第7章 Sweeper

第61話 花咲さん、恐ろしい人…!

 月曜日、久遠は身支度を整えて会社に向かうべく家を出る。


 家のドアを開けた時、目の前に桔梗がいた。


「おはよう、鬼灯君」


「おはよう、花咲さん。なんでここに? 朝活配信は?」


「見送りだよ。朝活配信を終えたらすぐに来たの。それとはい、お弁当」


「…ありがとう」


 電車に乗る時間を考えたらここで立ち話している時間はあまりなかったため、久遠はとりあえず桔梗の厚意に甘えて弁当箱を受け取った。


「行ってらっしゃい」


「行ってきます」


「フフ、同棲してるみたいだね」


「その件につきましては持ち帰らせていただいてからじっくりと検討して回答します」


「業務口調で言わないでよ、もう」


 乗る電車の時間を考慮して久遠は手で応じ、マンションを出発して駅に向かった。


 鞄の中に弁当箱を入れて駅に向かって早歩きすれば、久遠は元々乗る予定だった電車に乗ることができた。


 在宅勤務の形態を取る会社も増えてきたことから、通勤ラッシュもピークの時よりは楽になった。


 そのおかげで電車に乗る人は多くとも、どうにか鬼童丸は通勤ラッシュでぐったりというレベルにはならなかった。


 会社ブリッジに着いて自分の働くフロアまで移動し、今日は窓側の席に座った。


 この会社ではフリーアドレス制度を取り入れているものの、座席予約システムを使って何処に座るか決めるようになっている。


 というのも、座席予約システムを使わなかった頃に荷物を持って一時的に会議のために席を外した際、別の社員に場所を取られていてトラブルになるケースがいくつかあったからだ。


 少しでも社員間のストレスをなくせるよう、仕事をする座席や会議室は座席予約システムを用いて使用するようになった訳である。


 どうして今日は窓際の席を選んだのかというと、金曜日に残業を強いられた営業第二課の業務が今日も振り分けられることになっており、久遠は他の社員と喋る可能性の低い窓際の席で集中して仕事ができるようにするためだった。


 営業部の朝礼は課ごとに行われるため、久遠は時間になったら営業第一課の朝礼定位置に移動する。


 営業第一課の全員が揃ったところで、課長の石原が口を開く。


「おはようございます。週末にリフレッシュできたと思うから、今日と明日は申し訳ないけど営業第二課から振り分けられた業務を頑張ってくれ。それと、転職者紹介制度第一弾ということで、鬼灯君が紹介してくれた戦場さんが来週の月曜日、つまりは9月2日から出勤開始だ。皆さんが温かく戦場さんを受け入れてくれることを期待する。また、他にも紹介したい人がいれば遠慮なく私まで連絡してほしい。私からは以上だ。では、各チームの状況について主任チームリーダーから報告を頼む」


 石原から状況報告を求められ、各チームを指揮する主任チームリーダーが報告を行っていく。


 各チームの役割はインターンシップ制度を導入しないかと営業をかけることがメインだから、先週の成果と今週の行動予定について主任チームリーダー達が報告するのだ。


 それらの報告が終わったところで、その他の共有事項の確認を行って朝礼は終了する。


 (さて、やりますか)


 できることなら主任と一般社員には通常業務をメインで頑張ってほしいから、久遠は営業第二課から振り分けられた業務で自分の処理できる範囲のものは引き受けるつもりだ。


 頭を切り替え、ノートパソコンに向き合っててきぱきと業務を進めていけば、業務開始から2時間で今日の内に済ませておきたい業務が終わってしまった。


 その凄まじいまでの集中力に遠慮して誰も久遠に話しかけられなかったから、久遠が営業第二課からの業務に一区切りつけたように見えた瞬間を逃さず、Aチームの主任である原口が相談に来る。


「鬼灯さん、時間を貰っても良いですか? 朝礼で報告した件で相談があります」


「なんでしょう?」


「エブリパークの足立さんからメールで連絡がありまして、来てくれた学生が絶対に入社してくれるならインターンシッププログラムを導入しても良いとのことです。そこは確約できないので、どう返すべきか鬼灯さんの意見を貰えないかと思いまして」


 エブリパーク株式会社は駐車場経営とカーシェアを主な業務とする会社であり、そこそこ名の知れたこの会社でインターンシップを引き受けてもらえれば、ブリッジの利用実績に箔が付く。


 だからこそ、原口は自分だけの判断でやらかすのが怖くて久遠に相談しに来たのだ。


 原口は仕事スイッチが入っている時は普通だが、プライベートスイッチが入るとチャラいので久遠とはタイプが違うけれど、仕事中に性格のタイプ云々で対応を変えないのが久遠の流儀だからちゃんと相談に乗る。


「ブリッジは学生にインターン先に就職することを強要できません。そこを曲げてまでサービス利用者を無理やり就職させなきゃいけない事態になるならば、こちらからお断りしましょう。インターン中は我々もエブリパークで働く学生のサポートをする訳ですから、エブリパークの担当者と学生、我々の三社でインターンが実り多きものになるよう尽力すると答えて下さい。学生が入社したいというかどうかは、エブリパーク側の選ばれようとする努力をするかどうかも試される訳ですから」


「わかりました。ありがとうございます」


 原口が自席に戻った後、久遠は社内にある防音ボックスに入ってからエブリパークに勤めている友人にコネクトの通話機能で連絡する。


 連絡した相手は運良くすぐに出た。


『もしもし? こんな時間にどうしたんだ久遠?』


「徹、忙しいところすまん。今、ちょっと時間を貰えるか? エブリパークについて聞きたいことがあるんだけど」


『うちの会社について聞きたいこと? なんだ?』


 連絡している裏辻徹は久遠の同級生である裏辻諭の双子の弟であり、UDSではリバースのプレイヤー名で遊んでいる。


 徹からすれば、ゲームのことではなく仕事の話で電話が来るのは意外だったから、久遠の要件はなんだろうかと気になって訊ねる。


「俺の会社のことはわかるよな?」


『ブリッジだろ? 知ってる』


「今、俺の部下がエブリパークの足立さんとやり取りしてるんだけど、インターンに参加した学生が絶対にエブリパークに入社するなら導入しても良いって言い回しされてるんだよね」


『足立? チッ、悪い癖が出たか。すまん、そいつは俺の同期だ。優秀ではあるけど上から目線な態度が鼻につく奴なんだ。俺の方から足立じゃない奴を窓口にするよう伝えとくわ。引き受けるにしろ、引き受けないにしろこのまま足立がやってるとトラブルになりかねんから』


 徹は同期の足立がエブリパークの品位を貶めかねない対応をしていると知り、よくもやってくれたと言わんばかりの口調になった。


 徹もエブリパークでは営業課内でそこそこのポジションにいるらしく、久遠が相談した内容について動いてくれることになった。


 通話を終えて防音ボックスから出た後、久遠は営業第一課としてやるべき業務に着手した。


 それから正午になり、桔梗が作ってくれた弁当を食べようと席を立った時、原口が再び久遠の前にやって来る。


「鬼灯さん、エブリパークの足立さんにメールを送ったところ、足立さんからではなくその上司の小西課長から足立さんの返信に対するお詫びと共に是非とも引き受けたいと連絡がありました」


 (徹、仕事早いな)


 原口の話を聞いて徹がすぐに動いてくれたことに心の中で感謝した。


「やりましたね。先方に誠意が伝わったのは良いことです。原口さんがブリッジの方針を捻じ曲げたりせずに対応したからでしょうね」


「それもあると思いたいんですけど、鬼灯さんにもよろしくお伝え下さいって言われました。自分が相談した後、鬼灯さんが動いてくれたんですよね?」


 (前言撤回だ。徹、一体なんて言って小西課長を動かした?)


 徹がどんな風に担当変更した小西課長に伝えたのかが気になったし、久遠は原口に内緒で動いたつもりだったので心の中で苦笑した。


「偶然知り合いがエブリパークにいたので、足立さんがどんな人か探りを入れただけですよ。まあ、なんにせよ引き受けてくれたんなら良かったじゃないですか」


「ありがとうございます。鬼灯さんのおかげで助かりました。今日の昼飯はご馳走させて下さい」


「あぁ、今度でも良いですか? 生憎今日は弁当を持参したので」


「わかりました」


 原口と別れた後、久遠はリフレッシュルームで桔梗の作ってくれた弁当を食べることにしたのだが、桜田麩で形成されたハートマークがご飯の上に盛られてあったのを見てそっと弁当箱を閉じた。


 (花咲さん、恐ろしい人…!)


 この弁当を偶々誰かに覗き見されようものなら、久遠は彼女がいると噂になること間違いなしだ。


 桔梗がそれを狙って弁当を作ったのだと悟り、久遠は弁当を食べてから桔梗に作ってくれたお礼とハートマークに対する抗議のチャットを送っておいた。


 弁当自体は美味しかったからその気持ちを素直に告げたところ、桔梗はまた明日も作ると張り切ったのでハートマークは止めてくれと久遠が伝えたのは言うまでもない。

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