何か、としか言いようがなかった。大きな黒い、人の背丈の倍ちかくはある獣のようなモノ。四足歩行で頭には三角状の耳があり、尾も見え、獣なのはわかるが、体中が真っ黒なせいでそれ以上はわからない。

 それに続くように小さな黒いモノも沢山たくさん出てきて、大きなモノの前に集まった。

 小さいモノは色々な形をしている。四足歩行だったり、人形のようだったり、あるいは球体だったり、布のようにひらめいていたり。

 黒いモノたちは、足音以外はなんの音もたてない。動いてはいるが、このモノたちは生きているのだろうか。そんな考えが頭に浮かぶ。


「ここはそなたらの来るべき場所ではない。帰れ!」


 マモリガミは白い地面を蹴ると、小さなモノたちの集団に切りかかった。小さなモノたちは避けたモノもいれば、そうでないモノもおり、一太刀を浴びたモノはそのまま薄くなり消えた。

 避けたモノたちが、地面から、あるいは空中から、マモリガミに迫る。

 マモリガミは先に飛びかかってきたモノを蹴り飛ばし、遅れて飛びかかってきたモノに対しては太刀を向けた。太刀は瞬時に開かれた和傘に変わり、モノの攻撃を跳ね除ける。

 マモリガミはモノたちと距離を取るように、開いた傘を持ってくるりと回った。着物と傘が可憐に揺れる。小さなモノたちは避けるために、彼女から離れる。

 すると、それまで動いてなかった大きなモノが不意に動き、マモリガミに突進を仕掛けてきた。

 彼女はそれに気づくと、傘を閉じて投げた。傘は投げられている途中で槍に変わり、大きなモノの体に深く突き刺さった。大きなモノの体が消えていく。後に残るのは小さなモノたちばかり。

 これは勝ったのではないかと思ったが、門の向こうから、また大きな音が聞こえた。まだ、中に何かがいる。音からして小さなモノではなく、大きなモノではないか。

 マモリガミもそれに気づいているのだろう。気を緩めることなく、大きなモノが消え地面にそのまま落ちようとする槍をさっと掴んで、群がってくる小さなモノたちに槍を振るった。振っているうちに、槍はいつの間にか太刀に戻っている。

 白い空間で、黒いモノと赤い着物のマモリガミが戦う姿は、どこか魅せられるものがあった。着物で戦うのは動きづらいだろうに、彼女の動作は少しもそれを感じさせない。

 太刀で斬りかかり、蹴飛ばし、槍で突き刺し、あるいは傘で吹き飛ばす。武器を変えながら、モノと軽やかに戦う彼女はさながら舞っているかのようだった。白い空間を囲むどんな光よりも、舞う彼女の姿は輝いて見えた。


 小さいモノたちが減ってきた頃、門の向こうからついにそれは現れた。

 門と同じくらいの大きさがある蛇のようだ。他のモノたちと同様に真っ黒だから、蛇のようとしか説明できない。残っている小さなモノたちが、大きなモノの周りに集まっていく。

 マモリガミは品定めするように、大きなモノに鋭い目を向ける。門の向こうから、音はもうしない。


「お主で最後じゃな。こころせよ」


 まるで、その言葉に応えるように、大きなモノが素早い動きでマモリガミに迫った。かと思うと頭ではなく、尾を使ってマモリガミに攻撃を繰り出した。

 マモリガミは咄嗟とっさに太刀を傘に変えたが、衝撃を防ぎきれず少し吹き飛ばされる形になる。

 体勢を崩しながら地面に着地したマモリガミに、小さなモノが一斉に飛びかかる。僕は思わず叫んだ。


「マモリガミ!」


 しかし、攻撃を受けて飛ばされたのは小さなモノたちだった。マモリガミは横に転がって避けると、モノの集団に向けて槍を投げ、どうにか吹き飛ばしてみせたのだ。

 彼女は体勢を整えながら、槍を地面から抜いた。そのままこちらにも言葉を投げてくる。


「このくらいなんてことないぞ。千年をなめるでない」

「ごめん」

「心配してくれて嬉しいがの。そりゃ!」


 マモリガミは吹き飛ばしたモノたちに追撃するように、太刀を浴びせた。モノたちが薄くなり消えていく。

 モノの一体がこちらまで飛んできて驚いたけれど、僕の近くに落ちる前に消えた。後に残るのは大きなモノだけになる。


「諦めよ。そなたらが存在したいのはわかる。だが、それは許されぬ。例えここが、夢が繋がり作る夢世ゆめよであっても」


 マモリガミは太刀を向ける。大きなモノが迫ってきた。モノが頭で大きくぶつかってくるのを太刀で防ぐ。マモリガミが斬りかかると、モノは素早く身を引っ込める。

 そんなやり取りが数度続いた後、不意に尾を使う攻撃が来たが、彼女はそれを予期していたようにひらりと避ける。

 続けてもう一度尾の攻撃が迫ってきたものの、彼女はそれも回り込んで避ける。回り込んだことで、それまで門を背負って立っていたのは大きなモノの方だったのが、マモリガミが門を背負う形に変わる。

 このままいけば、マモリガミが勝つだろう。そう感じた時だった。不意に、大きなモノが僕の方を向いた。


「えっ?」


 そのまま、黒いモノがスルスルと素早く迫り、僕に向かって飛びかかってきた。反射的に、僕は目を閉じた。


「させぬ!」


 マモリガミの声がして、強い風が僕の前を駆け抜けたような、そんな感触を頬が捉える。目を開ければ彼女の背がすぐ前に見え、傘で攻撃を防いでくれていた。

 そのままマモリガミがモノの攻撃を払いのけると、抗うように尾で追撃をしてきたが、彼女は逆にタイミングを合わせてモノの尾に乗ると、尾の勢いを利用して高く飛び上がった。

 赤い着物が、黒髪が、空中で舞い上がる。白い空間に彼女の姿が縁取られる。

 彼女の手には、いつの間にか弓が握られている。舞い上がったまま、矢をつがえ、放つ。


「終わりじゃ!」


 矢はまっすぐにモノの頭に刺さり、そのままモノの体が倒れ込んでいく。その体が地面に着く前に、体そのものが薄くなり消え失せた。

 トンッと下駄を鳴らして着地すると、マモリガミは門を振り返った。門の中の闇は元のように静まり返っている。


「無事に終わって良かった」


 あれだけ動いたのに、彼女に疲れた様子は見えない。

 最初に、彼女のことをマモリガミと呼んだ人はきっと、戦う様も見たのだろう。得体のしれないモノと、武器を変えながら舞うように戦うその姿は、まさしく守り神、その名が似合うほどの美しさと強さを有している。

 彼女はこれを千年の間、独りでずっと続けてきたのか。


「ありがとう」


 無意識に、そんな言葉が口から出ていた。


「これが我のる意味じゃからな。気にするな」


 マモリガミは弓を扇子に変えると、開いてゆっくり仰ぎ始めた。


行人ゆきと、そなたは優しいな。大事にせよ、その優しさを」

「え?」


 そんなこと初めて言われたと思う。


「あ、ありがとう」


 結局、またお礼を言う羽目になってしまった。そんな僕を見て笑ってから、マモリガミはまた門を見つめた。


「あのモノたちは存在してはならぬもの。しかし存在したいからこそ、この夢世ゆめよに来る」

「えっと、夢世ゆめよがそもそも、不確かな夢たちが繋がって出来ている世界だから?」

「そう、不確かな夢が不確かながらも存在できるこの夢世ゆめよならば、自分たちも存在できる。そう思って、夢世ゆめよに続く門をくぐるのじゃ」

「あのモノたちは夢世ゆめよに居てはいけないの?」

「ここは夢世ゆめよの果て。あのモノたちのいる世界と夢世ゆめよが門を隔てて交わる場所。だから、モノたちが果てに来る分には悪影響はさほどないが、夢世ゆめよの中に、それぞれの夢に、モノたちが入ってしまえばその夢は終わってしまう。永遠に目覚めぬまま夢世ゆめよをさまよう。だから居てはならぬのじゃ」


 僕はそこで疑問が浮かんだ。


「門を閉じることはできないの? そしたら来れなくなるでしょう?」

「それはできぬ。うつつ夢世ゆめよとモノたちの世は繋がっていないとならん。でないと、そなたら人間がさいごに行くべき場所に行けなくなってしまう」

「それって、つまり」


 僕は改めて門の向こうを見た。静かな黒をたたえる世界が広がっている。


「さて。あのモノたちがこの果てから消えたように、そなたもそろそろ帰らねばな」

「もう?」

「我にもやるべきことがあるように、そなたにもやるべきことがあろう? 目覚めなければ」

「君みたいに、大きな役目があるわけじゃないけどね」

「何を言う。行人ゆきとの役目は行人ゆきとにしかできん。そなたを生きれるのはそなただけじゃ」

「そっか、そうだね」


 僕は、白い空間を改めて眺めた。白とその周りを漂う色鮮やかな光の帯。中央にある白い門。そしてマモリガミ。

 この夢は絶対に忘れたくない。そう強く思う。


「さあ、目覚めようではないか」

「ね、最後にいいかな」

「ん?」

「君の名前が知りたいな」


 それを聞いて、マモリガミは深い笑みを浮かべた。


「良いが、絶対に聞き取れぬ」

「それでもいいよ。君の名前を知りたいんだ。また会えるかもしれないし」

「会えぬ。この千年で同じ誰かにあったことはない。数多あまたの夢があるのだ。あの光の中から、我が特定の人間を見つけることもできない。だからこそ会えて良かったぞ行人ゆきと


 不意に、白い空間が暗くなってきた。いや違う。自分の意識が薄くなっているのだ。目覚めようとしている。


「それでも、僕はまたいつか会いたいな」

「我はいつもここにいる。そこまで言うならそなたのことを覚えていよう」


 彼女は寂しげに微笑んだ。彼女の一つ結びになっていた髪がするりとほどけ、ふわりと舞った。


「道草せずに、まっすぐ目覚めるのじゃぞ。さよならじゃ」


 目の前が更に暗くなり、意識が更に薄くなり、夢世ゆめよの果てが遠ざかっていく。


「我の名前は――」


 彼女の名前は聞き取れなかった。僕がその前に目覚めたわけでもなければ、聞き取れないほど複雑な名前だったというわけでもない。

 彼女の名前は、僕の耳には涼やかな鈴の音にしか聞こえなかった。きっと、人の耳には聞き取れないのだ。

 彼女はやはり、マモリガミ、夢世ゆめよを守る神だったのだろう。





 目覚めると、いつもの見慣れた光景が広がっていた。なんてことはない自分の部屋。片付けようと思って片付けられていない机が、視界の隅に入る。

 起き上がれば、そこはいつものベッドで、そばにあるスマホからアラームが不意に鳴った。それを止めてから伸びをする。


「マモリガミ」


 覚えている。彼女のこともあの空間も。いつか、いつかまたあの果てに僕はたどり着けるだろうか。行きたいと願いながら寝れば、案外行けたりしないだろうか。そんなことを考えつつ、ベッドから立ち上がった。


 この日から数えて一夜目、二夜目と、寝ている時に夢を見ても、僕は夢世ゆめよの果てには行けなかった。行けたら覚えているはずだから行けていないということで間違いない。

 五夜目の夢。十夜目の夢でも行けず。それから一月経ち、半年経ち、一年経ち、ようやく僕は彼女の「同じ人間に会ったことはない」という言葉は本当なのだろうと認めた。

 それでも、もう一度会ってみたいと思っている。もし、また会えたら彼女はどんな顔をするだろう。そんなささやかな楽しみを持ちながら、毎日寝るのも悪くはない。

 僕は今日も眠りに就く。彼女が守る夢世ゆめよの中にある、夢の一つとなりにいく。願わくば、また夢世ゆめよの果てで会えたら。夢世ゆめよについてもっと教えてほしいんだ。そして、その鈴の音のごとき美しい名を、もう一度聞かせてほしい、そう願っている。







―終―




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儚き夢世のマモリガミ 泡沫 希生 @uta-hope

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