五章 素晴らしき哉、婚約破棄
「公爵令嬢、
「破棄する!」
「破棄する!」
「破棄する!」
まさに、この目的のために開催された舞踏会の会場、その場において
おお、と、会場がざわめいた。
会場を埋め尽くす紳士淑女たち、すべての目が、耳が、注目が、堂々と背筋を伸ばし、腕を前に突き出し、左右の脚を前後に並べた姿勢でたたずむ
「おお、これは。なんと立派な婚約破棄だ」
「力強い眼差し、まっすぐに伸びた背筋、前に突き出された腕と両足の角度。すべてにおいて完璧」
「技術点、芸術点共に文句のつけようがない」
「……うう、なんということだ。この歳になって、これほど見事な婚約破棄を見られようとは」
「うむ、まさしく。わしは五〇年、婚約破棄を見てきたが、この婚約破棄はいいぞ」
その声と共に、審査員たちが手にてに採点評を掲げる。
一〇点、
一〇点、
一〇点、
一〇点、
一〇点、
五〇点!
おお、世界よ。
褒めよ、
讃えよ、
喜びに満ちよ。
いまここに、歴史上はじめて、五〇点満点を達成した婚約破棄が行われたのだ!
その快挙に会場内のざわめきは興奮へとかわり、さらに祝福へと進化する。
会場中の注目、それも、圧倒的な支持の注目を浴びて、
眼差しは力強さを増し、口もとには自信の笑み。勝者の余裕を浮かべながら、師匠仕込みの完璧な立ち姿勢のまま
そのなかでただひとり、会場中のすべての注目と支持を
薔薇色の凜! とした唇が開き、そこから凜! とした言葉がほとばしる。
「それは、どういう意味なのです?」
「どうもこうも、そういう意味だ」
「そういう意味だ」
「そういう意味だ」
「そういう意味だ」
「
「尽きたのだ!」
「尽きたのだ!」
「尽きたのだ!」
「おれはこの国の第一王子、王太子だ! である以上、おれにはすべての仕事と面倒事を家臣に押しつけ、素直で従順な嫁にとことんまで甘やかされ、際限なく国庫の金を使って酒と賭博にうつつを抜かし、日々、美食に明け暮れ、子作りの名目で女たちと
『王太子たるもの、一朝ことあらば身を張って国民を守らなければなりません』
『王太子たるもの、国民の暮らしを守るために政治・経済・歴史、あらゆる分野について学ばなくてはなりません』
『王太子たるもの、自らの暮らしを支えてくれる民に報いるため、己を捨てて、民のために尽くさなければなりません』
などと義務と責任ばかりを押しつける!」
「押しつける!」
「押しつける!」
「押しつける!」
「お前の言うとおりにしていてはおれは一生、国民のために身を粉にして働きつづけなければならないではないか! そんなのはごめんだ! おれは働きたくない、絶対に働きたくないんだ!」
「ないんだ!」
「ないんだ!」
「ないんだ!」
「よって、
「送るのだ!」
「送るのだ!」
「送るのだ!」
「おお、なんということだ。言っていることは最低だが、ああも立派な姿勢で言うからには正しいにちがいない」
「うむ。言っていることは許されないが、ああも立派な姿勢で言うからには正しいにちがいない」
「まさしく。言っていることは王太子どころか人間として失格だが、ああも立派な姿勢で言うからには正しいにちがいない」
言葉の内容はどうあれ、語る際の立ち姿勢の見事さによって人々を魅了し、虜とし『自分こそが正しいのだ』と信じさせる。
それこそが、ぬらりひょん流婚約破棄道。
その奥義のすべてを身につけた免許皆伝たる
会場はたちまち
いまや、会場のすべては
悲嘆に暮れるような侍令嬢ではない!
凜! とした表情のまま、
凜! とした立ち姿のまま、
凜! とした声で逆に宣言する。
「なんと見下げ果てたことを。それが、一国の王太子の言葉かと思うと情けなくて涙が出る。ブシード王国王太子、
「ふん。まだ自分の立場がわかっていないようだな、
「いないようだな」
「いないようだな」
「いないようだな」
「会場を埋め尽くすすべての出席者に問う! 正しいのはおれか、それとも、この傲慢な小娘か⁉」
「おお、なんと見事な立ち姿勢」
「あれぞ、まさに芸術の立ち姿勢」
「まさに、あれこそ至高の立ち姿勢」
「あれほどに立派な立ち姿勢から放たれる言葉がまちがっているはずがない!」
その叫びと共に拳が突きあげられ、会場中にひとつの名が連呼される。
「
その叫びの嵐を
「わかったか、
そして、殺到する衛兵たち。その手に抜き身の剣をもち、侍令嬢を拘束しようと殺到する。その数、およそ一〇〇人。
たったひとりの、それも、ドレス姿で無防備の
まさに、絶望。
その言葉を絵画として、黄金の額縁をつけて飾りたてたような、その光景。
そう。
悲嘆に暮れただろうか?
涙を流しただろうか?
否。
断じて、否!
侍令嬢の瞳は常に信念に満ちて美しく澄みわたり、涙で曇ることなど断じてない!
一閃、
二閃、
三閃――。
するどい光がその場に走り、一〇〇人の衛兵が倒れ伏した。
いつの間にか、
「リ、
「あったな!」
「あったな!」
「あったな!」
「愚かなことを。王太子たる身分であればいつ、なんどき、暗殺者に狙われても不思議はない。ことあらば夫の身を守って戦うは妻として当然の勤め。ならば、肌身はなさず武器を携帯するのも当然。さあ、覚悟するがいい、
「そ、そんなことを言える立場か⁉ 会場すべて、おれの味方なのだぞ!」
「なのだぞ!」
「なのだぞ!」
「なのだぞ!」
「世間の評価など無意味! 王侯貴族たるもの、己が身を犠牲にして国民に尽くすべし! その正義が揺らぐことはない!」
その宣言に――。
恐怖に駆られた。
息を呑み、呼吸がとまった。
いまにも心臓発作を起こしそうなその表情。
そこに一歩、また一歩と侍令嬢が凜! とした足取りで近づいていく。
「さあ、覚悟するがいい、
凜! とした視線で見つめられ、
そのままなら
その未来を覆す、ひとつの声。
「さすがは名にしおう侍令嬢。我が弟子たちの手に負える相手ではなかったようだ」
その声と共に表われたのは、着流し姿の端然たる老紳士。
ぬらりひょん流婚約破棄道第二四六代家元、
「お師さま! なぜ、ここに⁉」
「ここに⁉」
「ここに⁉」
「ここに⁉」
「ふっ。弟子の尻ぬぐいは師の勤めゆえな。おぬしたちがしくじったときに備えて待機しておった」
「お師さま!」
「さあ、ものども! 侍令嬢を捕えよ!」
その場はたちまち侍令嬢と、無数と言ってもいい数の軍人たちとの戦いの舞台となった。
無数の軍人を相手に一歩も引かず、剣を振るう侍令嬢、その瞳には一点の曇りもなく、涙の流れる兆しさえありはしない。
鳴りひびくは剣戟の音。
きらめくは白刃。
ないものは
その人は決して表われない。
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