サウナ救世譚

柑橘

サウナ救世譚

 男がいた。

 中年だった。そして全裸であった。

 正確に言うと、全裸で地上に出た。

 当時地球と太陽の距離は原因不明の地球の公転軌道遷移により結構まぁかなり致命的に近づいてしまっていて、地表面は80℃まで熱せられていた上に、放射線がオゾン層を貫通しまくって雨あられと地表面に降り注いだ。

 ので、当然男は死んだ。死因は自明に急性放射線障害であった。全身の皮膚が潰瘍になっては剥げ、見るも無惨な死に方だった。気の毒と思うには自業自得要素が強すぎて、友人も知り合いも全員微妙な顔をしていた。

 煮え切らない顔の見舞い客とは裏腹に、男は死ぬその時までにっこりと眩しい笑みを浮かべていた。出たら絶対に死ぬ地上によりにもよって全裸で出たことからして十中八九頭が変だったのだろうが、笑みの理由はそれだけではないようだった。

 昏睡状態に陥る直前、男は一層笑みを深くして、途切れ途切れのがさついた声で言った。

「後悔はない。気持ちがよかった」

 そうして男は意識を失い、そのまま死んだ。病室に詰めかけたと言うには人数が足りない程度の人間が男の死を看取り、微妙な表情のまま首をかしげた。問題は男の遺言にあった。

 恐らく男が死の間際に言及したのは素っ裸で地上に出た暴挙のことで、気持ちがよかったと言われてもその後の惨たらしい転帰を見た者としてはドン引きする他なかった。しかし一方で地上に興味が無いと言っても嘘になった。正確に表現すると、彼らが気になっていたのは地上の光、即ち陽光だった。因みに「彼ら/彼女ら」と表記しなかった理由は日本語にtheyの端的な訳語が存在しないからではなく、単純に男の見舞い客が全員男性だったからである。

 当時の人々は陽光を直に浴びたことがなかった。地上と地下都市は放射線も熱も遮断する強固な隔壁と断熱層で区切られ、地下都市の光源は熱放出を抑えるためにいつも薄ら暗い白色をしていた。生活リズムを司る脳としては別に光刺激さえあれば何でもよく、したがって陰気な照明を太陽の代替品にしても問題はなかったのだが、人間生活リズムさえ整っていれば良いというものではない。若者らは何百年も前の雑誌のアーカイブを眺めてはこんがりと肌を焼いたモデルが眩しいビーチで寝転がっているところを見てほうと溜息をついていたし、若者らの親世代が若者だった頃もやはり同じことをしていた。ちょっとだけ照明を強くしてちょっとだけ空調を弱くしてちょっとだけ砂を敷いたビーチもどきがいくつか作られたが、ぬるい砂の上でぬるい白色光を浴びるのはかえって気が滅入るような気がして、結局すぐに不人気になった。

 太陽の光を浴びてみたい。とはいえ皆いきなり全裸になって地上に出て野垂れ死ぬほどには思慮浅くなく熱意もそれほどではなくて、「浴びてみたいね~」「そうだね~」くらいの熱量になった。このまま知り合いの間で話題は反発係数=0.5のボールみたく跳ね返っていって、そのうちうやむやになって消え去った。

 ところで男の行動はまぁまぁ衆目を集めており、どうしてただの一般人である男が地表地下間輸送懸垂機に乗り込めたのかというセキュリティ面の問題が一番謎めいていた。男のせいでその後20年くらい地表探査の際の諸々の手続きが余計に煩雑化し、研究者にとっては本当にいい迷惑だった。それに加えて動機も話題となった。世間一般の人々は直に太陽光を浴びて死ぬためだけに地上に行くという発想が全くなかったため、これは現体制へのアンチテーゼであるとか、男は狂信的な太陽教信者だったのだとか、いやこれは社会構造の根本的な欠陥が産み出した悲劇なのだとか、少々まともであるがために一生答えに到達しない無意味不毛推理ゲームに明け暮れて、まともだったので少ししたらすぐに話題ごと綺麗さっぱり忘れた。

 まともじゃない者もいて、とある青年がそうだった。男の暴挙を耳にした青年は言いようのない感動を覚え、男が死んだと報じられると赤の他人であるにも関わらず号泣した。青年はあまりまともではなかった。まともではなかったが、あるいはまともでないゆえに才に溢れており、青年はVR関連の大企業の社長を務めていた。その自社のVRコミュニティから青年は普通に違法な手段で情報を吸い上げ、男が死んでから3時間後にはもう男の遺言を知るに至っていた。

 青年はいたく感動した。肉体の奥深くから発せられる本能の声を聞いたと思った。青年の頭の中では顔も知らぬ中年男性と写真でしか見たことのない太陽が合一し、黄金の美しい光を放っていた。あるいは光そのものが美で、それは美の奔流だった。という旨を青年は周囲の同僚なり部下なりに熱弁し、周囲の人々は皆彼が遂に発狂したのかと思った。概ねその認識で間違いはなかった。

 しかし青年は会社の社長で、そして商才に溢れていた。とんでもないことを言い出しても結局それが莫大な利益に繋がるという事態は日常茶飯事だった。したがって会社の一定以上の立場の人間を集めた会議で突如青年が「ガラスを作る」と宣言した際も、皆「うちの事業に何の関係があるのかなぁ」と思いつつ「なるほど」と表面上は相槌を打った。一部の切れ者は特殊なガラスの製造によるAR分野の改革などを想起していた。ところが、社長が配布した電子資料に目を通すと全員の顔色が一気に悪くなった。そこにはどう考えてもIT関連企業に関係のあるわけがない、ぶ厚く、それでいて凄まじく大きいガラスのイメージ画像がファイルの横幅いっぱいのサイズで貼り付けられていた。

 

 横開きのドアをスライドさせると湯気で一気に視界が白む。まずはシャワーブースへと赴き、ノズルをひねってシャワーヘッドを掴み、湯加減を手で確認しながらついでに椅子を軽く流す。椅子に座って全身を流す。ここでしっかり全身を洗っても軽く流すだけでもどちらでも良い。そしてあなたは椅子から立ち上がり、もうもうと湯気を発生させているその大元へと足を運ぶ。足元は少しつるつるしていて、あなたは転ばないよう細心の注意を払いつつ、これは肌に良いだろうなと期待に胸をときめかせる。現れた湯船に足をそっと差し入れると思いのほか熱く、そのままゆっくりと両足を入れ、湯船の中の段差を降りて腰まで浸かり、そうしてゆっくり腰を下ろして全身を湯の中へと沈め入れる。全景を把握できないほど広い湯船を見渡しながらあなたは熱と浮力が心地よく全身をほぐすのに身を任せるが、まだここは目的地ではない。あなたは左横か右横か前か後か、とにかく壁へと目を向けて、その壁はうっすらと光っている。

 壁へと向かい、ノブをひねってドアを開くと爽やかな風が吹き込んできた。というのは錯覚だったが、目の前の景色はそう感じさせるほど雄大なものだった。そこは地上だった。太陽があった。本物だった。籠った熱は陽光によるものだった。地平の果てまで続く赤茶けた地面は荒々しさと雄大さを感じさせ、あなたはただ感動に胸を震わせることしかできなかった。ふと肩を叩かれて我に返ると、隣ににっこりと笑う男性がいた。それであなたは横に果てしなく長い座椅子の一つの座面に腰を下ろした。あなたは、あなたたちは、わたしたちは、熱気の籠った部屋の中でみな下半身の前面にタオルをかけてどっかりと椅子に腰かけて、時間と気力の許す限り外を眺めていた。身体か精神か、あるいはその両方かが不思議と落ち着いた。失った何かを手に入れて、初めて全体が整合したととのったような心持ちでわたしたちは満たされていた。


 というわけで作られたのはサウナだった。青年の会社は高温高湿環境でも曇らず透明度の高くそれでいて紫外線を一切通さないという下手をすればそこら辺の宝石よりも価値のありそうな素材を、青年の鶴の一声のせいで一切の工学的ノウハウなしに作る羽目になっていた。それでも他の企業の協力を得ながら開発を進め、地下なので原料には困らなかったことも幸いしてなんとか条件を満たすガラス材の作成に成功した。それから政府に建設計画や安全性の証明や市民の声を集めたデータなどを提出して、難儀な交渉を進めながらマーケティングも同時並行させ、そうして艱艱難難辛辛苦苦かんかんなんなんしんしんくくの末に地表面にサウナ部分だけをくっきりと覗かせた温泉施設が完成した。あまりの大きさに維持費が大変なことになるのではと多くの人が危ぶんだが、温泉部分はともかくサウナ部分に関しては存外低いコストで維持できた。まず部屋の加熱は陽光によって行われ、余分なエネルギーは必要ない。さらに衛生面に関しても、入室者がいないタイミングでガラス壁を収納し完全に地表へと露出させることで陽光の強烈な紫外線による徹底的な殺菌が可能だった。

 こうして開業した温泉施設は大人気となり、社運と会社の資産と信用とその他全部を賭けたプロジェクトが無事に成功して社員たちは安堵の涙を流していた。元凶たる青年は一人悠々と陽光サウナを満喫し、神(青年は上述の全裸男性のことをいつの間にか「神」と呼ぶようになっていた)と同じ景色を目の当たりにできた感動に胸を震わせて落涙留まるところを知らず、やがて脱水で倒れて救護室へと運ばれた。

 温泉施設には毎日様々な人が押しかけ、広大な温泉やレジャー施設を満喫した。温泉施設からの収入は膨大な開発費を遥かに上回り、青年の会社はさらなる躍進を果たした。因みに施設の目玉である陽光サウナも勿論大人気を博したのだが、利用者について統計を取ると明らかな偏りがあり、具体的には中年の男性がずば抜けて多かった。


 ところで、これは後世の研究によっても明らかにされなかった事実だが、地球の異常な公転軌道遷移は外星人の干渉によるものだった。その外星人は、名称を無理矢理翻訳するとδ-ケトアミロApgトーラサルコ星人のような風合いになるのだが、100℃前後の温度を最適な住環境としていた。彼らは自前の高度なテクノロジーで地球太陽間の距離を少しだけ縮め、地球を自らにとって快適な環境にするとともに原住知的生命体を葬り去って、この惑星を第二の住処として改造するつもりでいた。

 地球人が地下に閉じこもって数百年。δ云々星人は寿命が長く、故郷の星も健在である以上まだまだ持久戦を楽しむ気でいたのだが、ある日突然地上に透明の矩形構造物が構築されているのに気が付いた。拡大すると構造物の中には原住知的生命体がぎっしりと詰まっており、しかも皆似たような外見と年齢であって、一番不気味なのはそれらの個体全てが揃って頭部に類似の表情を浮かべていたことだった。口部の両端を少し上げ、目には光が無い。そのうちδ某星人はそれらの原住生命体にじっと見られているような錯覚に陥りだした。あるいは、「それら」というよりも「それ」なのかもしれず、構成員を入れ替えながら全部が似通っている個体の作り出す組織は1つの総体として活動しているのかもしれなかった。幾つもの目が巨大な複眼に見えた。事前調査により原住知的生命体は個々人で活動し何かしらの結合による巨大ネットワーク構築活動は一切見受けられなかったが、今回のこれがそうかもしれず、なにより荒野の上にぽっかりと空いた目の集合体は惑星そのものの眼差しにも見えて不気味だった。

 怖気をふるったδ星人らは原住生命体の急速な技術発達及びそれに伴う紛争発生確率の急激な上昇を理由に太陽系からそそくさと逃げ出した。彼らは宇宙のどこにでも行けたからわざわざ危険を冒す必要はなかった。原住知的生命体との禍根を残さないよう、彼らは去り際に地球の公転軌道を元通りに戻していった。


「だから御日様の光は貴いものなんだ!私はそれを自らの肉体で感じているだけだ!それを何だ君たちは、先祖への感謝が足」

「はいはい、でも外でこんな格好したらいけないでしょ」

「おかあさん、なんであのおじさんはだかなの?」

「見ちゃだめ」

「午後1時22分、公然猥褻罪で現行犯逮捕します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サウナ救世譚 柑橘 @sudachi_1106

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ