第9話


 ――セリカがうっかりルイサの元へ飛んでしまってから1か月が経った。あれから、魔王城へ敵対するような目立った訪問はない。確かに、城へとやってくる人間の数は増えていた。だが、それは魔王を倒しに来るのではなく、ただ話を来るだけだった。みな一様に言うセリフは『ドラァドから聞いて、そこにいるのが人間なのか魔王なのか確かめたかった』だった。彼は早急に対応及び調査を行ってくれており、やはり自国以外での噂が広まっていないことから、物珍しい話に興味を持った人間たちが、わざわざ手土産を持って『ひとりでは退屈だろう』と名目を立てて尋ねてきたのだ。

 セリカにとっては嬉しい話だった。確かにこの城に来る人間はほとんどいない。いたとしても、魔王討伐を掲げてやってくる人間が少数だけだった。傷つけたくない人間に、追い返すためだけの軽いものとは言えど、魔族を仕掛けることへのストレス。知らない人が自分を殺すためにやってくるという事実への恐怖。漠然とした情報しかないことへの不安。どれをとっても、セリカにとってはマイナスな感情しかなかった。


「じゃあ、また来ますね!」

「えぇ、待ってるわ」

「次は子どもを連れてきても良いかしら? このお城を見せてあげたいの。それに、男性を連れてきても問題ないのなら、ウチの夫も一緒にダメかしら……?」

「もちろんいいわよ! その時は、ドラゴンに乗って空中散歩でもどうかしら?」

「嬉しい! きっと子どもも喜ぶわ。……本当に、ひとりで大変なのに、こんなに優しくしてくださって……。私の周りにも、良い噂を広めておきますわ」

「あはは、ありがとう。また、お話聞かせてね」

「その時は人気のお菓子、持ってきますわね」

「それも楽しみにしてる! 私も次は、鉱石で淹れるお茶を用意しておくわ。珍しくて美味しいのよ?」

「私も楽しみだわ!」

「帰りはドラゴンに送らせるわね。護衛にリザードマンもつけるわ」

「ありがとう。それだけいたら安心ね! それじゃあ、また」

「えぇ。気を付けて帰ってね!」


 今日のお客は子持ちの女性だった。彼女には小さな子どもがいたが、自分とさほど年の変わらない女性が魔王と呼ばれていると聞いて、気になってやってきたのだ。万が一のことを考えて子どもは夫に預け、自分ひとりでやってきた……というのもよくよく考えれば凄い話だが、ドラァドの信頼の賜物かもしれない。彼がどんなふうに話をしているのか、彼が民にどう思われているのかはわからなかったが『いい仕事をしてくれた』ことは間違いないようである。


 周りから固めていくように、セリカのいない場所ではセリカが受けた突然の神託と、なぜそのようなことが起こったのかをドラァドたちは世間話として流していた。『一度会ったが、親切な女性だったこと』と『突然ひとり魔族とともに城に閉じ込められたこと』、そして『その魔族も自分達と暮らす魔族となんら変わりなかった』ことも併せて。こうすれば、あとは噂話として勝手に話が広まっていく。悪い話は微塵も入れていない。いい話だけが噂で回っていくことを信じて。

 そして、自国の民へは一般市民から順に片っ端から探りを入れていった。すると、みながその話を知ってはいたものの『だからどうした』というところまではわかっていなかった。つまり、女性が魔王に、男性が勇者にある日突然任命されたことはわかっていたが、それ以外のことはわかっていなかったのだ。


 ――おかしい。そう感じたドラァドは、今度は城に近しい人間と冒険者へと探りを入れた。すると、今度は悪い噂だけが流れているようだった。それは、ドラァドたちが他国で流したものでも、自国で聞いた話でもなかった。ブルックスが聞いた話に近いものだった。だがこれも、ブルックスが広めたわけではなく、ブルックスもやはり『聞いた』話だった。そして、セリカは悪い魔王として近々討伐される話があがっているものの、それはあくまでもこの城に関する人間たちのいるところでされている話で、しかも始めは魔王城に閉じ込めるかこの城に幽閉しておくという話だったと、何人目かの城の兵士がこっそりと教えてくれた。

 彼はセリカの城に遊びに行った女性の夫で、自分が城で聞いた話と妻が町で聞いた話とで魔王に対する印象が全く違うことに驚いた結果、敢えて魔王の元へと自分の妻を行かせたとも話してくれた。魔王城へ行った人間は必ず帰ってきているし、酷い目に遭ったという話も聞いておらず、妻の好奇心に負けたということもあり許可を出した。帰ってきた妻は興奮気味に魔王城での話を語っており、今度は自分も遊びに行くと、なにより妻がとても楽しそうだったと、彼自身も嬉しそうに話してくれたらしい。城の人間には思うところがあるようで『このことはどうかご内密に』とドラァドへ釘を刺したが、当然ドラァドは彼の所在を明らかにすることはなく、楽しかった話だけを『知り合いから聞いた話』と切り出して吹聴した。この話はおおむね好評で、多くの人間がこの話に興味と好感を持っていた。


 こうして、このあともセリカの元へ多くの人間がやってきた。件の女性は夫と子どもを連れて城へまた遊びに来ていたし、ドラゴンに乗って空中散歩もしている。様々な人間が様々なタイミングでやってきた結果、城からの噂を打ち消すように、自国の中でもいい意味での魔王の噂が広まっていった。


「……私、このままここで暮らしてもいいかも」


 セリカはぼそっと呟いた。嫌なことはどこかへ行ってしまって、今は毎日が楽しい。一般人が城へいるからか、誰かが攻めてくることもなく、魔王になってから今までの中で一番平和な日々を過ごしているのだ。そう思うのも無理はない。


「しかしセリカ嬢、最近また不穏な動きが城の中で見られるらしいですぜ」

「えぇ……そんな……」


 セリカの不安を煽るように、近況報告をしに来たドラァドが告げる。


「どうも、最初にあった神託自体がキナ臭いって話でさぁ。この占い師、ある日ルイサ王が急に雇用したって話で。ふたりでコソコソと話し込むことも多くて、一部の兵士たちが訝しがってるって聞きやしたぜ」

「それは興味深いね。なにか人には言えない理由があるのかもしれない。……城の中に入るのは、僕のほうが良いだろう。少しこちらで調べてみる」

「お願いしやす、ブルックの兄貴」

「あぁ。……こちらも気になる話を耳にしてね。ルイサ王だが、婚約破棄をしたらしい。……セリカが魔王になってすぐのことだ」

「……? 私が魔王になったことが、なにか関係しているの?」

「それはまだわからない。だが、長年懇意にしていた国の娘とのことだ。本人たちの付き合いは長い。よほど特殊かつ納得のできる理由でなければ、両国の関係悪化は免れないはずだ。ドラァド、こっちの調査をお願いしても良いかな? できれば、迅速かつ正確に」

「任せてくだせぇ!」

「セリカは、今まで通りこの城で過ごしていてくれ。……本当は君にも遊びに来た人間に話を聞いてほしい気持ちもある。だが、その結果要らぬ噂を立てられても良くない」

「わかったわ。……今ね、とっても楽しいの! いろんな人が来てくれて、いろんな話を聞いて……。できれば、波風は立たせたくないわ」

「まだ不便をかけて悪いけど、もう少しでなんとかなりそうな気がするんだ」

「絶対今の状況から脱出させてみせますぜ!」

「ふふふ。ありがとうドラァド」

「明日からまたトリスとシエナを置いていきやすから。他の知り合いも、何人かこさせやすんで。変なやつが来たら、すぐに逃げ出せるようにしやしょう!」

「あとで二人の聞いた話をすり合わせるとしよう。さ、そろそろ夜も更ける。部屋まで送ろう。ドラァド、先に入口まで行っていてくれるかい?」

「あいよ!」


 セリカはブルックスに連れられて、自室の前まで来た。


「……いいかい? まだ油断しちゃいけないよ?」

「えぇ、わかってるわ」

「僕もまたすぐに来るから。……それじゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい、ブルックス。……あ、あの! い、いつも、ありがとう……」


 頬を真っ赤にしながら、セリカは御礼と言わんばかりにブルックスの頬へ背伸びをして口づけた。


「……あぁ。君のためならなんだって頑張れるよ。……それこそ、本当に魔王だって」

「危険なことはしてほしくないわ」

「大丈夫。……おやすみ」


 今度はブルックスがセリカの頬へ口づけた。


「おやすみなさい」


 セリカは自室へ入るとベッドへ倒れ込み、相変わらず赤い顔で愛おしそうに自分の頬に手を添えた。


「こ、これは、挨拶……なんだから……」


 ブルックスの唇が確かに振れた頬は、いつまでも熱を帯びていた。

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