第3話 生姜焼きにはマヨネーズ
「ごめんなさいね。驚かせてしまって」
俺たちの前に現れた、暗めな印象を受ける生徒。浜松胡町さんは俺たちに丁寧に頭を下げた。
「あ、いや。こっちこそごめん」
「浜松さん、珍しいね。声をかけてくれるなんて」
浜松さんが誰かに話しかけていることは見たことがない。委員会や日直などで話しかけることはあってもそれ以外で話しかけている所はみんな見たことがないんじゃないだろうか。
初めて間近で聞く、彼女の声は澄んでいて、優しげだった。
「偶々すごい場面を見ちゃったからね」
「もしかして、聞こえてた?」
「うん。全部ね」
まじかよ…。だとしたら俺達が震えてたのも見られてたってことだよな?
はっず…。
「だから少し心配になってね。大丈夫? 小野寺君」
「あ、う、うん。大丈夫大丈夫。前にも似たようなことあったから」
「そうなの。でもそれは傷つかないことにはならないわ。もし、何か出来ることがあったら言ってね」
彼女は力強い言葉で俺にそんなことを言う。髪でほとんど隠れて見えないが、その目には何かが宿っているように見えた。
なんでこの人はこんな言葉をかけてくれるのだろう。きっと、根が優しいのだろう。
「うん、ありがとう」
「じゃ、私は行くわね。邪魔して悪かったわ」
「うん、また教室で」
「じゃあな、また後で~」
「あ、一ノ瀬君。数学の課題、出してね」
「あ、はい」
「じゃ」
本当に偶々見つけたから声をかけたのだろう。
彼女は遼太郎に釘を刺した後、てくてくと校舎へと戻って行った。
それにしても、初めて彼女と話したかも知れない。今までは、顔も大半が隠れていて暗い感じの印象だった。てっきり人見知りで大人しい人だと思っていた。でもさっきの様子を見るにそんなことはないのだろう。
「俺たちも戻るか。昼休み終わっちゃうし」
「…だな。戻るか」
少しだけ、浜松さんに興味を持ちながら俺たちは教室へと向かった。
***
「しゅん~、ご飯出来たよ~」
家に帰り、今日言われたことや、ちひろのことを思い出しそうになったので気を紛らわすために勉強をしていると、1階から俺を呼ぶ声がした。
「は~い」
1階に降りてリビングに入ると、丁度姉がご飯を机に並べている最中だった。
リビングには姉以外居ない。母は仕事が忙しく夜も帰って来るのは遅い。父は北海道に単身赴任中だ。
だから、俺は比較的姉と二人でいる機会が多い。姉は今年で大学生になり、家から近い大学に通っている。基本的に料理は姉がやってくれており、洗濯と掃除は俺の役目だ。
「姉さん、今日もありがと」
「いいのいいの。家事分担でしょ? ママもパパも居ないからね」
「うん、でも料理って大変だろ?」
「慣れたら二人分くらいちょちょいよ!」
エプロン姿で食卓の準備をする姉は、サムズアップをしながらどや顔をしている。
我が姉ながら有能である。
「さ、しゅんもお箸とコップ出して。早く食べましょ!」
「うん、食べようか」
いつもの様にコップに麦茶を注ぎ、箸置きと箸を食卓に並べる。その頃には姉が食事を並べており、我が家の食卓は完成した。
ふむ。今日は生姜焼きのようだ。レタスの上にタレがたっぷりかかった生姜焼きが乗っている。サラダは今日はなしで、蒸し鶏とキュウリの和え物が置かれている。おいしそう。
「じゃ、いただきます!」
「いただきます」
俺達は手を合わせて、思い思いに食事を始めた。
カチャカチャと音を立てながら生姜焼きを楽しむ。ほかほかのご飯と、柔らかく、タレの絡んだ生姜焼き。そしてレタスと一緒に食べるとみずみずしいシャキシャキ感が加わる。
ここで一アレンジ。マヨネーズだ。
俺は食卓に予め用意していたマヨネーズを生姜焼きにかける。そしてそれをレタスと一緒に口に放り込んだ。
美味い!! マヨネーズがタレと合わさりハーモニーを奏でている! 完璧だ!
やはりマヨネーズ。マヨネーズがあれば全てが美味しくなる! 唐揚げだけじゃない、チキンカツにはマヨネーズとソース、照り焼きにもマヨネーズ。マヨネーズをかけると大抵の食事はおいしさが増す!
「そう言えばさ、しゅん」
俺がマヨネーズを、間違えた。生姜焼きを楽しんでいると姉さんが口を開いた。
テレビを見ながら、何気ない様子で俺に話しかけてきた。
「ちーちゃんと別れたの?」
やっぱりその話題か。まあ、よく家に来てたもんなあ。あ、やばい泣きそう。
「…うん」
「そっか」
姉さんは何も言わない。ただ事実の確認をして、またテレビを見ながら食事を再開している。何も言わないけど、何を考えているかくらいは分かる。なんたって姉弟だ。小さい頃から一緒に居たのだからそれくらい分かる。
「うん、やっぱり私の生姜焼きは世界一ね」
いや嘘。やっぱりわかんない。
急に何を言い出すんだこの人は。そんなこと、分かりきっているだろうに。まったく。
「で、なんで別れたの?」
話題の転換が激しすぎるぜ、姉御…。
なんで別れたのかか。なんでか。
「…直接理由は聞けてないよ」
「ふうん。でもその言い方だと何でかは知ってるんでしょ?」
「うん、偶々廊下で聞いちゃったよ」
「それは災難だったね~。それで?」
「その時言ってたのはね、”私と春成じゃ棲む世界が違う。私とあいつは釣り合わない”だったっけな」
改めて口にしてみると、やっぱり胸に来るものがある。
中学校まではちひろはこんなことを言う人じゃなかった。でも、高校に入って、いわゆる陽キャと呼ばれる様な人達と関わるようになってから変わってしまった。
「どの口が言ってんのかね」
姉さんは特に気にしていない様子で生姜焼きを食べながらそう言った。
「でも実際に、ちひろは可愛くなったし明るくなったよ」
そう。彼女は変わった。
人気者になったのだ。だから、釣り合わないと振られても仕方がない。それに釣り合わないという言葉は他の人にも言われているっぽかった。外から見てそうならば、そうなのだろう。客観的事実に基づいた判断だ。だから仕方ない。そう思わないと壊れてしまいそうだ。
「だから、釣り合わないってのもあながち間違いじゃなんだよ」
自嘲気味に俺はそう言った。
姉さんはそんな俺の言葉を聞いて、顔をテレビから俺に向けた。
カチャンと箸を置く。
「しゅん。それは違うよ。あの子は今、勘違いをしてるんだよ」
「勘違い?」
「うん。あの子は高校に入って確かに可愛くなったね。そしてちやほやされた。すると自分がすごく上の立場の人間に見えてしまったんだ」
「……実際にそうだよ」
「違うよ。そんなことで人を判断するようになっちゃいけない。そして例え人より上だと思ってはいても、それを理由に関係を切るような人になってはいけない」
「……」
「だからね、しゅん。あんたはあの子より下なんかじゃないよ。今回、あの子がそう言って別れたのは確かに悲しかっただろうね。でもそれで自分を下だなんて思わないでいい。私はそんなことを言ってくる奴らや、あの子なんかより、あんたのことが好きだよ」
ああ、やっぱりこの人は姉なんだ。
少し視界がぼやける。
ここ最近、自分の情けない部分や小さい部分に直面し、自分はちひろやあいつらよりも下なんだと思っていた。そしてそれと同時に自分に自信がなくなっていくのを感じていた。自分はこれからも隅っこで、上の人達に怯えながら、下の者をとして生きていくのだと。漠然とそう思っていた。
「うん、ありがとう姉さん」
でも、姉さんや遼太郎は好きだと言ってくれた。そんな俺の事を好きだと。
今は、ただそれだけでいい。それだけで満足だ。
「さ、食べちゃいな。とにかく、気持ちが落ち込んでる時はたくさん食って、たくさん寝る! これに限るよ」
「…うんっ」
俺は箸をとり、生姜焼きをと米を口いっぱいに放り込み、世界一のうまさに舌鼓をうった。
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