敵の名はコンヤ・クゥ・ハッキ!

一章 蘇る婚約破棄

 シーホース王国。

 大陸の北方から中央にかけての巨大な領土をもつ大陸最強国家。そのなかの片隅、人のよりつくことのない闇の底深くでいま、一度は滅びたはずの巨大な悪が蘇ろうとしていた。

 「コンヤ・クゥ・ハッキー!」

 「ハッキー!」

 薄い布によって仕切られた最奥の部屋。そのなかに座し、シルエットだけを幕に映しだしている大首領の声に応じ、二列に並んだ戦闘員たちが片腕を掲げ、唱和した。

 そこは、誰も知らぬ秘密の世界。四方を囲む壁一面におぞましい邪神の像が彫り込まれ、その妖しい目でその場に居並ぶものたちを睥睨へいげいしている。

 その場は闇に包まれ、すぐ隣にいるものの顔を見るのにさえ苦労するほど。居並ぶ戦闘員たちがその手に小さな燭台しょくだいをもち、そこに細い蝋燭ろうそくが刺さっている。蝋燭ろうそくの先端には、ゆらゆらと揺らめく小さな炎が灯っている。そのわずかばかりの炎が場を支配する闇をより濃く、深いものに見せている。

 薄手の幕に己の影だけを映しながら、大首領は宣言する。

 「コンヤ・クゥ・ハッキ! いまこそ、我らは蘇りたり!」

 「ハッキー!」

 と、左手に燭台しょくだいをもち、右腕を高々と掲げた戦闘員たちが再び、唱和する。全身をタイツに包み、同じ意匠のマスクを着けたその姿はさながら丹念に彫り込まれた彫像のよう。しかし、彫像ではない。たしかに、生きた生物たちである。そのことは、首領の声に唱和する声ではっきりとわかる。

 大首領の声が闇のなかに響き渡る。

 「忌々いまいましくも我らはかつて、ヒーロー令嬢に敗れ、闇の奥深くに封印された。だが! 人間どもに婚約破棄を望む心がある限り、我らは不滅! 今度こそ、この世界を我らの手に握るのだ!」

 「ハッキー!」

 「でよ、婚約こんやく破人はじん狂闘きょうとうXXダブルエックス!」

 「おおっー!」

 大首領の声に応じ、地鳴りのような声が響いた。ズシズシと自信のような足音を立てて巨大な影が闇のなかを歩き、大首領の前にやってきた。

 「婚約こんやく破人はじん狂闘きょうとうXXダブルエックス御前ごぜんに!」

 吠えるようにそう語るその姿。

 おぞましいほどにみにくいブタの顔。落ちくぼんだ小さな目。突きだした長い牙。いやらしい泡を吹きだす口元。クマさえも貧弱に見える、分厚い筋肉の鎧に包まれた肉体。そして――。

 股間にそそり立つ巨大な男根。

 それは、一体の巨大な雄オークだった。

 「狂闘きょうとうXXダブルエックス! きさまに命じる! いまより、我が婚約破棄力をもってきさまを人間の女にかえる。若く、美しい女の姿にだ。その姿をもってシーホース王国第三王子・光流ひかるをたらし込み、婚約者、笑美えいみ・ローズミント公爵令嬢に対する婚約破棄を行わせるのだ!」

 「おおっ!」

 巨大な雄オーク、狂闘きょうとうXXダブルエックスは吠えた。その鼻息ひとつであたりの戦闘員が吹き飛んでしまいそうだ。

 雄オークの全身を大首領の婚約破棄力が包み込む。おお、するとどうだろう。みにくい巨大なオークがたちまち若く、美しい人間の女、それも、男好きする妖艶ようえんな美女に変化したではないか。

 「行け、狂闘きょうとうXXダブルエックス! 雄であればこそ、もっとも雄好きのする雌を演じることができる。いまより『黒愛くろあ・クロッカス』を名乗り、婚約破棄の嵐を吹きあらすのだ!」

 「ははっー!」

 いまや、その身のみならず、声までも完全に妖艶ようえんな美女となった狂闘きょうとうXXダブルエックス――黒愛くろあ・クロッカスは大首領の御前ごぜんにひざまづき、その任務を拝命はいめいしたのだった。


 シーホース王国の闇の奥。人間たちの誰ひとりとして気づくことのない闇の奥深くから放たれる陰謀。しかし、ただひとり、そのことに気がついたものがいる。

 ほたる

 シーホース王国きっての大貴族、北方に広がる神秘の森をあずかるカリオストロ辺境伯家のメイドである。メイド服に身を包んだ可憐な少女の姿はしていても、その正体はこの世のすべての風を友とし、あらゆるうわさを聞き集め、世に広めることを生業なりわいとする風虫ふうちゅうぞく。その風虫ふうちゅうぞくであるほたるはいま、大陸中に張り巡らしているマジックネットから送られてくる情報を精査し、巨悪の復活を探知したのだった。

 「……やはり。ここ最近、婚約破棄が異常な数に増えているので、もしやとは思っていたけれど。国を包む婚約破棄力が明らかに増えている。コンヤ・クゥ・ハッキが封印から解かれたのだわ。お嬢さまにお伝えしなければ!」

 使命感に燃えるメイド少女は立ちあがると、長いスカートをひるがえして情報室を出て行ったのだった。


 「お嬢さま。こちらが、今期の小麦の輸入量と金額になります」

 「ありがとう、恵菜けいな

 カリオストロ辺境伯当主・花恋かれん・カリオストロは、屋敷に務めるブレーンのひとりである恵菜けいなから書類を受けとった。

 分厚い瓶底びんぞこメガネに三つ編みにしたお下げ髪。ダボダボのシャツにパンツという色気の欠片もない格好で。その格好であえて、絶世の美少女であるという事実を隠し日々、辺境伯としての仕事に精を出している。

 その正体は日本からの異世界転移者、三枝さえぐさかおる

 しがない三十路みそじ社畜OLであったかおるが、本物の花恋かれん・カリオストロによって強制的に精神交換されてこの世界にやってきてから、はや三ヶ月以上。花恋かれんの体にもすっかり慣れたし、何万という使用人や、領主の仕事を補佐するブレーンたちの顔と名前もようやく一致するようになってきた。おかげで、辺境伯としての仕事はとどこおりなく進んでいた。

 ――みんな、いい人ばっかりで助かったわ。突然、やってきたあたしのことを臨時りんじの主人として認めて、丁寧ていねいに応対してくれるし。きちんと補佐もしてくれる。本当、社畜OLやってたころからすると天国だわ。

 かおるはそう思って、ホッと一息ついた。

 もっとも『臨時りんじの主人』として『受け入れて』くれているということは、それだけこのような事態に慣れているということ。つまり、本来の主人である花恋かれん・カリオストロその人がそれだけしょっちゅう異世界バカンスに出かけては、その世界の人間を自分の身がわりにしているということで、それを思えば少々、腹も立つのだが……。

 ――まったく! お仕事、放り出してバカンスだなんて、無責任にもほどがあるわ。

 と、三十路みそじの社畜OLはプンスカ怒る。

 ――でも、とにかく、いまはあたしが花恋かれんさまなんだから、その分のお仕事はしっかりやらないとね。

 しょせん、悲しき社畜OL。目の前に仕事があれば、片付けないわけにはいかないのであった。

 かおる恵菜けいなに手渡された書類を精読し、顔をしかめた。

 「……小麦の輸入量が七割にさがっているわね。しかも、価格は三割増し。デュラムスペン領でなにかあったの?」

 「はい。デュラムスペン領では冬の間、雨が少なく、小麦の生長が悪かったとのことです。そのため、収穫量が半減してしまったとか」

 「……半減。それは、値上がりも当然ね」

 「はい。輸出できる量も例年の七割が限界とのことです」

 恵菜けいなにそう言われて、かおるは顎に手を当てて考え込んだ。

 「すると、デュラムスペン領でも小麦が不足しているということね」

 「はい。とくに貧困層では深刻で、大量の餓死者の発生も危惧きぐされるとのことです」

 「……そう」

 かおるあごに指を当てて考え込んだ。

 餓死者が出るほどの小麦不足なら輸出なんてしなければいいのに……と、言いたいところだが、そうはいかない。デュラムスペン領は広大な平原を有するシーホース王国随一の穀倉地帯だが反面、穀類栽培に特化してきたため、それ以外にこれといった産業がない。たとえ、領内で小麦不足になろうとも、小麦の輸出をつづけなければ領の財政が成り立たない。

 かおるはしばらく首をひねっていたが、やがて言った。

 「では、こうしましょう。カリオストロ領は領地の大半が森に占められていて、穀類の栽培には向かない。その分、豊かな森の恵みに恵まれているわ。森の恵みを収穫して、デュラムスペン領に送りましょう。その分、小麦の買い取り価格を低くしてもらって。つまり、小麦ともりさちの交換ね。そうすれば、デュラムスペン領は食糧を得られるし、こちらは従来通りの価格で小麦を買いとることができるわ」

 「わかりました。ですが……」

 「なに?」

 「収穫のための人手はいかがいたします? 他領に送れるだけの収穫を得ようとすれば、通常以上の人手が必要になりますが」

 「都市をまわって仕事にあぶれている人たちをつのって。そうすれば、当面の失業対策にもなるわ」

 「かしこまりました」

 恵菜けいなは深々と一礼するとその場をあとにした。入れ替わりに次のブレーンがやってくる。

 「お嬢さま。こちらが昨秋の果実の収穫量となります」

 「ありがとう。でも、グラフを見ると年々、果実の収穫量が落ちているみたいね。なにか、理由があるの?」

 「主な理由はシカによる食害です」

 「食害?」

 「はい。森のなかで牧畜を営む農民たちが家畜を襲うオオカミたちを駆除しすぎた結果、シカが増えすぎてしまったのです。そのため、シカたちが果樹を食い荒らしてしまい、収穫量が年々、減っているのです」

 「それは……厄介な問題ね」

 「はい。農民にとって、家畜を襲われるのは死活問題。しかし、オオカミが駆除され、数を減らしすぎれば、今度はシカが増えすぎて森の木々が食い荒らされてしまう。その点を巡って農民と採集民との間でいさかいが起きはじめております」

 「わかったわ。自然のバランスをくずすわけにはいかない。農民たちにはオオカミを駆除しないよう、あたしから説得するわ。そのかわり、家畜たちを守れるように放牧地を囲う柵を作り、牧羊犬を増やすための予算を計上する。オオカミ駆除が必要なら採集民に任せましょう。採集民ならどれぐらいの数が適性が判断できるはずだから」

 「かしこまりました」

 「それと、シカの数が適正に戻るまでの間、採集民にシカ狩りを奨励しょうれいして。シカ肉を薫製くんせいにすれば、デュラムスペル領に送ることができるから」

 「御意」

 それからも入れ替わり、立ち替わり、次々と案件が持ち込まれる。まったく、一時いっときだって休む間などありはしない。どうにか仕事が終わり、一息つけたのはすでに日付がかわった後のことだった。

 「ああ……」

 と、かおるは大理石製の豪華な湯船に肩までつかりながら伸びをした。

 「やっぱり、この時間が一番、落ちつくわあ。仕事量の多さは大変だけど、社畜OLだった頃はこれ以上だったものね。それも、あの頃はいそがしいばっかりで上司からはどなられ、クライアントからは嫌味を言われ……それが、ここではちゃんと丁寧ていねいに相手してくれるし、敬意も払ってもらえる。おまけに、きちんと仕事をこなせば感謝までしてもらえる! 仕事終わりにはこうして豪華なお風呂でのんびりできるし……あの頃に比べたらほんと、天国。こんな日々を過ごしていられたら言うことないんだけどなあ」

 かおるは心からそう思った。しかし――。

 そうそう、思いどおりには行かない。それが世の常、人の常。かおるの決して望まぬ案件は、メイド姿の少女の姿をしてやってきた。

 「お嬢さま!」

 盛大な音を立てて風呂の扉をこじ開けて、メイド少女のほたるが飛び込んできた。

 「わあっ! なによ、ほたる、いきなり⁉」

 「ヒーロー令嬢の出番です! すぐに準備してください」

 「ええっ~⁉ また、あんなきわどいミニスカドレス姿で、あんな恥ずかしいことしなくちゃいけないのおっ~⁉ なんでそんなに婚約破棄があるのよ、この国はあ~」

 「コンヤ・クゥ・ハッキが蘇ったからです!」

 「なによ、その恥ずかしい名前は⁉」

 「婚約破棄を世に広めることで人と人の信頼の絆を破壊し、その混乱に乗じて世界征服を企む恐るべき悪の秘密結社です! かつて、花恋かれんお嬢さまの手によって封印されたのですが、ついに復活したのです」

 「なによ、それ⁉ なんで、世界征服のためにそんな回りくどい方法とらなきゃいけないのよ」

 「世界征服のために幼稚園の送迎バスを襲うよりマシです!」

 「それはそうなんだろうけどおっ!」

 「さあ、急いでください! 今回はよりによって第三王子の光流ひかる殿下が関わっているとのこと。一刻の猶予ゆうよもなりません」

 ほたるはそう言うとズンズン浴室のなかに入り込み、かおるの腕をむんずとつかむ。そのまま、湯船の外に引っ張り出す。

 「わあ、まって、まって! せめて、服を着させてえっ!」

 「だいじょうぶです! ヒーロー令嬢にお着替えすれば、コスチュームも自然とついてきます!」

 「全然、だいじょうぶじゃな~い!」

 カリオストロ家の広大な浴室のなかに――。

 悲しき元社畜OLの泣き声が響いたのだった。

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