第7話


 次の瞬間、セリカは一瞬意識が途切れたかと思うと、お尻から硬い床に落ちていた。


「ったぁ……っ……。うううー、お尻が、い、痛い……」


 立ち上がってお尻をさする。どの高さから落ちたかはわからなかったが、骨に響く鈍い痛みが恨めしい。


「……ん? ここは……?」


 自分が先ほどまでいたお城とは明らかに違うことはわかっていた。辺りをキョロキョロと見渡したあと、セリカは自分の手にあのランタンがあることに気が付いた。


「……あ! そっか! ここラスタシア城なんだ! さっきランタンが映した文字に触れちゃったから……」


 このランタンは、ランタンを手に持った状態で場所の名前を呟くと、ランタンの中に言葉にした場所の風景が、ランタンの外側に名前が映し出される。そしてその映し出された文字を手で触ると、その場所へと一瞬で移動することができるのだ。今いる場所を登録するときは、専用の呪文と一緒に町や地名を唱える。移動するつもりで登録していない名前を呟いた場合は、なにも起こらないようになっている。

 周りには見たことのある装飾が広がっていた。ここはセリカが魔王として神託を受けた、まさにその場所だった。目の前にある、少し高い位置に設置された玉座に今は誰も座っていないが、あのときは若くして戴冠した新王が座っていたのを覚えている。


「今は王いないのかな……? って、私見つかったらめちゃくちゃまずくない……?」


 なんの案内も招待もなしに、セリカはラスタシア城内に足を踏み入れてしまった。それに今の自分は立場が魔王であり、人間と対峙するようにけしかけられている。万が一見つかったら良くて牢屋行き、最悪その場で首を狩られるだろう。ついさっき、ブルックスとドラァドから危険だという話を聞いたばかりなのに。


「あーもう……油断してた」


 大きな溜息を吐くと、セリカは改めて辺りを確認してランタンを見つめた。


「えっと、魔王城……」


 ランタンに向かってそう呟く。セリカの住んでいるお城に名前はついていない。みなが魔王城と呼ぶため、呼称はそうなっている。


「……あれ? お城の外観は浮かんでるけど、名前が出てこない……?」


 セリカの言う通り、お城は映っているのに名前だけが浮かんでこなかった。他の呼び名は知らないし、お城が映っているのだから登録した名前が間違っていることはないだろう。


「う、嘘……。これ、帰れないっていうこと……?」


 そのあともセリカは何度も魔王城の名をランタンに向かって叫んだが、名前が出てくることはなかった。


 このランタンが、実は『建物内部で使えない』ことを、セリカは知らなかった。魔王城からこちら側に飛ぶことができたのは、魔王城という場所が特殊な環境下であったからなのだ。セリカはそれも知らず、たまたまランタンを使い、たまたま移動できてしまったのである。ランタンの存在を知っていたから、ドラァドはそのことを伝えなかった。もう知っていると思っていたのだ。


「ええっ……。やだ……。お城から出られたのに戻れないの? ドラァドはちゃんと登録した、って言ってたよね……? 実はトラブルがあって登録に失敗したとか? ……そんなことある!? ……あ! もしかして、外じゃないと使えないとか? ……うん? それならどうして私魔王城から出られたの? ……あぁもう! 意味わかんない!」


 セリカはパニックを起こしていた。なぜ自分がこの場に飛んでこられたのかがわからない。外でしか使えない可能性には思い至ったが、それだと魔王城で使えた理由がわからないかったのだ。


「あーもう! 仕方ない、とにかく外に出なきゃ!」


 グズグズと考えるのをやめ、セリカは意を決して外へ出る道を探すことにした。いわばここは敵の本拠地である。丸腰でひとり歩き回るには不安しかない。


「えーっと確か……。ここを真っ直ぐ行って曲がってさらに進んだら、大きな階段があって、それを下って正面にお城の正門があったはず……」


 神託を受けた日のことをセリカは必死に思い出していた。あの日のことは、刺激が多きずぎて逆に覚えていなかった。しかし、少しでも正確に思い出さないと命が危ない。そんな不安と恐怖に押し潰されそうになりながら、セリカは今思い浮かべた道順に沿って歩みを進めた。


「この階段を下りれば、なんとかなる……はず!」


 まだ辺りに人影もなければ、誰かの話声も聞こえない。逃げるならば今だ、と、セリカは勢いよく階段を下りた。


「はぁ、はぁ」


 途中何段か階段を踏み外しそうになりながらも、城の出入口へと近づいていく。


「……ご苦労様。自ら死にに来るなんて、大した勇気の持ち主だね。――魔王、セリカ」

「……あ」


 誰もいないと思っていた階段の下に、人間が大勢立っていた。


「捕らえろ」

「はっ!!」

「ひっ……」


 ひと際目立つ男性に見覚えがあった。この国の王、ルイサだ。


「はっ、離して! なにもしてないわ!」

「なにもしてない? 私はお前をこの城に呼んだつもりはない」

「そっ、それはちょっと! 魔法の誤作動で!!」

「言い訳は要らない。……ちょうどいい。私が直々に手を下してやろう」


 そう言いながら、王は豪快に笑った。彼はブルックスとそう年が変わらないように見える。――自分がただの民のままだったら、彼のことを好ましく思っていたかもしれない。よくよく見れば金色のロングヘアが、身につけた豪勢な服にとてもよく似合っている。切れ長で鋭い目つきをした瞳は、睨まれただけで息が止まりそうなくらい迫力があったし、落ち着いてよく通る声は心臓を掴まれる思いだった。彼は好ましく思えるのスペックを持ち合わせていた。自分の今の立場もあるかもしれないが、ルイサが放つオーラとその視線が、以前この城で会ったときよりも増している、そんな気がしていた。


「い、いやっ……」

「お前に選択肢はない。……が、そうだな」


 ルイサはセリカのことをジッと見つめた。足の先から頭のてっぺんまで舐めるようなその視線に、セリカはなんとも言えぬ気持ち悪さを感じた。まるで本能が告げているような。


「魔王などと神託を受けるとは、よくよく考えれば唐突で身も蓋もない話だと思っただろう? ……私は」


 まだそのあとに言葉が続きそうなのに、ルイサは言わないままセリカへと近づいていく。もしかしたら、王独りなら自分にも倒せたかもしれない。そんな考えを一度は持ったものの、その周りにいる多数の兵士の姿を再度確認して、セリカは自分の考えを一蹴した。なにも言えず、なにもできない自分自身に苛立ち、セリカは唇を噛み締めて睨みつけるようにルイサを見た。


「セリカ、なぜ睨む?」

「あ……当たり前でしょう!? あなたの……あなたのせいで……!」

「私のせい、だと? ……神託は初め、占い師が受けたものだが?」

「でも! あなたが……!」

「……今私が一声発すれば、お前の首は飛ぶんだぞ?」

「くっ……」

「フン。良い表情だ。……試してみるか?」


 座り込んだセリカの顎を自身の指で上げさせると、睨みつけるセリカをジッと見た。見下した表情でそう告げたルイサであったが、次の瞬間顔から血の気が引いていた。


「……!?」

「いったいなんだ!?」

「まっ、前が見えない……!!」

「真っ暗だ!! だ、誰か……!!」

「落ち着け!! ……これは……」


 ルイサがなにか言いかけたところで、一緒にいた兵士たちが騒ぎ始めた。しかし、それは不自然な行動にしか見えなかった。セリカの周りにはなにも異変はないのに、急に『真っ暗』『目が見えない』と彼らは言い始めて、本当に見えていないように誰かとぶつかったり、床に這いつくばるような体勢をとったりしたからだ。ルイサもセリカから手を離し急いで立ち上がったもののキョロキョロと視線を動かしたり、腰へ携えた剣に手をかけている。


「セリカ! こっちだ!」

「……ブルックス?」


 表情はよく見えないが、間違いなく遠い位置にブルックスの姿が見えた。彼は自分の城にいたはずだ。どうしてこんなところにいるのか。セリカは疑問に思ったが、このままここにいても良いことはないと、怪しい動きを繰り返すルイサたちを置いて一目散にブルックスの元へ逃げだした。


「誰だ! なにをしている!」

「逃げたのか!? 捕まえろ!」

「魔王を捕まえろ!!」


 セリカが逃げたことを感づかれたようだ。だがみな一様に声を出すだけで、実際に追いかけたりはしなかった。暗闇が怖いのだ。結局、ルイサたちはセリカを捕まえることができなかった。辺りが見えるようになったころには、とっくにセリカの姿は城の中になかった。彼女はブルックスとともに無事に逃げおおせたのだ。


「……はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……っ」


 城の外に出てすぐに、セリカはランタンに魔王城と告げて文字を出すと、それに触り城へと帰還した。ランタンで移動できる人数に制限があるのかはわからなかったが、ちゃんとブルックスもついてきている。


「セリカ、大丈夫?」

「え、えぇ……。はぁ、はぁ……はぁ。あんまり、急に運動するもんじゃないわね……」

「まさか、急にいなくなるなんて思わなかったよ」

「油断してたわ、ごめんなさい……」


 セリカは助けに来てくれたブルックスに感謝と謝罪の意を込めて頭を下げた。


「いや、良いんだ。……言ったでしょう? 『君を守る』と」

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