敵の名はコンヤ・クゥ・ハッキ!
一章 蘇る婚約破棄
シーホース王国。
大陸の北方から中央にかけての巨大な領土をもつ大陸最強国家。そのなかの片隅、人のよりつくことのない闇の底深くでいま、一度は滅びたはずの巨大な悪が蘇ろうとしていた。
「コンヤ・クゥ・ハッキー!」
「ハッキー!」
薄い布によって仕切られた最奥の部屋。そのなかに座し、シルエットだけを幕に映しだしている大首領の声に応じ、二列に並んだ戦闘員たちが片腕を掲げ、唱和した。
そこは、誰も知らぬ秘密の世界。四方を囲む壁一面におぞましい邪神の像が彫り込まれ、その妖しい目でその場に居並ぶものたちを
その場は闇に包まれ、すぐ隣にいるものの顔を見るのにさえ苦労するほど。居並ぶ戦闘員たちがその手に小さな
薄手の幕に己の影だけを映しながら、大首領は宣言する。
「コンヤ・クゥ・ハッキ! いまこそ、我らは蘇りたり!」
「ハッキー!」
と、左手に
大首領の声が闇のなかに響き渡る。
「
「ハッキー!」
「
「おおっー!」
大首領の声に応じ、地鳴りのような声が響いた。ズシズシと自信のような足音を立てて巨大な影が闇のなかを歩き、大首領の前にやってきた。
「
吠えるようにそう語るその姿。
おぞましいほどに
股間にそそり立つ巨大な男根。
それは、一体の巨大な雄オークだった。
「
「おおっ!」
巨大な雄オーク、
雄オークの全身を大首領の婚約破棄力が包み込む。おお、するとどうだろう。
「行け、
「ははっー!」
いまや、その身のみならず、声までも完全に
シーホース王国の闇の奥。人間たちの誰ひとりとして気づくことのない闇の奥深くから放たれる陰謀。しかし、ただひとり、そのことに気がついたものがいる。
シーホース王国きっての大貴族、北方に広がる神秘の森をあずかるカリオストロ辺境伯家のメイドである。メイド服に身を包んだ可憐な少女の姿はしていても、その正体はこの世のすべての風を友とし、あらゆる
「……やはり。ここ最近、婚約破棄が異常な数に増えているので、もしやとは思っていたけれど。国を包む婚約破棄力が明らかに増えている。コンヤ・クゥ・ハッキが封印から解かれたのだわ。お嬢さまにお伝えしなければ!」
使命感に燃えるメイド少女は立ちあがると、長いスカートを
「お嬢さま。こちらが、今期の小麦の輸入量と金額になります」
「ありがとう、
カリオストロ辺境伯当主・
分厚い
その正体は日本からの異世界転移者、
しがない
――みんな、いい人ばっかりで助かったわ。突然、やってきたあたしのことを
もっとも『
――まったく! お仕事、放り出してバカンスだなんて、無責任にもほどがあるわ。
と、
――でも、とにかく、いまはあたしが
しょせん、悲しき社畜OL。目の前に仕事があれば、片付けないわけにはいかないのであった。
「……小麦の輸入量が七割にさがっているわね。しかも、価格は三割増し。デュラムスペン領でなにかあったの?」
「はい。デュラムスペン領では冬の間、雨が少なく、小麦の生長が悪かったとのことです。そのため、収穫量が半減してしまったとか」
「……半減。それは、値上がりも当然ね」
「はい。輸出できる量も例年の七割が限界とのことです」
「すると、デュラムスペン領でも小麦が不足しているということね」
「はい。とくに貧困層では深刻で、大量の餓死者の発生も
「……そう」
餓死者が出るほどの小麦不足なら輸出なんてしなければいいのに……と、言いたいところだが、そうはいかない。デュラムスペン領は広大な平原を有するシーホース王国随一の穀倉地帯だが反面、穀類栽培に特化してきたため、それ以外にこれといった産業がない。たとえ、領内で小麦不足になろうとも、小麦の輸出をつづけなければ領の財政が成り立たない。
「では、こうしましょう。カリオストロ領は領地の大半が森に占められていて、穀類の栽培には向かない。その分、豊かな森の恵みに恵まれているわ。森の恵みを収穫して、デュラムスペン領に送りましょう。その分、小麦の買い取り価格を低くしてもらって。つまり、小麦と
「わかりました。ですが……」
「なに?」
「収穫のための人手はいかがいたします? 他領に送れるだけの収穫を得ようとすれば、通常以上の人手が必要になりますが」
「都市をまわって仕事にあぶれている人たちを
「かしこまりました」
「お嬢さま。こちらが昨秋の果実の収穫量となります」
「ありがとう。でも、グラフを見ると年々、果実の収穫量が落ちているみたいね。なにか、理由があるの?」
「主な理由はシカによる食害です」
「食害?」
「はい。森のなかで牧畜を営む農民たちが家畜を襲うオオカミたちを駆除しすぎた結果、シカが増えすぎてしまったのです。そのため、シカたちが果樹を食い荒らしてしまい、収穫量が年々、減っているのです」
「それは……厄介な問題ね」
「はい。農民にとって、家畜を襲われるのは死活問題。しかし、オオカミが駆除され、数を減らしすぎれば、今度はシカが増えすぎて森の木々が食い荒らされてしまう。その点を巡って農民と採集民との間で
「わかったわ。自然のバランスをくずすわけにはいかない。農民たちにはオオカミを駆除しないよう、あたしから説得するわ。そのかわり、家畜たちを守れるように放牧地を囲う柵を作り、牧羊犬を増やすための予算を計上する。オオカミ駆除が必要なら採集民に任せましょう。採集民ならどれぐらいの数が適性が判断できるはずだから」
「かしこまりました」
「それと、シカの数が適正に戻るまでの間、採集民にシカ狩りを
「御意」
それからも入れ替わり、立ち替わり、次々と案件が持ち込まれる。まったく、
「ああ……」
と、
「やっぱり、この時間が一番、落ちつくわあ。仕事量の多さは大変だけど、社畜OLだった頃はこれ以上だったものね。それも、あの頃はいそがしいばっかりで上司からはどなられ、クライアントからは嫌味を言われ……それが、ここではちゃんと
そうそう、思いどおりには行かない。それが世の常、人の常。
「お嬢さま!」
盛大な音を立てて風呂の扉をこじ開けて、メイド少女の
「わあっ! なによ、
「ヒーロー令嬢の出番です! すぐに準備してください」
「ええっ~⁉ また、あんなきわどいミニスカドレス姿で、あんな恥ずかしいことしなくちゃいけないのおっ~⁉ なんでそんなに婚約破棄があるのよ、この国はあ~」
「コンヤ・クゥ・ハッキが蘇ったからです!」
「なによ、その恥ずかしい名前は⁉」
「婚約破棄を世に広めることで人と人の信頼の絆を破壊し、その混乱に乗じて世界征服を企む恐るべき悪の秘密結社です! かつて、
「なによ、それ⁉ なんで、世界征服のためにそんな回りくどい方法とらなきゃいけないのよ」
「世界征服のために幼稚園の送迎バスを襲うよりマシです!」
「それはそうなんだろうけどおっ!」
「さあ、急いでください! 今回はよりによって第三王子の
「わあ、まって、まって! せめて、服を着させてえっ!」
「だいじょうぶです! ヒーロー令嬢にお着替えすれば、コスチュームも自然とついてきます!」
「全然、だいじょうぶじゃな~い!」
カリオストロ家の広大な浴室のなかに――。
悲しき元社畜OLの泣き声が響いたのだった。
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