第十二話 仏さま⑤
高盛はすれ違いざまに心之介に嫌な目を向けたが、待ち合い室の人たちには朗らかな微笑みを見せた。
「ここに来れば、誰でも元気になれる。しかも無料で。この診療所があって、みなさんは幸せ者ですね」
嫌味にも聞こえるその言葉に、待ち合い室の数人が応じた。
「言われなくても分かっているさ。どうせワシらは金にならない厄介な客だよ」
「そういうあんたも毎日のように来ているじゃないかい? 私たちと似たようなものだね」
「私は仕事で来ているのです」
「その割には、着物の一つも持ってきたところを見たことがないがね」
「仕事にもいろいろあるのです、みなさんには分からないでしょうが。そうですよね、さくらさん?」
「ええ、高盛さんはとってもお忙しい方なんです」
高盛と常連客のやり取りを聞いていたさくらは、そう答えて助け船を出した。
「そういうことなので、私は忙しいのです」
高盛はそう言って、常連客から逃げるように奥へと続く通路の向こうに消えた。
それを見ていた何人かがまた言った。
「しかし、分かりやすい人だね、さくらさんに会いに来ているってことぐらいみんな知っているのに。昼間から仕事もしないで毎日のようにここに足を運んでいるんだから、熱心なものだね」
「呉服屋の跡目はあの人のお兄さんが継ぐらしいから、気楽な次男坊はいいわね。でも、案外、さくらさんにはお似合いかも。橋場屋ならお金もあるだろうし」
「高盛さんにはいろいろと相談に乗ってもらってるだけですよ」
さくらは、話が一人歩きしてしまう前にそう言った。
「そんなことを言っておきながら、その気がないわけじゃないんだろ? 先生もいい歳なんだから」
「そういうことはまったく考えていません。この診療所が今の私の全てです」
「そこら辺の話になると、どうも頑なになるね。でも、そういう人ほど、急に心変わりするものだし」
「まあ、二人の恋路を見守るとするかね。私らにはそのくらいしか楽しみがなくてね」
「だから、違いますって」
あれやこれやと詮索する常連客に対して、さくらは少し照れたように答えていた。
「………」
心之介はそんなさくらを見ながら、揺れ動こうとしている気持ちに蓋をした。
「またやかましいのが来たね、さあ行こうかね」
「はい」
そしてお加代に促されて診療所を出た。
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