが、夜道を行くのは慣れていた。


 だから、とにかく走った。


 ◇ ◇ ◇


 長屋に戻ってきた心之介は、すぐにおみつの元へ行った。


 おみつはまだ眠っていた。


 泣いたまま寝てしまったのか、頬に涙の跡が残っていた。


 おはつはおみつをじっと見た。


「おみつ………」


 おはつはおみつの頬に手を伸ばしたが、自身の体が透けているために触れられなかった。


 心之介は右手にかんざしを乗せ、左の手のひらを開いた。


 おはつはそこに持っていた着物を乗せた。


 そして、心之介は小声で呟いた。


ゆわい………」


 すると、着物は心之介の手のひらの上で実体化した。


 心之介はかんざしをおみつの髪にそっと差し戻し、着物を枕元に置いた。


 と、徐々におはつの体がますます透けていった。


 じっと名残惜しそうにおみつを見ていたおはつだったが、次第に穏やかで安らかな顔になっていった。


 やがて、その姿が消え去る時、おはつは恍惚とした表情になっていた。


 無事に念結びを終えた心之介は、また一つ深呼吸をした。

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