三章 侍令嬢・凛花

 「びえええええ~ん!」

 「うわああああ~ん!」

 「ぐぎゃうわああ~!」

 「ママぁ~!」

 ブシード王国宮殿。

 その中庭。

 一〇〇の庭師たちによって丹精込めて育てられた薔薇の花々がかぐわしい香りを放ち、千年の伝統を誇る噴水が涼しげな水の花を咲かせている。

 木の枝には色とりどりの小鳥たちがとまり、互いに相手の毛繕いをして仲むつまじく過ごしている。

 そんなおだやかにして和やかな雰囲気をぶち壊す四つの泣き声。

 駄々をこねる三歳児ですら恥ずかしく思うようなみっともない泣き声。

 その泣き声をあげているのは三歳児ではない――少なくとも、実年齢は。精神年齢は定かではない――。

 二十歳はたちをとっくに過ぎた、れっきとした成年男子たち。ブシード王国第一王子たる伊達だて・ブシードとその三人の取り巻きの男たちだった。

 「情けない。この程度で泣き出すとは、それでも第一王子とそのご学友ですか」

 凜! とした声が泣き叫ぶ四人の成人男子の上に降りそそぐ。

 その鋭さ、まさに言葉の白刃。男どもの心どころか、その肉体そのものをまっぷたつにするかのような切れ味だった。

 白刃のごとき言葉で四人の男どもを斬り捨てたのは、剣士の装束に身を包んだひとりのうら若き令嬢おとめ。右手にサーベルを握り、左手を腰につけ、その背をまっすぐに伸ばして立っている。

 その姿。

 まさに『男装の麗人』と題せられた絵画のよう。穏やかで美しい庭園の雰囲気にピッタリとはまり、まさに至高の風景。

 実際、この令嬢おとめの立ち姿を絵にして売り出させば、国中、いや、世界中の少女たちと貴婦人たちがこぞって買い集めるにちがいない。

 それほどに、絵になっている。

 その令嬢おとめの名を凜花リンファ・スワロウターン公爵令嬢。

 ブシード王国随一の美貌と剣の腕をもって知られる王国の至宝。

 人呼んで侍令嬢。

 そして――。

 第一王子、伊達ダテ・ブシードの婚約者。

 サーベルを手にしたままの侍令嬢は凜! とした視線で婚約者とその取り巻きたちを見つめ、凜! とした声で言った。

 「五〇メートルダッシュ千回、倒立腕立て五千回、両足を木の枝にくくりつけ、頭部に三〇キロの重りをつけての腹筋一万回、そのついでに二時間ばかり足捌きの練習をしただけではありませんか」

 「ご、拷問だ、虐待だ! どこの世界にそんな無茶苦茶な特訓をいるやつがいる⁉」

 「ほんの準備運動です。本番はこれから。わたしとの模擬戦です。ひとり、一〇〇回!」

 殺されるぅ~!

 と、四人の成人男子は屠殺とさつに引かれるブタも恥じらう悲鳴をあげた。

 「な、なんで、おれがそんな無茶苦茶な特訓をしなくちゃならないんだ⁉ おれはこの国の第一王子、王太子なんだぞ! 仕事はすべて部下に任せ、玉座にふんぞり返って朝から晩まで子作りに励んでいればいい身分ではないか!」

 「お黙りなさい! 王太子の身だからこそ、心身共に鍛えあげなくてはならないのではありませんか。そんな柔弱なことで一朝ことあったとき、どうして国を守れるというのですか」

 「お、おれに前線に出ろというのか⁉」

 「当たり前です。王太子たるお方が、すべての兵士と国民に自らの背中を見せずにどうするのです」

 「ふざけるな! おれは王太子だぞ! そんな苦労はすべて部下に任せ、のんべんだらりと暮らす権利があるんだ!」

 「殿下がそうして暮らしていられるのは、すべて国民の働きあってこそ。国民の手によって養われる身であれば、無条件に国民を守る義務を負う。それこそが、王侯貴族の誇り。王太子たるお方が率先してその誇りを示さずしてどうしますか!」

 「ふ、ふざけるな! おれは前線になど出んぞ! そんな恐ろしいことをしてたまるか!」

 「なるほど。つまり、外交によって平和を保つ道を選ぶと。そう言われるのですね。ならば、そのための勉学に励むといたしましょう。まずは各国との円滑な交渉のために各国の語学と歴史を学び、交渉術にディベートの基礎。

 さらに、他国に攻め込まれないようにするためには国力の充実が欠かせません。民を率いるための帝王学、民生のための経済・技術・輸送の各分野。ざっと、一日七二時間ばかり、それらの勉強にあてるとしましょう」

 「丸々三日分じゃないか! そんな時間があるわけないだろ!」

 「七二時間分の学習を一日で収まるように圧縮して学ぶ。それが、学習術というものです。さあ、参りますよ、殿下及びご学友の方々。座学の前に、、わたしとの一〇〇回の模擬戦もあるのですから怠けている時間などありません」

 「うわああああ~ん!」

 駄々をこねる三歳児でもその姿を見て自分の振る舞いを正す。

 そんな情けない泣き方をしながら、凜花リンファに襟首をつかまれて引きずられていく四人の成人男子であった。


 「……ぐす、ぐすぐすぐす。もういやだ、もういやだよぉ~。おれって、なんてかわいそうなんだ。世界一不幸な男の子だぁ~」

 「おれたちだって」

 「おれたちだって」

 「おれたちだって」

 ぐすぐすと情けなく泣きくずれる伊達ダテのまわりで、三人の取り巻きたちも同じように涙に暮れている。とめどもなく流れる涙を拭きつづけている袖はすでにグショグショ。そこから涙がぽたりぽたりと垂れているほどである。

 「……おれは働きたくないんだ。絶対に働きたくないんだ。一国の王子、それも、王太子に生まれたからには一生、のらくらして、いばりちらして、ワガママ言って、面倒事はすべて家臣に押しつけて、とことん甘やかしてくれる素直で従順な妃をもち、日がな一日、酒と賭博に明け暮れ、子作りの名目で女たちとたわむれる。そんな暮らしができるはずだったのにぃ~」

 「おれたちだって」

 「おれたちだって」

 「おれたちだって」

 と、三人の取り巻きたちは涙に暮れながら言いつづける。

 「王太子とねんごろになって、おこぼれにあずかって一生、働かずにすむ人生を手に入れようとして、全力で取り入り、媚を売り、おだてて、すかして、全知全能を傾けてようやく学友の立場を手に入れたのにぃ~」

 「……あんな鬼嫁が婚約者になったせいで、すべて台無しだぁ~」

 「おれたちの人生、終わりだぁ~!」

 と、ワンワンと泣き叫びながらの取り巻きたちの声が見事に唱和する。

 ひとしきり泣いたあと、伊達ダテがすでにグショグショで涙を拭くどころか、顔を濡らす役にしか立たない袖で目を拭った。そこにはいままでとはまったくちがう決意を込めた表情だけがあった。

 「……こうなったら婚約破棄だ。婚約破棄して凜花リンファのやつを追放し、素直で従順でとことん甘やかしてくれる婚約者を手に入れるしかない」

 「婚約破棄?」

 「婚約破棄!」

 「婚約破棄‼」

 夢と希望に満ちたその言葉に三人の取り巻きたちの顔が一斉に輝いた。

 「しかし、どうやって? 婚約破棄を成功させるのは万馬券を当てるよりもむずかしいと言いますよ?」

 「そうそう。九蓮宝燈チューレンポウトウよりも成功率は低いとか」

 「つまり、三三万回以上、おこなって一回、成功するかどうかという確率と言うことか」

 「さ、さすがにそれは無茶すぎるんじゃ……」

 「婚約破棄なんてたいがい、やった側がひどい目に遭うって言うし……」

 「安心しろ」

 不安に駆られる取り巻きたちに対し、伊達ダテはやけに自信ありげに答えた。凜花リンファがそれを見ていれば、

 「日頃からそれぐらい自信に満ちた態度でいればいいのです」

 と、言ったことだろう。

 伊達ダテ凜花リンファにさえ褒めてもらえる態度のまま言った。

 「そのあり得ない確率を、現実的な数字にまであげられる場所があるんだ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る