第3話 前の彼氏とその彼女


会議室から人が出てくる波に逆らって十人程度が座れる個室に体を滑り込ませた。ノートパソコンと資料を抱えているとすれ違う人からイヤな顔をされるのも珍しくない。

十人程度が入れる小規模な会議室では人が動くとそれだけで混雑する。四角く配意された長机の端にノートパソコンを置いておく。


なるべく目立たないようにまずは部屋の掃除から始めた。開始時間までそれほど時間はないからテーブルを拭いて床を掃く程度しかできないが。


「あっれぇ~?御厨さんじゃないですかぁ、次にここ使うんですかぁ?」


鼻につく甘えたような声。女らしさを全面に押し出した声音は御厨の好みではなかった。不愉快な気分を隠してゆっくりと振り返る。


(あぁ、やっぱり……。)


明るい茶色の髪は鎖骨の位置でくるりと巻いている。前髪は幼い顔立ちが強調される眉のラインで切り揃えられ、柔らかい曲線を描いている。今にも羽ばたきそうなマツゲは人工的に長さを足されていた。


小柄な体型ではあるがインフルエンサーをしているだけあるのだろう、フェミニンな甘さを全面に押し出したブランドの服で全身をまとめている。


「佐野さん、すみませんが次は小鳥遊部長が会議室を使いますので……」


めんどうくさい。それにつきる。

佐野はことあるごとに御厨に嫌がらせじみたことをしてくる。資料の件にしてもそうだが、いい歳して恥ずかしくないのだろうかと疑問にさえ思っていた。


「え!小鳥遊さんここ使うの?稲尾くん、私たちも同席できないかなぁ?」


「俺たちも?えぇー……小鳥遊さんに聞いてみないと」


わざとらしい猫なで声に鼻の下を伸ばしているのは情けない話だが、かつて御厨が交際していた男だ。


営業部の若手のエースと名高い稲尾はフットボールを趣味としているだけあって爽やかな印象を与える好青年だった。スーツの上からでもわかる筋肉に熱っぽい視線を向ける女性も多く、交際していたときは心ときめかせたものだ。


しかし今となっては有名インフルエンサーにデレデレとみっともない顔をさらすカッコ悪い男である。

かつて、この佐野に稲尾を略奪されたことをきっかけにvチューバーを始めたが、登録者数200万人を超えた今となってはいい思い出だった。


「すみません、今回の会議は関係者とクライアントのみですので……」


「えぇー!私たちが部外者っていうの?ひどーい!」


他部署の、しかも間違ったデータを寄越してくるような人間を同席させたくはない。同席させるかは自分の一存では決められないがもし佐野に絆され同席させるようなら小鳥遊のことを嫌いになりそうだった。


「もしかして、御厨さん私にカレシ取られたからってイジワルしてませんかぁ?」


「…………」


わざと声を張ったのか、聞き耳を立てていた人たちがチラチラとこちらに視線を寄越した。だからイヤなのだ、こういう相手は。


「淳さんのカノジョになりたいならぁ、もっと女磨いたらどうです?」


苛立ちで思わず箒を握る手に力が籠る。このくるくるした髪を引っ張ったらこの女の顔は歪むだろうか。わざとらしい挑発に乗ってやるほど安易な思考はしていないがバカにされて黙っていられるほど御厨のプライドは低くない。


口を開こうとした瞬間、テノールの心地よい声が上から降ってきた。


「残念ですがうちの御厨は稲尾くんにはもったないんでね、返してもらいますよ」


「小鳥遊さん!?」


「部長!?」


長い指がA4紙でまとめた紙をペラペラとめくっていた。さきほど御厨が運んだ資料だ。いつ誰が資料の誤りに気づいたかわからないが、佐野と稲尾でないことはたしかだ。



「あ、資料が直ってるな。掃除したらセッティング頼む」


「は、はい」


オーダーメイドスーツのジャケットはテーブルの上に無造作に投げ捨てられ体にあわせて作られたベストが細さと体つきを際立たせる。鍛えてはいないというがモデルもかくやという体格と堀の深い西洋系の顔立ちは海外の俳優が老舗ブランドのスーツを着こなし広告を飾っているようだった。


御厨の持ってきた資料をめくる指先は武骨ながらも長く、文字を追う目元は涼やかで色素の薄い瞳がゆっくりと上から下に進んでいった。


細い髪がハラリと耳から零れそれを直す指先の動きですら洗練されていて見慣れているはずの御厨ですら思わず見とれてしまった。



「どっかの誰かさんがめちゃくちゃなデータを寄越してきたもんだうちのがエッライ被害にあったんですよ。今からクライアントに謝罪なんで稲尾さんと佐野さんは外した方がいいと思いますよ」


「は、はぁ……」


「そうだったんですかぁ!それは大変ですぅ!私たちからも謝罪させてください!」


「いや、結構。これ以上相手さんを怒らせたくないんでね」


佐野のオネダリを受け付けないぴしゃりとした拒絶があまりにも爽快でクスリと笑ってしまった。

キッと鋭い視線が飛んでくるがそれより先に小鳥遊が視線で御厨を呼んだ。


「これ、新谷が直したのか?」


「いいえ、私です。ここの社名ですよね。私たちは普段の呼び方で読んじゃうんですけど正式名称コレなんですよ。クライアントにお渡しする資料なら正式名称のほうが印象良くないですか?直すならすぐ直せますけど……」


「いや、おまえよく知ってたな」


「ネタとして有名な話ですからね。部長もご存知でした?」


一般的に馴染みのある会社名と正式名称が違うというのはよくある話でみるくみくとしてもよくトークのネタに使っていた。今回は偶然そのときのネタが生かせたにすぎない。


「クライアントの得意先は覚えとくもんだよ」


「小鳥遊さん営業でもやってけますね」


「いやぁ……遠慮しとく。まぁそういうわけだ、お二人はさっさと退出してもらっていいだろうか?」


極めつけにシッシと手で追い払うような仕草をして小鳥遊は二人を追い出した。佐野は一瞬表情を歪ませるとくるりと後ろを向くと稲尾を連れて不機嫌そうに立ち去った。


「ほれ、邪魔者は追い払ったからさっさと会場準備進めてくれ。御厨が無能に目をつけられたせいで時間を無駄にしたんだから」


「は、はい……」


「ったく、いつあんな面倒な連中に目つけられたんだよ、おまえは」


ちょっとカッコいいかも、なんて思ってしまったのは誤りかもしれない。視線ひとつ向けずに小鳥遊はノートパソコンを開いた。


「あぁ、そうだ。御厨」

「はい?」

「おまえこのあと急ぎの仕事あるか?」

「ありませんけど……」

「ならお前も会議でろ」

「何も話せませんよ?」

「そこで座ってパソコン操作してるだけでいいから」

「は、はぁ……」


つまり補助に入れということだ。どうせお茶だしまですることになるから構わないがそれなら先に一言いってくれたらいいのに。


一言嫌味が多いし振り回されることも多い部長であるが、御厨は少しだけ感謝してもいいと思っていた。

小鳥遊に顔も向けず手元で資料を席に置きながら言った。


「……部長」

「なんだ」

「さっきはありがとうございます」

「俺は有能なやつとしか仕事したくないだけだ」

「そうですか」

「佐野が出て行った時の顔、おもしろかったな」

「……そうですね」


喉奥にひっかかったトゲのような痛みはすっかりなくなっていた。自分の顔はみえないが、今の自分は爽快なまでに笑っているだろう。


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