二章 ヒーロー令嬢、その中身は……

 「びえええええ~ん! もうやだよおっ。なんで、あんなことしなきゃいけないのおっ!」

 シーホース王国の最北、辺境に位置する大森林。獣や巨獣はおろか、人知を越えた神霊種までが闊歩かっぽする神秘の森。そのなかに建てられたカリオストロ家の屋敷。そのなかでいま、盛大な泣き声が響いていた。

 カリオストロ家の当主であるヒーロー令嬢、花恋かれん・カリオストロがメイド少女のほたるひざに顔を埋め、泣きまくっているのである。

 それはもう声はギャアギャア、涙はダアダア、雨不足で困っている土地にでも放り出させば、水不足もたちまち解消するのではないかという泣きっぷり。あいにく、豊かな大森林ということで水には困らないこの土地では、水害のもとでしかない。

 メイドの少女は自分のひざで泣きまくる主人の頭を両手で優しく包みながら、それでも厳しい声で叱りつけるように言った。

 「しっかりなさってください! いまは、お嬢さまこそがまぎれもなくカリオストロ家当主、花恋かれん・カリオストロさまなのですから!」

 「だって、だってえっ! ミニスカドレスで生足ドバアッで、スポットライト浴びて唄って踊るとか、三十路みそじの社畜OLがやっていいことじゃないでしょおっ!」

 花恋かれんほたるひざに顔を埋めたまま、ワンワン泣きながら声を張りあげる。

 それはいまをさかのぼること、三ヶ月前。はるか異世界の『日本』という国に、ひとりの社畜OLがいた。名前は三枝さえぐさかおる。年齢はすでに三〇代。彼氏もなく、友だちすらなく、家と会社を往復するだけの日々。その日も残業を強制されてクタクタになって家路についた。そこをトラックにはねられた。

 ――ああ。これで死んじゃうんだ。ろくなことのない人生だったけど……これで、社畜人生からおさらばできるならそれも良いか。

 そう思い、死の運命を受け入れた。が――。

 そうは問屋とんやおろさない、とばかりに、その瞬間、声が聞こえた。状況にまったくそぐわない呑気な声で。

 「ちょうど良いわ。異世界バカンスしたいところだったからその体、ちょっと貸してねえ」

 そして、気付いたときには哀れな三十路みそじ社畜OLはこの世界に転移していた。王国でも名の知れたカリオストロ辺境伯家当主、花恋かれん・カリオストロとして。

 つまり、あの呑気な声のあるじこそが本来の花恋かれん・カリオストロであり、かおるはたまたま目をつけられて精神を交換されてしまったわけなのだった。

 「花恋かれんさまはときどき、そういうことをなさるのです」

 なにが起きたのかわからず途方に暮れるかおるに向かい、メイドの少女、ほたるはそう説明したものである。

 「花恋かれんさまは神霊種である神鳥かんどりぞくの血を色濃く引くお方。その血統ゆえに、人間では考えられないほどの長い寿命と身体能力、そして、いくつもの異能をもっております。そのために、人目につかないこの辺境の森の領主におさまり、代替わりを重ねていると見せかけて過ごしているのです。ですが……」

 はああ、と、ほたるは溜め息をつきながら言った。

 「なにぶん、長い人生。代わり映えしない生活に飽きてしまい時折、異世界にバカンスにお出かけになられるのです」

 ただし、いかな神鳥かんどりぞくの血を引く花恋かれん・カリオストロと言えど、肉体そのものまで異世界に転移はできない。異世界に転移する方法はただひとつ。その世界の住人と精神を交換すること。その相手として今回、たまたまトラックにかれて死ぬところだったかおるが選ばれた、と言うわけだった。

 「バカンスしたいのは勝手だけどおっ!」

 元三十路みそじ社畜OL、いまや、カリオストロ家当主である超絶美少女となったかおるは、ワンワン泣きながら叫んだ。

 「なんで、相手があたしなのよおっ! あんな恥ずかしい真似しなきゃいけないなら、コスプレ好きの若い女の子にしとけば良かったじゃないぃっ!」

 「たまたまでしょう。いままで、花恋かれんさまのかわりになった方もみんな偶然、選ばれただけでしたから」

 「うわあああん、ひたすら迷惑ぅっ!」

 「お察しします」

 と、ほたるがうなずいたのはほたる自身、あるじの自由すぎる行動に腹を立てていたのかも知れない。

 「でもっ! ものは考えようです。おかげで、自分の死に直面しながら悲しくもなく、あっさりと受け入れられるような、そんな冴えない人生を送っていた三〇代の社畜OL、負け組の女性が、広大な領地と豊かな資産をもつ貴族、それも、外見年齢一六歳の超絶美少女になれたのです! しかも、いわゆるチート能力もち。これはもう、冴えない人生を忘れて、イケイケの人生を謳歌おうかするチャンスではありませんか! お嬢さまこそ、異世界でのバカンスを楽しまれればよいのです!」

 「もともとのあたしが人生敗残者の干物女だったみたいに言わないでよおっ! その通りだけどおっ……。だいたい、花恋かれんさまって、そんな冴えない社畜OLに成り代わってなにやってるのよお」

 「花恋かれんさまのことですからいまごろ、特撮・マンガ・アニメに没頭されておられるかと」

 「なによ、それえっ!」

 「ジャパニメーションは花恋かれんさまの大好物ですから。実は以前にも一度、日本に異世界バカンスに出かけられたことがありまして、そのときにどっぷりハマってしまったのです。帰ってきたときにはお土産として山のような本やらビデオやらを持ち帰ってきたものです。おかげで、わたしたち、花恋かれんさまにお仕えするものもみんな、ハマってしまいまして……。花恋かれんさまがヒーロー令嬢をはじめられたのもジャパニメーションの影響ですし」

 「それもう絶対、帰ってこない流れじゃないのおっ! あたしいったい、いつまでミニスカ姿であんな恥ずかしいことしなくちゃいけないのよおっ!」

 いやならやらなければいいじゃない。

 そう言うのは簡単なのだが、そうはいかない。なにしろ、ほたるから『婚約破棄が行われようとしています!』との報告を聞くと、肉体の記憶に引っ張られて『合点承知、駆けつける!』スイッチが入ってしまい、ヒーロー令嬢になりきってしまうのだ。

 そして、ミニスカドレス姿でスポットライトを浴びて唄って踊り、きわどい丈のミニスカートをひるがえしながら悪人どもをバッタバッタとなぎ倒す。素に戻ったときの恥ずかしさと言ったら……。

 それはもう、カラオケに行って唄いまくったあと、帰り道で素に戻って死にたくなるレベル。

 「だいじょうぶです! 花恋かれんお嬢さまはあれでも責任感のあるお方。いままでも行きっぱなしということはなく必ず、自分から帰ってこられましたから。そうすれば、お嬢さまもご自分の体に戻れます」

 「……いつ、帰ってくるの?」

 ようやく泣きやみ、クスンと鼻をすすりながらかおるはそう尋ねる。美少女御用達ごようたしと言いたくなるような大きく、形のいい目にはいまも大粒の涙がたまっている。

 ほたるは、かおるに尋ねられて答えた。

 「……多分、四~五〇年ぐらい先かと」

 「四~五〇年もたってからもとの体に戻れたって、あたし、ただのおばあちゃんじゃないのおっ~! どうせ、家と会社を往復するだけの人生だから似たようなもんなんだけどおっ!」

 「とにかく、お食事にしましょう。おいしいものを食べれば元気も出ます」

 ほたるはそう言ってキッチンにこもり、温かいシチューを用意してくれた。ゴロゴロした肉と野菜がたっぷり入ったシチューをスプーンですくい一口、食べる。

 「いかがですか?」

 「……うん。おいしい」

 かおるは涙ではらした目でそううなずく。本来の自分であった頃は自炊する気力などもちろんなく、コンビニ弁当を買ってゴミだらけの暗い部屋に帰り、ひとり黙々と食べていた。それを思えばこうして暖かい手料理を食べられるのはたしかに幸せ。

 しかも、メチャクチャおいしい。さらに、かわいい嫁――メイドだが、いつも側にいて身のまわりの世話一切をしてくれるのだから『嫁』と言って差し支えない――がいつも側にいてくれるとなれば……。

 「とにかく」

 と、『嫁』であるメイドのほたるは諭すように口にした。

 「花恋かれん・カリオストロさまには重大な使命があります。領民とそして、罪なき令嬢たちの幸せを守るという大切なお仕事が。いまはまぎれもなく、お嬢さまこそが花恋かれん・カリオストロさまなのですから、そのお仕事はしていただかなくてはなりません」

 「……お仕事。お仕事なのね?」

 「そうです。お仕事です」

 「……お仕事。うん。わかった。お仕事、がんばる」

 かおるはうなずいた。

 肉体はどうあれ、その精神はあくまでも人に使われることが骨のずいまで染み込んだ社畜OL。『仕事』と言われると『がんばる』としか言えない悲しき存在なのであった。

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