抱擁するアリア

肥後妙子

第1話 出会いの針

(プツリとレコードプレイヤーの針を落とす音。ザザ……ザザ……古いレコード特有のノイズの音、微かに聴こえるヴァイオリンの音色。それに混じって若い女性の声が聞こえ始める)

 

……やっと……貴方とお話しできる……。私を見つけてくれた貴方と……。驚いてらっしゃる?そう、人はこういう時驚くものですね……。ああ、待って下さい……レコードプレーヤーを止めないで……。今、私は姿を現しますから……。ずっと貴方に触れたかった……。やっと夢がかなうのね、今……。

 

(ザザ……ザザ……レコードは柔らかくノイズとバイオリンの音色を流し続ける)


……初めまして……私の名前はアリア……。やっとこの姿を貴方に見ていただける……。レコードから煙が立ち上って、人の姿になったように見えますね……。私はレコードの魂なのです……。だからこんなふうに現れます……。来ている服はビロードのワンピース……。何故かって?私の中にはビロードのように滑らかとたたえられた……ヴァイオリンの音色が入っているから……。髪は長い絹糸のよう……。やはりそれも絹のように滑らかと褒められた音色が入っているから……。触れてみてください……私のビロードの服に……。夢なんかじゃない……私は間違い無く目の前にいるでしょう……さあ……私のスカートに……。


(アリアが差し出すビロードのスカートを撫でる音。ザザ……とノイズは漂い続ける)


……ね?私は存在するでしょう……。貴方は私をもう何か月も前に古道具店から見つけてくれましたが、なかなか私を聴こうとしなかった……。私はずっと待っていました……。古道具店で何十年も……私を見つけてくれる人を……。だから貴方が私を買い取ってくれた時は本当に嬉しかった……。陶器のレモンの置物と、紫のガラスで出来た猫、その後ろの棚に置かれて、私は何十年も過ごしました……。


(ヴァイオリンの旋律の音色、やや大きくなる。ザザ……ザザ……とノイズ)


……どうして買い帰った後、すぐに私の音色を聴いてくださらなかったの?……私は会いたかった……すぐに貴方にお礼を言いたかった……。え?聴かなかったのではなく、聴けなかった?……ああ、レコードプレイヤーを……お持ちじゃなかったから……良かった……。私をお気に召さなかった訳ではないのですね……。


(ヴァイオリンの音色、やや遠くなる。ザザ……とノイズの音)


……貴方のお名前を教えてください……。恩人の名前を知りたいのです……。……そう、素敵なお名前ですね……。私はそのお名前が好きです……。でも、貴方は私のご主人様ですね……。私はレコードなのですから……。貴方が私に針を落としてくださらないと、私は自由になれなかったのです……。ご主人様、針を落としてくださってありがとう……。まず、お礼を言いたかった……。


(ヴァイオリンの音色、やや大きくなる。ザザ……ザザ……とノイズ)


……私の名前……?なぜアリアというか……?私の中の音色がアリアだからです……私の中の曲名はスナイエのアリア……。それが私の全てです……。お好きになりましたか……。嬉しい……。私の中には様々なヴァイオリニストが演奏した何パターンものスナイエのアリアが入っているんです……。


(ヴァイオリンの音色とノイズ。ザザ……)


……さあ、私と一緒に私を聴きましょう……。

 

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