三章 ヒーロー令嬢、その日常

 「花恋かれんさま。どうも最近、森の魔物たちが活発になっているようでして……」

 「花恋かれんさま。川にかかっているたったひとつの橋が老朽化して危険なので、そろそろ建て直したいのですが……」

 「花恋かれんさま。今年は天候不順で作物の出来が良くなくて……なんとか、税金を安くしてもらえんでしょうか」

 「花恋かれんさま。街道の整備をしたいのですが、予算の方をなんとかしてもらえませんか」

 「花恋かれんさま、大変です! 北の村で疫病の発生する兆しがあります。早急に手を打たないと大変なことになりかねません!」

 行く先々で地元の人々が様々な案件を持ち込んでくる。

 カリオストロ家当主花恋かれん・カリオストロこと、もと社畜OL三枝さえぐさかおるは、それらの案件を一つひとつ聞いたあと、しっかりとメモにとり、こう答える。

 「お話はわかりました。すぐに協議して取りはからいます」

 かおるがそう答えると誰もがホッとした様子になって頭をさげ、

 「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 と言って、笑顔で帰って行く。その様はまさに『肩の荷がおりた』という様子であって、心から花恋かれんのことを信頼しているのがわかる。

 領主としての花恋かれんは、ヒーロー令嬢としての大胆きわまるミニスカドレスとは打って変わってとにかく地味。長い髪は三つ編みにしてお下げ髪。分厚い瓶底メガネをかけ、着ているものはダボダボのセーターとパンツ。

 どこからどう見ても色気の欠片もない田舎くさい小娘。素敵で無敵な可憐なヒーロー令嬢としての面影はまったくない。実際、この姿を見てヒーロー令嬢、花恋かれんと同一人物だなどと思う人間はこの世にいないだろう。それぐらい、地味な姿。

 しかし、そんな地味な姿であっても領民からの信頼は篤い。誰もが単なる口約束だけで満足して帰って行くのはそれだけ、花恋かれん・カリオストロが口約束を守ってきたという証拠。

 ――花恋かれんさまって、あたしにとってはいい迷惑だったけど、領主としては立派な人だったのね。

 そう思い、思わず見直すかおるであった。

 実際、花恋かれんの領主としての日々は『多忙!』の一言だった。

 朝起きるとまず、メイド姿もかわいらしいほたるがベッドまで眠気覚しのローズマリーティを運んでくる。それだけなら優雅な貴族の朝の風景だが、メイドにして秘書であるほたるのもってくるものはそれだけではない。

 「お嬢さま。これが、今朝の案件です」

 その一言とともに、山のような書類をもってくる。

 『山のような』というのは誇張こちょうではない。本当に、山となって相手の姿が見えないぐらい、普通の一〇代の少女ではとうていもてないほどの重さとなった書類の束をもってくるのだ。

 ベッドに入ったままそれらの膨大な書類に目を通し、一日の予備知識を仕入れたあとでようやく起床。ほたるに手伝ってもらいながら服を着替え、朝食。食事がすむと領地に出向き、人々に会い直接、訴えを聞く。

 辺境伯であるカリオストロ家の領地は広い。三つの都市に七つの町、二〇以上もの村からなる。七つに区分けされた領地のひとつを訪ね、人々の訴えを聞くだけで午前中は潰れてしまう。

 屋敷に帰って昼食。その後、ほたるをはじめとするブレーンたちと案件について協議を重ね、処理案を決定し、書類を決裁する。その繰り返し。

 すべての案件処理が終わると外はすでに真っ暗。ほたるの用意してくれた夕食を食べ、それから一休みする間もなく今度は王都に送る報告書の作成……。

 それらすべての仕事が終わるころには、すでに日付がかわっている。午前零時を過ぎてようやく入浴。この時間だけが仕事から解放されて、のんびりできる時間。

 「ん~」

 と、かおるは広々とした大理石の風呂――それも、源泉掛け流しの温泉――という豪華きわまる風呂に入って体を伸ばしていた。

 「は~、落ち着くう。やっぱり、あたしみたいな地味な人間にはこういう暮らしが似合ってるわあ」

 絶世の美少女の肉体に転移したとは言え、中身はしょせん、悲しき社畜OL。仕事しごとに追われる日々の方が落ち着いてしまうのだった。

 しかも、この世界、見た目はお城やら王侯貴族やらで中世風だが、科学のかわりに魔法が発達しており、家電製品やスマホ、インターネットに相当する仕組みまで存在している。現代日本人にとってもまったく不便を感じることなく暮らしていけるのだ。

 「なにより、前の会社ではひたすら社内にこもって事務仕事、上司に怒られるばっかりだったけど、ここでは顧客と直接、会って、案件を聞いて、解決することができるんだもんね。しかも、きちんと感謝もしてもらえるし。前に比べたら天国だわ。ずっとこんな毎日だったら一生、帰れなくてもかまわないんだけどなあ」

 と、満面の笑みで伸びをしながらそう呟く。

 ――せっかく、貴族の令嬢、それも絶世の美少女になったんだから、以前はできなかった恋のひとつやふたつ……。

 などとは決して思わないのが悲しき社畜OLの限界。『恋愛する』という発想そのものが存在しないのだった。

 「ほんと、お願い。このまま平穏に暮らさせて」

 かおるは心からそう願った。しかし――。

 そんな願いは叶わないのが人の世の常。かのの知らないところで自体は刻一刻と動いていた。

 それは、カリオストロ家の情報室。

 魔法のテクノロジーに包まれたその部屋で、メイド兼秘書のほたるが宙に浮く無数のモニターを操作しながら情報を集め、精査している。

 それは、本物の花恋かれん・カリオストロが構築した情報網。辺境伯としての莫大な財産、神霊種の住む森を領地にもつことで得られる様々な上位種族とのつながり。それらにものを言わせて作りあげた史上最大最強のマジックネット。

 そこにはシーホース王国はおろか、世界中のありとあらゆる情報が流れ込み、どれほど些細ささいな婚約破棄であろうとももれなくすくい取り、あるじに知らせる。

 そして、ほたるこそはこのマジックネットのあるじ、風と音をつかさどり、上は王族たちによる陰謀から、下は町の床屋の噂話にいたるまで、ありとあらゆる情報を集め、広めることを生業なりわいとする風虫ふうちゅうぞくのひとりだった。

 そして、いま、ほたるは自らの耳目じもくとも言うべきマジックネットを調べあげ、新たな婚約破棄の情報を入手した。

 「……新たなる婚約破棄を発見。お嬢さまにお伝えしなければ」

 使命感に燃えるメイド兼秘書は立ちあがった。『いま』の主人である元社畜OLに事態を伝えるために。


 「お嬢さま!」

 突然、風呂のドアがけたたましい音を立てて開き、メイド服姿のほたるが飛び込んできた。

 「キャアッ! なによ、いきなり!」

 同性とはいえ――そして、本来の自分の体ではないとはいえ――『他人に裸を見られる』ということにまったく免疫のないかおるである。あわてて湯のなかに口元までつかり、姿を隠す。ほたるはそんなことにはかまわずズンズンやってくると眉をつりあげて叫んだ。

 「新たな婚約破棄の発生です! 明日の舞踏ぶとうかいにおいて明輝あきら・シュテルベルン公爵令息が、夕海子ゆみこ・ラングハウゼン子爵令嬢に対し、婚約破棄を告げるとのこと! いますぐ、出立の準備をしてください!」

 「ええっ~、またあっ! ついこないだ、片付けたばっかりじゃない。なんで、そんなにしょっちょう婚約破棄があるのよ、この国はあっ⁉」

 「婚約破棄を望む人がいるからです!」

 「誰よ、そんな迷惑なやつ。もうやだよお~。あんな恥ずかしい格好で恥ずかしいこと、したくないよおっ!」

 「恥ずかしいとはなんですか! 罪なき令嬢おとめを守る、それこそヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロさまのお役目なのですよ」

 「それはあたしじゃな~い! 日本でバカンスしてる、この体の持ち主でしょお~!」

 「いまは、お嬢さまこそが花恋かれん・カリオストロさまです!」

 「横暴よ、身勝手よ、あんまりよ! ミニスカ姿で生足ドバアッで唄って踊るなんて、やっていいのは一〇代まででしょおっ~! 三〇代社畜OLがやっていいことじゃな~い!」

 「それでは、お嬢さま。ヒーロー令嬢を引退なさいますか?」

 「えっ?」

 思わぬ返答にかおるは目をパチクリさせる。

 ほたるは思わずドキリとしてしまうぐらい真剣な表情になっていた。

 「お嬢さまがやりたくないなら無理にやらなくてもかまわない。引退していい。そう花恋かれんお嬢さまからは言われております」

 「い、引退していいの……?」

 「はい。すべてはお嬢さまのお心ひとつ。いかがなさいますか?」

 意外なほど真剣にそう問われ、かおるは湯に潜ったまま答えた。

 「……やる。罪もない女の子が泣かされるのを黙って見ているわけにはいかないもんね」

 「それでこそ素敵で無敵なヒーロー令嬢です! 大きなお友だちのために、これからもミニスカドレスでがんばりましょう」

 「せめて、小さなお友だちにしてえっ~!」

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