二章 休日がお仕事

 人の決して立ち入ることのできない星の内奥。

 その地に潜み、すべてをむしばもうとする病魔。

 その病魔が人の魂を堕落させるべく新たな毒素を吐き出した、まさにその頃。

 その宇宙最大の魔を相手に、世の令嬢おとめたちを守るべくすべてを捨てて戦う愛の戦士、ヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロことそのなかの人、三枝さえぐさかおるは――。

 途方に暮れていた。

 時は昼下がり。

 そろそろ、貴族たちが午後のティータイムを楽しもうかという頃。庶民たちも仕事の手を休め、貴族を真似てお茶を淹れ、せめてもの贅沢を楽しもうとする、そんな時間。

 場所はシーホース王国の王都。

 大陸最強最大の国家の王都だけのことはあり、建物は高く、道は広く、人々は多い。

 現代日本からの転移者であるかおるの常識からは考えられないほどにカラフルな、それこそ、子ども向けのパッチワークをそのまま衣服にしたのかと言うぐらい、様々な色を使った華やかな衣装をまとった人々が歩き、荷をいっぱいに積んだ馬車がひっきりなしに行き来している。

 午後のお茶を楽しもうという人を当て込んでか、都市の空気のなかに漂うのは甘い焼き菓子の匂いと、ほのかなお茶の香り。

 人の動きと共に漂う大気のなかに含まれる、その香り。その香りに優しく顔をくすぐられれば、鼻がヒクヒクと動き、本能に導かれるままに両目を閉じてその香りを追って店のなかに入っていってしまう。

 そんな、よく晴れた午後の昼下がり。

 かおるはひとり、人々の行き交う大通りのなかに立ち尽くし、ギュッと握りしめた両手を胸の高さに掲げ、唇を噛みしめ、両目を思いきり見開いて脂汗を流していた。

 ヒーロー令嬢としてのお仕事中ではなく、ブライヴェートの時間。

 ために、大胆不敵なミニスカステージ衣装ではなく、ボサボサ髪の三つ編みに瓶底メガネ、完璧すぎるスタイルを隠すためのダボダボの服といういつもの格好。

 その格好で立ち尽くしたままかおるは、両手を握りしめ、脂汗を流しながら心のなかで呟いている。

 ――今日は休日、今日は休日。お仕事がない、お仕事がない。

 お仕事がない、お仕事がない、と、まるで呪文か、装式の際のお経のように心のなかで唱えつづける。服装はどうあれ、一〇代の少女――あくまで、外見的には――が拳を握りしめ、脂汗を流しながらひとり、ジッとたたずんでいるのだ。

 ――なにしてるの、あの子?

 という奇異な視線を送られることも当然、ある。

 そんな視線にも気づかず、かおるはただひたすらに『お仕事がない、お仕事がない……』と、心のなかで繰り返している。

 突然――。

 クワッ、と、瓶底メガネの奥の大きくて澄んだ目が見開いた。天を仰いだ。両拳を握りしめたまま、心のなかだけで叫んだ。

 ――なにすればいいのおっー⁉

 まさに、魂の絶叫。

 その叫びを、実際に声に乗せて放たなかったのは賢明だった。

 中身はどうあれ、肉体はヒーロー令嬢、カリン・カリオストロ。もし、本当にそんな絶叫を放っていたら、その声は史上最強最悪の音響兵器と化して半径一〇〇キロ圏内の窓ガラスという窓ガラスすべてをぶち破り、建物を砂山へとかえ、道行く人々の骨を砕いて軟体動物へとかえていた。

 さらに、宇宙にまでも轟き、音の直撃を浴びた月がその身を震わせ、軌道を狂わせ、星の重力に引かれて落下してきていたにちがいない。

 そんなことになっていれば月と大地の衝突によって膨大な破片が大気中に巻きあげられ、それらが漂い、太陽の光を遮り、地上は想像を絶する冬の時代に覆われ、すべての生物が死に絶えていた。

 そうならないよう心のなかだけの絶叫に抑えたのはさすが、三〇代社会人の分別、というものだった。

 ただ単に、人の注目を浴びる大絶叫をあげるなど小心者にはハードルが高すぎただけ、という説もあるが。

 それはともかく、かおるはそうして心のなかで大絶叫をあげるほどに途方に暮れていたのである。


 「お嬢さまはこちらの世界に来られてから、一度もお休みをとっておられません」

 先日、突然、メイドのほたるにそう言われた。

 言われてかおるは瓶底メガネの奥の大きな目をパチクリさせた。

 「えっ? そうだっけ?」

 と、間の抜けた声をあげてしまった。

 なにしろ、こうして花恋かれん・カリオストロの肉体に精神を転移させられる前までは、アパートと会社を往復するだけの毎日を送っていた三〇代社畜干物女。

 以前の生活パターンに馴染みすぎていて、休みのないことになど気づいていなかった。故郷のブラック企業経営者たちが知れば、

 「君こそ我が社の求める人材だ!」

 と、競って獲得に乗り出したにちがいない。

 「で、それがなに?」

 執務室のデスクに座り、書類の山を前にしたままかおるは尋ねた。小首をかしげ、キョトンとした表情を向ける。

 ボサボサ髪の三つ編み瓶底メガネ姿だというのに、胸を射貫くほどのかわいいオーラが放たれるのがさすが、絶世の美少女の肉体。そのことを自覚していないだけに逆に破壊力が増している。

 もし、その辺の男が見ていれば、一瞬で心を奪われて下僕と化しているであろうその態度も、ほたるには通用しない。

 クールな『シゴデキ』メイドらしい、ビジネスライクな態度で告げた。

 「カリオストロ家当主であらせられるお嬢さまがお休みなしに働かれていては、使用人たちが休めません。使用人たちに溜まっている有休を消化してもらうためにも、お嬢さまには休みをとっていただきます」

 有休?

 なにそれ、おいしいの?

 という暮らしをしてきたかおるも、さすがにその存在ぐらいは知っている。

 『イエティという名前は知っている』

 というレベルの認識ではあるが。

 「あたしに気を使わないで、休んでくれていいのに」

 「ですから、ご領主たるお方がお休みなしでは、下のものは休めないと申しあげているのです」

 「でも、あたし、お仕事なしだとなにしていいかわからないし……」

 「それは、お嬢さまのご都合。上のものの都合で下のものに劣悪環境を押しつけるなど、ポリコレ違反だとして糾弾されます。領地の名誉のため、なにをすればいいかわからなくてもお休みをとってください」

 「本音は?」

 「ここしばらく、ヒーロー令嬢としてのお仕事がつづいていたので、未鑑賞の円盤が溜まっているのです。そろそろまとめ見しないことには、ストレスが爆発してしまいます」

 「それこそ、あたしに気兼ねしないで見ればいいじゃない。どうせ、ヒーロー令嬢のお仕事なんて週に一度なんだし」

 「……わかりませんか?」

 「なにが?」

 「ノリの悪いお嬢さまにいられては、大コスプレ円盤鑑賞大パーティーを開けないと言っているのです! さっさと出て行って、次の放送日まで帰らないでください!」

 その叫びと共に――文字通りに――尻を蹴りとばされ、屋敷を追い出された。

 領地内の町では顔見知りも多くて身分バレしやすいので、こうして遠くはなれた王都までやって来た。ここなら顔見知りもいないはずだし、正体がバレることもないだろう。それにしても――。

 ――ほんっとうに、やることないんですけどぉっ!

 もう、心のなかで叫びながら笑うしかない。

 自分が花も実もない社畜女であることは重々、承知していたが、こうして実際に休日を与えられると本当になにもすることがない。

 と言うか、なにをすればいいのかわからない。

 「お屋敷にいれば、ヒーロー令嬢のお仕事はともかくとして、領主としてのお仕事が山積みで朝から夜までお仕事、お仕事。『なにもやることがない!』なんてことはなくてすんでいたんだけどなあ」

 かおるは両腕を胸の前で組み、首をひねりまくって悩みまくる。

 「だいたい『次の放送日』って、なんなのよ。あたしはテレビ番組に出演してるわけじゃないのに。でも、とにかく、一週間の休日を与えられて放り出されたわけだから、その休暇をきちんと消化するのがあたしのいまのお仕事っていうことよね。お仕事ならきちんとやり遂げないとね」

 休日なのにやることがない。

 なにをすればいいのかわからない。

 せっかくの休日を『仕事』としてしか捉えることができない。

 そのことを『かわいそう』と自覚することもできない、果てしなくかわいそうな社畜干物女のかおるであった。

 「こっちの世界に来る前までは、お休みの日ってなにをしてたっけなあ。覚えてないなあ。もしかして、一日中、寝てるだけだったとか? さすがに、それはないと思うけど、あたしのことだからなあ。そんなこともあったかもなあ」

 腕を組みながら『う~ん、う~ん』と、悩みつづけるかおるであった。

 「唯一の趣味、と言うか、楽しみと言うか、は、ハーブの栽培だったのよねえ。天井からいくつかのポットを吊るしてバジルとか、セージとか育てて。育った葉っぱを使って料理に彩りをそえるのが楽しみだったのよねえ。

 『友だちもなく、恋人もなく、趣味もなく、お仕事、お仕事。そんな生活でもこの子たちはあたしをまってくれている。あたしのために日々、成長して、おいしいお料理やお茶になってくれる』

 そう思うだけで、なんかこう『生きる気力』みたいなものが湧いてきたのよねえ。あ~、懐かしくなってきちゃった。あの子たち、元気にしてるかなあ。本物の花恋かれんさま、ちゃんとお世話してくれているといいけど」

 さかんに首をひねりながら、そんなことをブツブツ言いつづける。

 そんなかおるを見る行き交う人々の視線は、ますます奇異なものを見るものになっていた。自然とまわりを避けて通るようになり、いつの間にかかおるの周囲には絶対無人領域が展開されていた。そんなことにも気づかない、かわいそうなかおるであったが。

 「でもまあ、こっちの世界ではそんなこともしていられないし。なにか適当な休日お仕事を見つけないといけないんだけど。でも、この体って実年齢はともかく、見た目的には一六歳なのよね。だったら、その年代にふさわしいことしなくちゃいけないとは思うんだけど、一六歳の休日の過ごし方って言うと……」

 ――それこそ、なにすればいいの⁉

 と、パニックに陥るしかないかおるであった。

 一応、かおるにだって一六歳の頃はあったわけで、花の女子高生生活をしていた頃もあったはず。しかし、そんな時代はとうの昔に霧の彼方。思い出そうとしてもろくに思い出させない。

 ――いや、って言うか、あたしって、高校生の頃も家と学校の往復ばっかりで、勉強ばっかりしてなかった? 土日も家か図書館で課題ばっかりやってたような気がするんだけど……。

 さすがにこれはヤバい、と、自分の人生の貧しさに気がつき、ダラダラと脂汗を流しはじめるかおるであった。

 古式ゆかしい蝦蟇がまの油売りが見かければ、さっそく容器を取り出して汗の採取にとりかかっていたにちがいない。

 「と、とにかく、町のなかを歩いてみよう。こんなに大きな町なんだもん。歩いていればきっと、なにかしら見つかるよね」

 そう自分に言い聞かせ、ようやく歩きだすかおるであった。

 

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