第2話 小鳥遊部長

というのはみるくみくだけの話で、みるくみくの中の人、御厨音羽としてはそれほど順風満帆でもない。



「えーと、では今日は小鳥遊部長が午前中にクライアントとミーティング、午後から会長と会議です。御厨はクライアントミーティングのほうの会議室のセッティングと資料の印刷をお願い。それから部長から資料の訂正きてるから新谷くんから資料もらって訂正してね。それでー……」



先輩社員、中原はテキパキと支持を出しながら業務の確認を進めた。一通り終えるとパタンと手帳を閉じげんなりとため息をついた。



「はぁ、なんで私が朝礼してんのよ……」

「中原さんって今日は朝礼当番でしたっけ」

「まさか。出勤前に小鳥遊部長から連絡がきたの。今日は朝からクライアントとミーティングになったからメール見ておいてって。……業務時間外なんですけど!?!?」

「あー、それはおつかれさまです」

「全く……これだからエリートってキライ!」



中原は切り揃えられたショートカットの髪をゆらした。明るい茶色の髪に強気な化粧、長身のスラリとしたパンツスタイルはいかにもデキルOLそのもので、御厨を始めとする社内の女性社員の憧れだった。


面倒見がよく配属されてから何度も助けてくれた先輩でチームがここまで持っているのは中原の尽力だと思っている。



「部長が代わってからこういうこと増えましたよね、昨日も夜に急に部長から電話あってプレゼンするときの数値増やしてくれって……」



おずおずと遠慮がちに声を上げながらもっさりとした男性が手を上げた。


会社員に似つかわしくない寝癖の残る黒髪に野暮ったい眼鏡と皺だらけのヨレたシャツにうつ向いて猫背になった背中は彼の気弱な部分を大いに主張していた。


他の部署であれば眉をひそめるだろうが、このチームでは見慣れたもので中原も御厨も気にしていない。


「ちょっとそれ完全にコンプラ違反じゃない、上に訴える?知り合いいるでしょ、新谷くんなら」

「どうせそのときまだ会社に残っていましたし大した修正じゃなかったからすぐ終わりましたよ」

「そういう問題じゃないわよ」

「デキル人はそういう感覚がなくなりがちなんでしょうね……」



新谷から資料のデータ格納場所を教えてもらい御厨は主不在のデスクを眺めた。御厨たちよりもふたまわりほど大きいデスクはスッキリとまとめられ書類やファイルもなく、ペンの一本に至るまで向きを揃えたうえでペン立てに並んでいる。部長は意外にも自分の雑事を部下にやらせないタイプなのでデスクの整理は自分でしているはずだ。



親会社の創業者一族出身と聞いているが、おぼっちゃまにしては意外な気もした。



「小鳥遊部長ねぇ」



入社依頼、社内の女性社員どころか取引先に至るまで魅了し尽くした生きた伝説である。


母方にデンマーク人の祖父をもち涼しげな目元と形のよい顔のパーツ、スラリとした十頭身ほどありそうな体型はフルオーダーのスーツをビシッと決めている。そのうえ日本語、英語、中国語、ロシア語にフランス語……少々喋れる程度の言語を合わせたら世界中どこでも渡り歩けると言われる言語能力と国内最高学府を卒業したという優秀な頭脳をあわせもつまさにスーパーエリートというやつだった。



ここまでくるともはや漫画から出てきたキャラクターのような気がしてくるが、現実世界に席を置く立派な御厨たちの上司だった。



「なんでうちみたいな中小企業にいるんですか?小鳥遊さんって」

「そりゃアレよ、うちの親会社やの経営者一族なのよ」

「若いうちに経験させとけってやつですか」

「それそれ」

「クォーターでイケメンで頭脳明晰で10頭身でセレブって……これだけぶっ飛んでると逆に清々しいでね」

「まぁね……あとパワハラさえなかったらねぇ……」

「あー……」



小鳥遊は自分の能力が高い自覚がないのか周囲にも同等の能力を求めるタイプだった。

おかげで小鳥遊の着任前まで十数名いたチームのメンバーは日に日に減り、今では全ての業務を三人で回す始末。

もちろん半分以下の人員で回せる業務量ではなく早い段階で補充を依頼したのに小鳥遊は「使えない人間はいらん」と一蹴した。

三人でも業務が回ってしまったのが良くなかったのだろう、上も補充どころか応援すら回してくれなくなった。


「新谷さん、最近は小鳥遊さんからいじめられてませんか?」

「いじめって……子どもじゃないんですから……」



新谷は苦笑したが、御厨にとっては笑い事ではない。


最も小鳥遊のパワハラ被害を受けているのは新谷なのだ。本人の気弱な性格が災いして小鳥遊は新谷に暴言とも言える言動を繰り返した。サボっていただろ、おまえはこの程度の計算もまともにできないのか、本当に大卒か?などなど……このコンプライアンスに厳しい時代に正気を疑うほどで、あまり荒事を好まない御厨も思うところがあって珍しく小鳥遊に意見したのだ。




それからというもの、小鳥遊は御厨を邪険にしているようで御厨の業務量は同年代の社員たちより多く、まためんどうくさい。


「うわ、会議室って直前まで部長使ってるじゃん!そのままセッティングしてくれたらいいのにー」

「まーたいつもの嫌がらせでしょ、小鳥遊さんも飽きないわね」


「訂正資料、データの差し替え箇所が多いので早めに取りかかったほうがいいですよ。会議って11時からですよね?」


「えっ!新谷さんありがとう!……うっそ!これ全部差し替えじゃん!」


「聞いたんですけど、データ作った稲尾班が間違えてたそうです。僕のほうで資料に使える形にしておいたので差し替えそのものは簡単なはずです」


「神様仏様新谷さま……」


「稲尾班か……小さい連中ね」


「すみません、たぶん私のせいですね」


「御厨は悪くないわ。もともと仕事できない連中なんだから」


「ありがとうございます」



稲尾は御厨の元婚約者だった。部下に入社前からインフルエンサーとして知名度のあった佐野が入ってから二人の関係は変わってしまった。


可愛らしく気立てもよく華やかな佐野に稲尾は鞍替えしたのだ。


それからこういう小さな嫌がらせは続いている。


幸い、それほど関わりがないので御厨は気にしていないが稲尾との関係を知る社員たちからは今でも嘲笑の的だった。



「じゃあ会議室の準備してきますね」

「うん、いってらっしゃい」

「御厨さん、小鳥遊さんだけじゃなくて稲尾班も一緒なのでお気をつけて」



会議室の使用者一覧には小鳥遊の名前とともに稲尾と佐野の名前が並んでいた。小さなトゲが喉奥にひっかかったような痛みがする。

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