第177話 マスター、気をつけて下さい。この女、黒です

 翌日の木曜日、本来は出勤する日だけれど今週の月曜日は祝日なのに臨時で出勤したから、久遠は振替休日にしている。


 ついでに言えば、明日は有給休暇を取っているので、来週の月曜日が祝日であることを考慮すると5連休である。


 寧々も同じタイミングで休暇を取得しており、5日間はゆっくり過ごせるのだ。


 昨晩はオリエンスの無茶振りに答えたため、久遠は目を覚ました時に微妙に疲れていた。


「マスター、おはようございます」


「おはよう、ドラクール」


 ドラクールは今日も久遠の顔を覗き込んでおり、挨拶した久遠をじっと見て訊ねる。


「マスター、まだお疲れの様子です。もう少し眠られてはどうでしょう? 今日から5連休だと伺っておりますが」


「眠い訳でもないから起きるよ。それに、今日は朝食を作るって桔梗に言ったからね」


「マスターがよろしいのであれば問題ありません。出過ぎたことを申し上げてしまい失礼しました」


「良いんだ。俺の体調を気遣ってくれたんだろう? その優しさに感謝こそすれど文句なんて言わないさ」


 久遠はドラクールに感謝の気持ちを伝えてから起き上がった。


 それから、リビングフォールン達を召喚して朝食の準備を始める。


 今日は休日ということで、朝活配信のある桔梗が無理をしないで良いように久遠が朝食を作るのだ。


 朝活配信を終えた桔梗は、朝食を作り終えた久遠を見つけて俊敏な動きで抱き着き、深呼吸して久遠の匂いをめいいっぱい嗅ぎ始める。


「桔梗? どうした?」


「一仕事したから、ちょっとクオニウムを摂取しようと思って」


「クオニウム? 何それ?」


「久遠からしか摂取できない私にとって重要な栄養素」


 何を言っているんだと思ったけれど、桔梗も桔梗でなんだか疲れているようだったから、久遠は桔梗が落ち着くまで好きにさせた。


 朝活配信で何かあったのかもしれないと思い、久遠は桔梗に訊ねてみる。


「朝活配信の調子はどう?」


「朝活配信ばっちりだよ。ただ…」


「ただ?」


「私の妹、竜胆って言うんだけど、今日は休みだからこの家に来たいって連絡して来たの」


 桔梗の妹と聞いて、久遠はシェアハウスする前まで記憶を遡った。


 何故なら、桔梗は久遠とシェアハウスを始めてから母親と寧々、お互いの従魔達を除く女性の話を一切自らすることはなかったからだ。


 久遠に他の女へと興味を抱かせないよう話題を選んでいるあたり、桔梗の久遠を独占したい気持ちはずっと変わらないらしい。


「まあ、妹さんからしたら知らない男と姉がシェアハウスしてる訳だから、様子を見たいって感じかね?」


「違うよ。竜胆はそんな姉思いじゃない。きっと私が社会復帰したから、何か仕掛けてくるつもりだよ」


「姉妹の仲はあんまり良くないみたいだな」


「うん。前の会社を辞めた時も、妹だけは私のことをニートって呼んだりしたもん。心無いことを言った方は忘れてるかもしれないけど、言われた方はずっと覚えてるんだから」


 桔梗が竜胆を警戒していることはわかったが、それならこの家に入れなければ良いだけの話だ。


 それにもかかわらず、一度は呼ばなければいけないと桔梗が考えている理由が何かわからないので久遠は首を傾げる。


「そんなに俺と会わせたくないなら、妹さんをここに招かなければ良いんじゃないの?」


「2つの理由があって、仕方なく久遠を竜胆に会わせないとといけない」


「理由が2つか。何と何?」


 自分と竜胆は面識がないから、久遠としては会う理由が見当たらない。


 そうであるならば、パッと合わなければならない理由なんて思いつかないのだ。


 桔梗は久遠に2つの理由を説明し始める。


「1つ目は久遠が私のものだってわからせるためだよ。竜胆は私のものを欲しがる傾向にあるから。今となってはどうでも良いことなんだけど、私が告白されて振った相手を捕まえて心の隙につけ込む癖があるの。だから、陰からこそこそと仕掛けられる前に、久遠は私のものだってわからせる必要があるの」


「別に俺は桔梗のものじゃないんだが」


「久遠は私のものよ」


「違うぞ?」


「久遠は私のものなの」


 「Yes」か「はい」か「喜んで」しか許さない桔梗に対し、久遠は苦笑するしかなかった。


 桔梗は説明を続ける。


「2つ目は竜胆が獄先派に利用されかねないから、今の内に竜胆の様子を見ておきたいの。下手をすれば、ヘルオブシディアンの餌食になってしまうかもしれない。性格は捻じ曲がってるけど、だからと言って竜胆を見殺しにして良い訳じゃないわ」


「その可能性があったか」


 獄先派の悪魔は人間の心の隙を突くのが上手い。


 敵の親族で利用できる者がいるならば、それを利用しない手はないので久遠は2つ目の理由には納得がいった。


「久遠、私はできればこの家に竜胆を呼びたくない。近くの喫茶店で会うってことにしても良い?」


「別に構わないよ」


 桔梗がこの家に竜胆を呼びたくないと強い意思を込めて言うものだから、久遠は桔梗の意思を尊重した。


 仮に獄先派の悪魔が竜胆を利用していた場合、自分の家に敵を招いてしまう可能性を避ける判断に反対する理由がなかったからだ。


 午前中は家事や片付けておきたい雑事を済ませ、午後になって久遠達は近くの喫茶店で竜胆と待ち合わせした。


 念のため、ドラクールには【透明近衛インビジブルガード】を使ってもらっていざという時に身を守れるようにしている。


 店の中で久遠達がコーヒーを飲んで待っていると、遅れて竜胆と思しき女性がやって来る。


 顔つきは桔梗に通ずるものを感じ取れるが、服のセンスが桔梗とは似つかない。


 桔梗が男性から見ても女性から見てもお洒落な印象を与える服を着ているのに対し、竜胆は男受けしそうな服を着ている。


「お待たせしてしまってすみません。花咲竜胆です。姉がいつもお世話になっております」


『マスター、気をつけて下さい。この女、黒です』


 礼儀正しく好印象な振る舞いをする竜胆を見て、ドラクールが久遠に注意するよう伝えた。


 それと同時に、久遠のズボンのポケットの中に地獄指針ヘルコンパスが現れたことから、地獄関連の何かが竜胆と関わっているのは間違いない。


「どうも、鬼灯久遠です。桔梗さんとは適切な距離感でシェアハウスをしてます」


「適切って言う割には宵闇ヤミと仲良しですよね、さん」


 桔梗は家族の誰にも自分がVTuberの宵闇ヤミだとは告げていない。


 それでも、実家にいた頃は防音室なんてない中で配信をしていたから、バレていても不思議ではない。


「なんのことですか?」


「惚けなくたって良いんですよ。私、一昨日は一緒にUDSのミニゲームをしたんですから。私、黄昏トキってアカウントでUDSをプレイしてるんですよ」


 (黄昏トキというプレイヤーは確かにいた。言われてみれば、宵闇ヤミを意識したネーミングだな)


 竜胆が黄昏トキと同一人物かどうかはさておき、そのネーミングセンスは桔梗と似たものを感じるのは事実だ。


「竜胆、今までゲームなんてやらなかったじゃん。なんでいきなりゲームなんてやり始めたの?」


「姉さんを社会復帰させたゲームだもの。興味を持ったって不思議じゃないでしょ?」


「竜胆が興味を持ったのは鬼童丸でしょ? 久遠の前だからって良い子ぶらないでよ」


「良い子ぶるなんて酷い。私は本当に姉さんを心配してただけなのに」


 泣き真似をする竜胆を見て、今度はリビングフォールンが喋り出す。


『この女、嘘をついてるよ。泣き真似をしながらマスターに同情してもらえるよう演じてるの』


 (厄介だな。喫茶店で暴れ出されたら困る)


 竜胆が過激な悪魔に利用されている場合、この喫茶店にいる人にも被害が出てしまう。


 チラッと久遠が桔梗の方を見れば横に首を振ったから、久遠は事前に想定していたパターンに該当したと判断して次の行動に移る。


「場所を変えましょう」


 会計を済ませ、久遠達は最寄りの公園まで移動する。


 喫茶店を出る前に桔梗がデーモンズソフトに連絡を取っていたから、ゆっくりと最寄りの公園に移動している間にデビーラ率いるデーモンズソフトの社員達が公園を取り囲むように配置に着いていた。


 結界が展開されたことを確認できたから、久遠はこれで人目を気にしなくて良いと安心しつつ竜胆に訊ねる。


「さて、周辺への被害が出なくなったところで改めて訊ねよう。お前は竜胆さんの体を乗っ取った悪魔だな?」


 その質問を聞いた時、不敵な笑みを浮かべた竜胆の目が紫色に輝いた。

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