三章 史上最凶の婚約破棄
ある日、当の
かつては、シリヲペンペル公国でも随一と言われたその美貌もいまでは見る影もない。
そんな
そこにはまぎれもなく同情とそして、正義の怒りとがあった。
「
「
「あの御仁は酔いつぶれて寝ておられます。だらしなく
そう語る
そこにあるものは、嫌悪ではない。
正義の怒り、そのものだった。
「単刀直入にお聞きします、
言われて
「婚約者が……」
「はい?」
「わたしの婚約者が牢獄に繋がれているのです。あの男は、
「それは……」
「わかっているのです!」
もう耐えられない!
そんな思いの爆発だった。
「わかっているのです、わたしだって。こんな状況を放っておいてはいけない。立ちあがり、
そんな
「……我、確信せり、あのものに婚約破棄させるは正義なり」
そして、その日はやって来た。
「
他者を嘲ることだけを目的としたその口調。相手が自分に逆らえないことを確信し、安全な場所からいたぶり抜くことにこの上ない喜びを感じる笑顔。その笑顔の卑しさはまさに、天性の卑怯者。
「国内一の美女と言うからわざわざ婚約者にしてやったというのに、いまのきさまはなんだ。すっかりやつれ果て、色気の欠片もないババアではないか。そんなクズはおれさまにはふさわしくない! おれさまにふさわしいのはこの
相手が屈辱にまみれることを確信し、そうしてやることに喜びを覚える卑しい笑み。その笑みを浮かべたまま、天性の卑怯者はそう告げた。だが――。
その叫びと共にパーティー会場に広がったもの。
それは、喜び。
――これで、
その思いが会場のすべで一斉にわき起こり、海の底深くから静かに浮きあがり、ついには島をも呑み込む巨体となって破裂する泡のように爆発した。
歴史上、これほどまでに人々から喜ばれた婚約破棄はあるまい。
万人にそう納得させるだけの光景だった。
――これで、
すべての人の心に湧きあがったその安堵の思い。それにつづくものは、
――これでもう、遠慮はいらない!
――
その思いあればこそ、いままで
その
そうなればもう、いかなる遠慮もいらない。堂々と叛旗を翻し、
その思いが人々の心に津波のように伝わり、その場は灼熱の怒りが吹きあがる寸前となった。
そのことに気がつかないのは自分のしでかしたことの意味に気がついていない
ひとつの悲痛な声が響いた。
「まってください!」
他ならぬ
「それでは、あの人は……
人々も息を呑んだ。
「安心しろ。首を
その言葉に――。
会場すべてが凍りつく。
時が凍り、居並ぶすべての人が恐怖と驚愕の表情を張りつかせたまま氷の彫像となった。
完全なる沈黙。
その沈黙を破ったのはひとつの悲鳴。
うら若き
「うわああああっ!」
いくら、怒りに駆られていようが、そしてまた、
いくら
そのまま床に転がった。
鼻から流れた血が床を赤く染めあげた。
人々が声を失うなか、響きわたるは
「ははは、愚かものめ! おとなしく従っていれば追放だけですませてやったというのにな。よりによって大公殿下ともあろうお方に拳を振りあげるとは。これできさまはれっきとした反逆者。法にのっとり、処刑してくれるわ」
その叫びと共に
その双眸から一筋の涙が流れ落ちた。
それは断じて悲しみの涙ではない。
怒りの涙。
そして、大切な婚約者の仇をとることもできない自分自身のふがいなさを罵る悔し涙。
しかし、涙は涙。
その人は必ず表われる。
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