13話 取引
ヴィランの手から離れた瓶が地面に落下し、薬もろとも砕け散ろうとするその瞬間、
「リン!」
黒い小さな影が飛んだ。黒い小さな影は瓶が地面に到達する前に、しっかりと受け止め、そのまま守るように抱え込んだ。
「ナイスキャッチだ、リン!」
俺はリンに、ヴィランが薬の瓶を落とそうとしたら受け止めてくれ、と念話で伝えていた。気配探知と危機探知のスキルを使ってもらい、飛び出して間に合うギリギリの位置にリンを降ろした。
リンは俺の顔を見て、やったよ!という顔で笑った。
ヴィランは何が起きたのか一瞬分からないようだった。しかしリンが瓶を抱えているのを見ると事態を把握したのだろう、みるみる顔色が変わり激高した。
「この……糞ゴブリンが!!」
「ギャン!」
「あっ!?リン!」
あろうことかヴィランは、目の前にいるリンを蹴り上げたのだ。ふっ飛ばされたリンは瓶を抱えたまま転がり5mほど先で止まった。
慌ててリンに駆け寄り傷を確かめる。蹴られたのは背中だったが、それ以外にも、転がったせいであちこちにすり傷をつけてしまっていた
『リンハ大丈夫。薬も無事……ダヨ……』
けなげにも痛みをこらえて笑顔を見せる。蹴られる寸前に瓶を身体でかばってくれたのだ
おのれ、ヴィランめ、お前の血は何色だ!!絶対に許さない!!
ためらうことなくポーションを取り出し飲ませる。リンの体が光に包まれ、傷がみるみる治っていく
『ミナト、モウ痛クナイヨ。アリガトウ』
ごめんよ、リン。こんなに痛い思いをさせてしまってごめんよ。リンが回復したのを確認してヴィランに向き直る。
「……なぜ薬の瓶をわざと落としたんですか?」
かろうじて残った理性を絞り出し。問いただす。
「あっはっはっ!お前の汚らしい手に触れたくなかったのでな。ついつい手を滑らせてしまった。しかし、ゴブリンごときにポーション使うとは、本当に貴様は頭が沸いてるんだな!」
俺の怒りに気が付かないのか、ヴィランがしゃあしゃあと答えた。
「そうですか、それではあなたが落としたキュアポーションの代金、金貨30枚分弁償していただきましょうか。約束はしっかり果たしてもらいますよ」
「はあ?何を言ってる。薬はそのゴブリンが持っているだろうが」
「ええ、そうです。リンが持っています。つまり薬はもう俺の所有物ではなくリンの物になってしまったのですよ」
ヴィランは、何を言っているんだ?という顔をしている。
「俺はあんたに「絶対返してください」と言い、あんたは「もちろんだ」と言った。にもかかわらず俺はあんたから薬を返してもらっていない。これは明確な約束違反だ」
「それは、そのゴブリンが持っていったからだろうが」
「じゃあ、もしリンが受け止めなかった場合、落とした薬をどうやって返すつもりだったんだ?俺は薬の瓶に一度も触れていない。つまり、渡す前に手を離したあんたの明らかな過失だろう。薬瓶は割れたものとして、責任をあんたに取ってもらう」
「何を言っているんだ、そのゴブリンから取り上げれば済むことだろうが!お前が主人ならアイツの物はお前のものだろう!?」
俺は「はぁ」とため息をつきながらリンを抱き上げた。
「俺とリンは従魔契約を結んではいるけれど、所有物に関しては勝手にできないんですよ。リン、その薬をくれるかい?」
瓶を抱えたリンは首を振り、NOと意思表示した。
「そうだよな、貴重な薬だしなぁ。……じゃあ金貨20枚でどうかな?」
またリンが首を振る。
「え~、じゃあ金貨30枚では?」
リンは少し考え込んでいたが、しょうがないと言った感じで頷いた。
「あ~あ、金貨30枚ですって。まぁ、それはヴィランさんの借金ですけどね。でも良かったですね、50枚とか言われなくて」
「ふざけるな!こんな茶番つきあっていられるか!!だいたい偽物の薬なんかに、金貨30枚も払う馬鹿がどこにいるっていうんだ!」
ヴィランはなおも、わめきたてる。
俺だってこの話が無理筋だという事くらい分かっている。しかしヴィランの言うこともまた村長という権力と暴力をかさに着た理不尽なものだ。俺はそれに屁理屈で対抗しているにすぎない。相手が無理筋で来るならこっちも無理筋で戦うだけだ。大事なのはとにかくこちらのペースにヴィランを巻き込み、主導権を与えないよう立ち回る事だ。
「ほ~、わざと瓶を割ろうとした挙句に偽物呼ばわりですか。ではこの薬を母さんに飲んでもらいましょう。そうすれば嫌でも偽物かわかりますよね?そのかわり、これがもし本物の薬であった場合、金貨30枚分の借金を帳消しにしてもらいますよ?」
オスカーに薬を渡し、母さんの寝室を指さす。薬を受け取ったオスカーがこちらを見た。俺は笑顔で、
「俺とリンが必死に守った薬です。信じてください。……そしてグラントさん、こいつらが変な動きをしたら頼みます」
そう言ってグラントさんには俺の相棒の木刀を渡す。グラントさんは木刀を受け取った瞬間、うっ?というわずかなうめき声と共に木刀を取り落としそうになった。
ん?俺が声をかけると問題ない、と言い木刀を握り直し、構えるとヴィラン達に向かって言い放つ。
「お前ら、少しでもオスカーの邪魔をしたら、手加減はしないからな?」
「なっ……」
ヴィラン達はグラントさんが牽制していて動くことができない。その隙にオスカーが急いで家の中に入っていく。
「あんなどこで手に入れたかも分からないような薬が効くわけがない!偽物だ……!!」
ヴィランが負け惜しみのように言うが、数分後……。
「母さん!母さん、治ったんだね!良かった!うん、分かってる。トーマ、トーマ!!」
家の中で声がして、オスカーが転がるように飛び出てくると、そのまま俺を抱きしめて泣き出した。その顔を見れば結果は一目瞭然だ。どうやらキュアポーションは期待通りの働きをしてくれたらしい。
それが皆にも分かったんだろう。「やったな」「よくやったな、トーマ」「すごいぞ!」と周りの観衆から声が聞こえ拍手がまきおこった。
オスカーをなだめながら、これで俺はパナケイアさんとトーマの約束を果たせたと思った。
さて、あとは目の前のごみ屑の掃除をするだけだな。
「……と、言うわけで本物でした!それじゃ金貨30枚お願いしますね。どうもすみませんね~」
と、とびきりの笑顔でヴィランに声をかけた。これで残りの借金は金貨20枚だ。
ヴィランがプルプルと震えだす。手に持っていた薬瓶も小刻みに揺れている。
「おのれぇぇぇ~このクソがああああ~!!」
突然、ヴィランは持っていた薬瓶を地面に叩きつけた。大きな音が響き瓶は粉々にくだけ、中の液体をぶちまける。
「許さんぞ!トーマ!俺の苦労を無にしやがって!お前ら!やれ、やってしまえ!」
ヴィランの命令で手下の男たちは急に襲い掛かってきた。
「死ねやあ!!」
手下の一人が突っ込んでくる。素早く俺達の前に立ったグラントさんが、木刀で剣の切っ先を払い、そのまま前へ出ると柄で剣を持つ手首を叩きつけた。男はたまらず剣を落とす。返す刀で二人目の剣も軽々と木刀で受け止め、そのまま力任せに払いのける。
その勢いを止めきれず、男は押し出されたようにに倒れ込む。その隙をついて最初のもう一人の男が素手で殴りかかってきたが、それも軽々とかわし自らのこぶしを腹に叩きこんだ。痛みに顔をゆがめうずくまる男の顔先に木刀の切っ先を突き付ける。
圧勝だった。
「つ、強い……」
あっという間に二人をのしてしまった。ヴィランがあっけにとられてへなへなとへたり込んでしまう。
よし、ショックを受けているところを悪いが、もっと追い詰めてやる。
「こんな時ですが、今、ヴィランさんが割ったその薬瓶なんですが、実はもともとは俺の持ち物なんですよね~」
へたり込んだヴィランに話しかける。
「あ?何言っている?これは俺の物だ!」
「いいえ、違います。それは俺が薬屋で購入したものです」
「なんだ……と?貴様、記憶をなくしたと言っただろうが……!もしや、俺をたばかったのか!?だが、証拠はあるのか?貴様の物だという証拠が!」
ヴィランは動揺し怒鳴り散らしている。なら、証明してやろうじゃないか!
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