四章 ヒーロー令嬢は永遠に

 絢爛けんらんたる輝きときらびやかなドレスに包まれた舞踏ぶとうかいの会場。

 そこに、容赦なく令嬢のほおを平手打ちする高らかな音が響いた。

 その音に誰もが振り返り、手からこぼれ落ちたワイングラスがゆっくりと床に向かって落下し、激突して砕け散る。あとには血よりも赤いワインが水たまりとなって広がるばかり。

 明輝あきら・シュテルベルン。よりによって数多くの貴族名士が集まる舞踏ぶとうかいの席上で、自らの婚約者である夕海子ゆみこ・ラングハウゼンのほおを平手打ちした若き貴族は『けがらわしい!』と叫びそうな目で夕海子ゆみこをにらみつけていた。そして、その視線に倍する嫌悪感を込めた口調で叫んだ。

 「夕海子ゆみこ・ラングハウゼン! いまこの場をもって、きさまとの婚約を破棄する!」

 「ど、どういうことですか、明輝あきらさま⁉」

 夕海子ゆみこは叫んだ。その目が『信じられない!』と叫んでいる。力いっぱい叩かれて真っ赤になったほおをおさえてはいるが、あまりの展開に痛みなど忘れてしまっているかのよう。

 明輝あきらは直前までの婚約者に向かって叫んだ。

 「言ったとおりの意味だ! きさまは口さえ開けば小言こごとばかり! 口うるさいにもほどがある。親同士の取り決めということで我慢してきたが、その父も死んだ。いまやおれこそがシュテルベルン家の当主。もはや、我慢する理由もない。きさまとの婚約を破棄し、おれは真実の愛に生きる!」

 「おまちください、明輝あきらさま! たしかに、わたしは諫言かんげんを重ねてまいりました。ですが、それもこれもすべては明輝あきらさまとシュテルベルン家の将来を思ってのこと! 明輝あきらさまがシュテルベルン家の跡継ぎというお立場にもかかわらず政務ひとつ学ぼうとせず、やれ乗馬だ、やれ狩猟だと遊びほうけていたから。しかも、最近では賭け事にも手を出すようになり……だからこそ、わたしは、そのような行いを改め、シュテルベルン家の跡継ぎとしてふさわしくあらせられるよう注意してまいったのです! それを口うるさいなどとは……」

 「だまれ! そういうところが口うるさいと言うんだ! 女というものはただ黙って男を立てていればいいのだ。そう。このみやびのようにな」

 と、明輝あきら夕海子ゆみこに対するのとは対照的に、優しく、愛情に満ちた視線を向けると、ひとりの少女の腰を抱き、自らの側に引きよせた。

 その少女のことは夕海子ゆみこも知っていた。みやび・ロットルダム男爵令嬢。美しく、素直なことで知られているが、その中身は……。

 「明輝あきらさま! 明輝あきらさまはその恋愛遊戯とお菓子のことしか頭にないスイーツ令嬢をご自分の妻に迎えようというのですか⁉ そんなことでシュテルベルン家当主としての務めを果たせるとでも……」

 「だまれ! 自分だけが利口りこうで、なにもかもをも知っているという顔をして、口を開けば小言こごとばかり。そこが許せんと言うんだ! その点、このみやびはいい。常に美しく、愛らしく、好きな菓子を頬張ほおばる姿は子どものように無邪気で、そのかわいらしさには心がやされる。しかも、とても素直で、いつでもおれを立ててくれる。めてくれる。お前のような利口ぶった陰険女とは比較にならん。男なら誰でも、きさまなどよりみやびをこそ愛する」

 そう言って、みやびを見つめる明輝あきらの目は、みやびの大好きなスイーツよりもさらに甘ったるいものだった。

 現実を直視せず、自分に都合のいい妄想に浸っている。

 そういう人間特有の目付きだった。

 「明輝あきらさま。わたしたちの結婚はしょせん、親同士が決めた政略結婚。シュテルベルン家の広大な領地と財力、そこにラングハウゼン家のもつ鉱山開発の技術とを合わせれば、シーホース王国をより豊かな国とできる。そのために、両家をひとつとする。その目的のために決められたことです。

 ですから、わたしを愛する気がないと言うのでしたらかまいません。みやびさまを愛妾あいしょうとなさるのもけっこう。ですが、国の将来を考えれば、わたしたちの結婚はたしかに有益なものであり、それを破棄するなど……」

 「だまれ! きさまはいつもそうだ! そうやって小難しい理屈ばかりこねおって。頭が痛くなる。仮にも、婚約者であった身。穏便おんびんにすませてやろうと思ったが、かくも口答えするというならそうはいかん! ラングハウゼン家を取りつぶしの上、きさまは辺境の地に追放してやる!」

 「明輝あきらさま⁉」

 「いまさら、慈悲を請うても遅いぞ。愚かな女め。我がシュテルベルン家は王室とのつながりをもつ王国でも屈指の名門。しがない穴掘りの子爵家など、おれの一存でどうにでもなる!」

 明輝あきらはそう叫んだあと、みやびの腰を抱いてピッタリと密着したまま、鎧兜に槍を構えた衛兵たちに向かって叫んだ。

 「衛兵! この薄汚い平民女を身ぐるみはいで、この場から追い出せ! その身ひとつで辺境の地に追放してやるのだ!」

 その命令に従い――。

 全身を鎧兜で包んだ屈強な衛兵たちが夕海子ゆみこ・ラングハウゼンの周囲を取り囲む。

 助けようとするものは誰もいない。

 ――下手に口出しして矛先がこちらに向いてはたまらない。見て見ぬ振りをしよう。

 そう思い、視線をそらすものばかり。

 多くの貴族名士の集まる舞踏ぶとうかいの席上。そこで、夕海子ゆみこはひとり、ひとりきりだった。

 ぽたり、と、夕海子ゆみこ白皙はくせきほおを真珠の涙か一粒、転がり、流れ落ちた。

 しかし、それは決して悲しみの涙ではない。くやし涙だった。

 ――わたしは……わたしは、シュテルベルン公爵家の嫁としてふさわしい存在でいようと勉学に励み、教養を身につけ、礼儀作法を学んできた。すべては、明輝あきらさまの妻として、ともに王国の発展に寄与するために。それなのに、こんな目に遭うなんて……。

 自らに降りかかった理不尽に対する怒りが、くやしさが、夕海子ゆみこに涙を流させた。たった一粒の真珠の涙が夕海子ゆみこほおを伝い落ちて、宙に舞った。透明なしずくとなって落下し、床に落ちて冠状の形になってはじけた。その瞬間――。

 舞踏ぶとうかいは闇に包まれた。その場のすべての魔法の光が失われ、会場を真の闇が支配する。それにつづいてまばゆいばかりの光の柱が幾本も宙を走り、ただ一点を照らし出す。

 重ね合わされる光の柱。そのなかに浮かびあがるはきわどいばかりのミニスカドレスに身を包んだ絶世の美少女。

 突如とつじょとして音楽が鳴り響き、少女はマイク片手に唄い、踊りながらやってくる。


 ヒーロー令嬢

 ヒーロー令嬢

 素敵で無敵な ア・アアン~

 その名は

 その名は

 可憐な花恋かれん


 陰謀渦巻く宮廷で

 今宵こよい 令嬢おとめの涙が流れるならば

 合点承知!

 駆けつける

 令嬢おとめの幸せ願う心がある限り

 できないことなど ナイナナイナイ

 令嬢おとめの笑顔 曇らすやつら

 許さない

 素敵 無敵

 どこにも敵なし

 令嬢パンーチ

 愛あるお仕置き

 誰にも負けない

 令嬢キッーク

 ヒーロー令嬢

 ヒーロー令嬢

 素敵で無敵な ア・アアン~

 その名は

 その名は

 可憐な花恋かれん


 カリオストロ家の財力にものを言わせてそろえた特性の楽団の奏でる音楽、そして、一〇〇のバックダンサーにもり立てられ、いかにも気持ちよさそうに唄い、踊る元社畜OL。

 「ヒーロー令嬢、花恋・カリオストロがいる限り、この世に令嬢おとめの涙は流れない!」

 きわどいミニスカートに包まれた生足をグバアッと開いて仁王だちになり、指を突きつけ高らかに宣言する。

 「明輝あきら・シュテルベルン公爵! 罪なき令嬢おとめを泣かせる不埒ふらちな行い、たとえ天が許しても、このヒーロー令嬢が許さない!」

 「きゃー、花恋かれんさまぁー!」

 と、会場中から黄色い声が跳ねあがる。

 そのなかでひとり、明輝あきらは怒りの形相ぎょうそう花恋かれんをにらみつけた。

 「おのれ! 出たな、ヒーロー令嬢! だが、きさまが現われることは想定済み。準備はしてあるのだ。やってしまえ!」

 その声を受けて、衛兵たちが花恋かれんを取り囲む。花恋かれん軽蔑けいべつの微笑みを浮かべた。いかにも生意気そうな絶世の美少女だけに、こんな表情をするととにかく絵になる、様になる。会場に集まった令嬢たちのなかには感極まって失神するものもでたほどだ。

 「ふっ、愚かな。こんな木偶でく人形どもで、このヒーロー令嬢に勝てるつもり?」

 「準備はしてあると言っただろう! それ!」

 明輝あきらは叫びとともになにやら手にしたものを投げつけた。それは床に落ちると爆発し、真っ白な煙を噴きあげた。あたり一面に煙が充満し、花恋かれんの視界を奪う。

 「これは……」

 さすがの花恋かれんもこれには驚き、目を丸くした。反射的に口元を手で押さえた。そこへ、空気を裂く音がして幾筋もの銀の光が襲いかかった。

 「………!」

 それは、衛兵たちが投げつけた何本もの鋼鉄の鎖。その鎖が花恋かれんのたおやかな腕に、大胆に露出ろしゅつした生足に絡まり、身の自由を奪っていた。

 「ふっ、どうだ。いかにきさまと言えど、屈強な衛兵十人以上に鋼鉄の鎖で縛りあげられてはどうすることもできまい。せめてもの情け。この槍で一差しにしてくれるぞ」

 明輝あきらは衛兵から槍を受けとると、余裕よゆう綽々しゃくしゃく花恋かれんに向かって歩いていった。鋭く磨かれた槍の穂先が不気味な鈍色にびいろにギラリと光る。

 対する花恋かれんは全身を鎖で締めあげられ、身動きひとつとれはしない。まさに、絶体絶命。見守る令嬢たちは顔中を真っ白にしている。しかし――。

 ヒーローに負けはない。

 勝つのは常に、正義のヒーロー。

 余裕の笑みを浮かべるのはヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロの方だった。

 「本当におバカね。明輝あきら・シュテルベルン。こんなもので、わたしの動きを封じた気になっているなんて」

 「なんだと?」

 「令嬢おとめの幸せ願う心がある限り、できないことなど、この世にない。見よ! ヒーロー令嬢、可憐なスピーン!」

 その叫びとともに――。

 花恋かれんのしなやかな肢体が回転する。まるでその場に竜巻が起きたかのよう。あまりの高速回転に衛兵たちは吹き飛ばされ、鎖は粉々に砕け散る。そして――。

 勢いあまってブワアッとばかりにひるがえるのは、花恋かれんのミニスカート……。

 「お、おおおっ! これは……この絶白ぜっぱくの輝きはあっ! まぶしい、まぶしすぎるぞおっ!」

 ミニスカートの下から放たれるあまりにもまばゆい輝き。そのまぶしさに明輝あきらは思わず目を覆った。その隙を見逃すヒーロー令嬢ではない!

 「と~う!」

 叫びと共に天高くジャンプする。その全身をオーラが包み込み、神の鳥の姿となる。それこそまさに、神鳥かんどりぞくの血を引く花恋かれん・カリオストロのもうひとつの姿。

 「ヒーロー令嬢、か・ん・ど・り・の……舞い~!」

 「う、うおおおおっ!」

 叫びとともに放たれた必殺の一撃に、明輝あきらは吹き飛ばされ、壁へと激突する。

 「ふっ」

 花恋かれんは長い髪をかきあげ、華麗にターンを決める。そして、会場を埋める令嬢たちに向かって微笑をひとつ。

 「言ったでしょう? ヒーロー令嬢がある限り、この世に令嬢おとめの涙は流れない」

 「きゃ~、花恋かれんさまー!」

 感極まった令嬢たちの叫びが響く。

 そのなかを花恋かれんはゆっくりと夕海子ゆみこに近づく。目前で立ちどまり、優しく微笑みかける。うっとりと自分を見上げる夕海子ゆみこの手を、花恋かれんは両手でそっと包み込んだ。

 「悪は滅びたわ。あんな男のことは忘れて幸せをつかみなさい」

 「……はい」

 夢見るように答える夕海子ゆみこを残し、花恋かれんはさっと跳びすさる。

 「花恋かれんさまー!」

 泣いて名残を惜しむ令嬢たちに向かって微笑をひとつ。

 「令嬢れいじょうの涙が流れるならば、わたしは必ず駆けつける。さらば!」

 「……ああ、花恋かれんさま。あなたはどこの誰なのです……?」

 花恋かれんの両手にはさまれた手を大切に包みながら、うっとりと呟く夕海子ゆみこの声を最後に花恋かれんはその場から消え去った。そして――。


 「びえええええ~ん!」

 カリオストロ家では、素に戻ったかおるの盛大な泣き声が響いていた。

 「とうとうやっちゃったあ、ミニスカ姿でおパンツ、ドバアッ! いつか、やらされると思ってたのよおっ。だって、だって、これって日本の伝統だものおっ!」

 「だいじょうぶです、お嬢さま!」

 自分のひざに顔を埋めて気持ちよさそうに泣きつづけるかおるの頭を優しく抱きながら、ほたるは慰めるように言った。

 「その体は花恋かれんお嬢さまのもの。つまり、お嬢さまご自身のおパンツを丸見せしたわけではありません!」

 「そういう問題じゃな~い!」

 びいいいいいいぃっ! と、とにかく気持ちよさそうに泣きわめくかおる

 「良いではありませんか! お嬢さまのおパンツ姿で罪なき令嬢おとめがひとり、救われたのです。これが、ヒーロー令嬢のお仕事です!」

 「……お仕事」

 「そうです、お仕事です」

 「お仕事……。お仕事……。……うん、わかった。お仕事、がんばる」

 「その意気です! では、さっそくですが明日、第三王子、光流ひかるによる婚約破棄が……」

 「びえええええっ! もうやだよお、誰かかわってえええええっ!」

 カリオストロ家では今日も平和に、泣き声が響くのだった。

                  完

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