六章 ヒーロー令嬢最大の危機

 「どーするの、どーするの、どーするのよおっ⁉」

 思わぬ展開にかおるは思わずパニック状態。両手をかわいく振りまわして隣にたたずむほたるをポカポカ殴る。

 まだ、ヒーロー令嬢への変身前とあっていつもの普段着。ボサボサ髪を三つ編みにして、瓶底メガネをかけ、ダボダボの衣服という格好である。

 舞踏会会場の奥まった廊下。その壁の陰に隠れて、こっそり様子をうかがっている最中のことだった。

 ちなみに、ふたりの後ろにはチアリーダーの衣装に身を包んだ千人のメイドが胸の谷間とヘソと、そして、太ももとを大胆に露出し、両手にボンボンをつけた格好で待機している。

 「令嬢おとめの涙が流れなかったら、ヒーロー令嬢は登場できないんでしょ⁉ このままじゃあの人、やられちゃうわよ!」

 「……たしかに」

 と、ほたるもめずらしく神妙な面持ち。

 「これは少々、困りました。さすがは名にしおう侍令嬢。こんなことで涙を流すほど柔弱ではありませんでしたね」

 「感心してる場合じゃないでょおっ! 見てよ、もう! 武器をもった軍人たちがどんどん集まってきてるじゃない。たったひとりの令嬢おとめ相手に大の男がよってたかって攻めかかるなんて卑怯よ、反則よ!

 ああ、凜花リンファさま、がんばって! すごい、すごい、すごい! 集まってくる軍人たちをサーベル振るってバッタバッタとなぎ倒してる! きゃあ~、カッコいい!」

 「……これは、困りました。歓声を浴びるべき立場のヒーロー令嬢が、歓声を送る側になってしまうとは。これはまさに、ヒーロー令嬢最大の危機」

 ほたるはその愛らしい顔に苦虫を噛みつぶした表情を浮かべて言ってみせる。

 「ああ、でも、次からつぎへとどんどん出てくるじゃない! これじゃキリがないわよ、なんで、舞踏会の会場にあんな大勢の軍人が待機してるのよ⁉」

 「当然です。あのものたちは軍人に変装した、コンヤ・クゥ・ハッキの戦闘員たちですから」

 「ええ~、そうなのおっ⁉」

 「そうです」

 「じゃあ、なおさら大変じゃない! いくら凜花リンファさまでも無限に湧き出る戦闘員相手にしてたら、いつかは疲れて戦えなくなっちゃう! あんな素敵なお姉さまにいなくなられたら、世界の損失よ!」

 「『お姉さま』って……凜花リンファさまは、お嬢さまよりも歳下ですよ?」

 ほたるはわざわざそのことを指摘した。ちなみに、ここで言う『お嬢さま』とは花恋かれんのことではない。そのなかの人、三枝さえぐさかおるのことである。

 本物の花恋かれんと比べればもっと、はるかに、果てしもなく歳下ということになる。

 「あんなすてきで、凜々しくて、カッコいい女性なんだから『お姉さま』でいいのよ!」

 そう断言してから、両手をブンブン振りまわす。

 「ああ、でも、どんどん出て来る! 大変、大変、大変! 早く助けに行かないと……!」

 「ですが、まだ令嬢おとめの涙が流れていません。ヒーロー令嬢登場の条件が整っていません」

 「そんなのいいじゃない! 今日のところはそんなの飛ばして、早く助けに行こう!」

 「駄目です! 

 『令嬢おとめの涙が流れるとき――。その人は必ず表われる』

 このナレーションなしにヒーロー令嬢が表われることなど、視聴者が許してくれません」

 「視聴者って誰よ⁉」

 「わたしです」

 「あんまりだあっ!」

 ほたるの答えにかおるは絶望。

 天井を仰いで泣き出した。

 ただし、いまは物陰に潜んでこっそり盗み見している身。そのことをわきまえ、普段よりもずっと小さな泣き声である。

 ちなみに、その後ろでは、そろそろ待機しているのに飽きてきたのか、千のメイドたちがあくびなどしはじめている。

 そのなかでほたるはちょっと小首をかしげた。少し、考え込んでから呟いた。

 「……ですが、たしかに、このままにはしておけませんね。なんだか、あの方、メチャクチャ強くて片っ端から倒していますし。このままだとコンヤ・クゥ・ハッキの戦闘員全員、返り討ちにしてしまいそうです。そんなことになったらヒロイン交代。それは、わたしとしても困ります」

 「あたしは大歓迎!」

 かおるの叫びに、ほたるは決意した。

 「仕方ありません。ここは、少しばかり介入して涙を流してもらうとしましょう。反則ではありますが、視聴者にバレなければ問題ありません」

 いったい、誰のことを言っているのか、『視聴者』というワードにこだわるほたるであった。

 「なんでもいいから早くぅっ!」

 かおるは両手を振りまわしてポカポカとほたるを叩く。そのほたるの体が突然、消えた。小さな虫――正真正銘のホタル――に変身し、プ~ンと音を立てて飛んでいく。

 行き先は侍令嬢、凜花リンファのもと。

 次からつぎへと表われる軍人――その正体はコンヤ・クゥ・ハッキの戦闘員――相手に奮戦をつづける侍令嬢の後ろに回り込み、プリッとしたヒップにとまる。そして――。

 カプッ、と、小さな音を立てて虫の口で侍令嬢のヒップに噛みついた。

 「アウチ!」

 いきなりの刺激に侍令嬢にあるまじき声を出し、飛びあがる。その拍子に凛々しさを極めた瞳から思わず涙がひとしすぐ。最上級のアラバスターのような肌の上を、涙はコロコロと転がりおちる。

 その涙のはじき方はさすがの肌の張り。お肌の曲がり角に至った女性すべてがねたましさに発狂しそうな見事なものだった。

 一粒の涙が頬を伝い、顎にいたり、そこから落ちる。

 そのまま重力に引かれて落下して、床に落ちて冠の形にはじけて、消えた。

 令嬢おとめの涙が流れるとき――。

 その人は必ず表われる。

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