6-2
「そう言えば、過去二度の勝負はうやむやになったし、今回は吉田さんも協力させるつもりで提案しているけど、もしこれで日和さんが大敗したとしても、それだけで完全に勝ったって周囲に言えるの?」
その指摘に、桔梗院さんは一瞬ギクリと肩を震わせたかと思ったけれど、すぐに不敵な笑みを浮かべて僕の方に視線を向ける。
「今回の勝負は、あくまでもわたくし自身が大衆の娯楽の分野において、日和さんよりも知識が明るいと言う事を周囲に広めるのが目的なのでしてよ。例えば料理という分野においても、わたくしが直接料理を行わなくても幅広い分野の食を通じて確かな舌を鍛えてますのよ!」
僕と吉田さんに対抗してだろうか、桔梗院さんが例え話をし始める。話は更に進んで、料理以外のその他に、音楽、アニメや漫画、映画、ファッション等々、桔梗院家たる者の務めであると、ありとあらゆる文化から知見を広めているのだと自信満々に語り出す。
桔梗院さんが話題に出す様々な分野の内容を聞いて、周囲も思わず驚きA組の面々の視線は彼女の方に向いていた。
桃瀬さん達も同様に、桔梗院さんの話の内容に感心していた。僕には何が何だかさっぱりだったけれど、何か興味が惹かれる分野の話もあったのだろう。桃瀬さんが振り向いて、今度は僕に尋ねて来る。
「流石桔梗院さんといった感じね! お嬢様なのは伊達じゃなかったわ! ねえ、日和さんはさっきの話を聞いてどう思った?」
「えっ、えっと……その、非常に申し上げにくいのですけれど、今の話、私には何が何だか全然把握出来なくて……」
どうしよう、僕は一般常識としての社会の知識が皆無過ぎる。どうだったと話を振られても、何も知らなくて言葉に詰まってしまった。
さっきまで盛り上がっていたA組のクラスメイト達も、僕のこの反応で一瞬で固まってしまう。桃瀬さんも、何だかやってしまったと言わんばかりの顔をしていて、その後ろでは桔梗院さんが勝ち誇ったような顔になっていた。
「あーら、日和さん。どうやらこの手のお話には随分と疎いようですのね。それ程までというのでしたら、今まで一体どのように暮らして来たのかしら?」
「あはは、はい……正直に言いますと、身嗜みに意識を向けるまでお化粧に使う用品の名前も全く知らなくて、お洋服も面倒を見て下さっている人から、薦められる形で日々学んでいる途中でして。料理も最近始めたばかりで、それ以前は能力についての医学の勉強ばかりしていました……」
能力の都合上、医学の心得は多少は身に着けてはいて、シャドウレコードの四天王として組織にとっての必要な知識も勉強はしていた。けれど、それだけだと言ってしまえばそうでしかない。
料理を本格的に教わり始めたのは最近になり、今の僕の姿を維持するのに必要な事も今年に入ってからになってしまう。今まで必要な事だと思って勉強していた事は、この場には全く役に立たない事を存分に思い知らされる現状に、僕は思わず打ちのめされそうになってしまう。
どういう訳か今日のこの時まで凄い凄いと持て囃されてはいたけれど、本来の僕自身なんてひ弱で頼り無いだけの存在でしかなかったんだ。桔梗院さんとの勝負も、偶然僕にとっての良い方向に結果が向いていただけで、本来得意な分野で言えば彼女の方が圧倒的に多い筈である。
世間知らずな恥ずかしさと、見当違いだった努力の仕方に、僕はただ桔梗院さんに向かって困ったように笑う事しか出来なかった。今回の勝負は桃瀬さんがもしもの場合として例えた事以上に、うやむやになった分を帳消しにしてしまう程に大負けしてしまいそうだ。
そんな内心不安だらけの僕とは裏腹に、さっきまで勝ち誇っていた顔つきだった桔梗院さんの様子がおかしい。どうしたのかと周囲に視線を向けると、クラスメート達の視線が僕に向いている。
その視線は何も知らない僕の事を嘲笑するような冷ややかな物では無くて、何だか大切な物を見つけて守ろうとしているような情が篭った物に感じられた。周囲の変化にどうしたのかと困惑してしまうと、南野さんを含めた、普段から僕に話しかけてくれる女子達が全員納得がいったかの表情をしている。
「いやー、前々からそうなんじゃないかなって思っていたんだけど、今の話の雰囲気で日和さんってば随分な箱入りのお姫様だなぁって、逆に感心しちゃったねぇ。こんなの真似しようと思っても出来ないってばー」
「うんうん、出会って初めの頃の日和さんは見た目が出来過ぎてるし、こういうキャラで高校デビューしようとしてる子なのかなって疑ってたけど、これは完全に素でやってるのねぇ」
「化粧品やファッションとか尋ねたら答えてはくれるし、でも、目立つ割には結構恥じらってる事もあってどういう事なのかなって思ってたら、本当に何も知らない子が言われるがままにしていただけとは。それが似合ってて綺麗って言うのも凄いけど」
「で、でも! それでも身嗜みがきちんとしてる日和さんは凄いよ! それに色々努力もしてるのは皆も知ってるよね? この前だって、桃瀬さん達と遊びに行った時の日和さんの私服も似合ってて可愛かったよ」
吉田さんも会話に加わって僕についての話で盛り上がっていく。特に私服の話で興味を持たれ、南野さんが携帯端末で撮影した僕の姿を周りの友達に見せている。
箱入りがどうだとか、高校デビューがどうとか言われてしまい、先程まで不安でいっぱいだった僕は会話について行けなくて混乱してしまう。
「え、えっと、私が箱に入るんですか? でも、家に私が入れるような大きな箱はありませんし、収納スペースになら中の物を外に出せばどうにか入れはしますけれど……」
引っ越して来た際の積み荷を入れていた段ボール箱になら辛うじて入れるかもしれない。でも、それらは全部、メイさんと二人で資源ゴミの日に処分してしまって家には無い筈だ。箱を求められているのなら帰ってからきちんと用意しなければと考えていると、不意に桃瀬さんが僕の腕に手を触れて来る。
「日和さん、しっかりして!? 箱入り娘って意味だから、貴女を箱に詰めたい訳じゃ無いのよ!」
「えっ? ええと、そういう事? でしたか……てっきり、私が何も知らないから箱に入れて送り返されてしまうのかと」
「そんな可哀想な事、する訳無いじゃない! 仲良くなれたのにここでお別れだなんて私は嫌よ! 私からお姫様を取り上げるなんて許さないからー!」
感情的になった桃瀬さんが僕の腕に抱き着いて来る。僕を守ろうとして必死な顔になる彼女を見て、南野さん達も笑い出す。賑やかな雰囲気に戻ったA組に僕も安心していると、すぐ側で小声で話す桔梗院さん達の声が聞こえる。
「むむぅ……! 何という事なのかしら……! まさか日和さんがこんな離れ技をやってのけてしまうだなんて! 何をどうやったら此処まで上等な箱入り娘になんてなれるというの……!?」
「流石、エリカ様がライバルとお認めになられたお方ですね。知見を広げ周囲からの尊敬を得るエリカ様に対して、その類い稀なる容姿がありながらも能力の研鑚に尽力する事で、日和様自身の神秘性を極限まで高めていらっしゃっていたとは」
二人して、何だか難しい言葉で僕を分析している。箱入り娘といい、神秘性といい、改めて周囲から見た僕に対する評価という物が、気になって仕方が無い。
そもそも箱入り娘という、僕が女の子として生きて来たという前提でなされている会話に、全くそうでは無かった事実を知る身として申し訳無い気持ちになってしまう。
「あの、桃瀬さん。私が世間を知らない事は私自身が痛い程理解していますけれど、皆さんに言われている程私なんて、お姫様でも神秘的でも無いと言いますか……」
「何言ってるのよ、今の今までどう見たって神秘的な箱入りのお姫様だったわ! そうじゃないって言うなら他に一体何だって言うのよ?」
僕が僕自身をそれ程の者では無いと言ってみても、振り解けない程しっかりと僕の腕に抱き着いたままの桃瀬さんから真っ向から否定されてしまう。僕の評価が日に日におかしくなっていくので、恥ずかしくて止めて欲しいのだけれど、他に何だと言われてしまい良い表現も思いつけない。
僕が本当は、元の身体が男で、更にシャドウレコードの四天王なんだと、例え全てを壊す覚悟を持って今ここで告白したとしても、こうなってしまうと誰にも信じて貰えないだろう。
グレイスさんにも前に言われてた事を此処に来て自覚してしまう羽目になり、何か言い返したくても僕の語彙力では言葉に詰まってしまう。ほら、やっぱりと南野さん達も笑顔になって僕の周りに集まり出して来ると、わざと咳をして桔梗院さんが一呼吸おいて話し出した。
「と、とにかく! もう一度言いますけど、今回の勝負は明日の土曜日にそちらの吉田さんを連れて二対二の勝負でしてよ! 時間は午後一時半からで、場所は最近新しく出来ましたゲームセンターで行いますわ!」
桔梗院さんが指定した場所は、この前遊んだ際に桃瀬さん達と行ったことのある場所だった。南野さんもあそこなんだと声にする。それだけ伝えると、彼女はそそくさとA組を後にする。
その後は、僕達二人が全くゲームの経験が無いと言う事を桃瀬さんが周りに伝えると、作戦会議と称して女子達がゲームに詳しい男子も呼んで来て話が始まる。お昼休みの時間も残り少ないので、僕と吉田さんは要点だけをかいつまんで話を聞く。
「――という訳で、明日どんなゲームで勝負するのかはわからないけど、向こうの桔梗院さんだってそれ程難しい物は選ばないとは思うんだ。それにゲーセンのゲームは身体を動かすのも多いから、なるべく動きやすい服の方が良いかもしれないな」
「うん、良くわかったわ。急に呼んじゃってごめんね、色々教えてくれてありがとう。確かに動きやすい服は大事かも!」
「そうですね、この前遊びに行った時は、私達は動きやすいと呼べるような服装でも無かったですしね。何も知らない私ですが、大変参考になりました。ありがとうございます」
「私も幾つかタイトルだけは知ってるって程度だから、教えてくれてありがとうね。でも、そっかぁ、スカートだったりヒールの高い靴だと転んじゃうと大変だもんね」
桃瀬さんが教えてくれた男子にお礼を言い、僕達も頭を下げて感謝の言葉を伝える。彼は顔を赤くしながらも良い笑顔を僕達に向けると、すぐさま他の男子達に掴まれ何処かに連行されていった。
明日桔梗院さんがどんな服装で来るのかはわからないけれど、あの場所にはポーズをとってスコアを競うような内容のゲームもあった筈。それに種類も豊富であった為、動きやすいカジュアルな服の方が疲れにくいだろう。
とはいえ、桃瀬さんが青峰先輩に確認を取ると、ガンバルンジャーも全員強制参加で当日に来るらしい。僕達の護衛役として自分だけ行けば良いと思っていた桃瀬さんは、苦い顔になりながら教えてくれた。
その情報に、周りは色めき立ち途端に吉田さんを羨ましがり始める、吉田さんも、ガンバルンジャーに見られても恥ずかしく無いような服装と、僕の為に動きやすさを重視した服装とで途端に慌て始めた。
「どどど、どうしよう日和さん……見られるのは桃瀬さんだけだと思ってたから、急に赤崎君達も来るって聞くと、恥ずかしく無い格好も考えないとで、き、緊張してきちゃうよぉ……」
「もう、なんなのよ! こういう時にこの場にいないし役にも立たないくせに、吉田さんにプレッシャーを与える事だけはするのねアイツ等! ……よしよし、大丈夫よ~私もいるしそんなに怯えなくても良いのよ」
ぷるぷると震え出した吉田さんを、桃瀬さんがそっと抱き寄せ、優しく宥め始める。僕も赤崎君達が来るって言われたら、格好にも意識をしないといけなくなる。でも、僕達は初心者同士でどれだけ服装を犠牲にした格好になった所で、肝心の腕前は全然である。
こうなってしまっては、勝敗に関係無しに彼等を意識しないようにゲームを全力を楽しむしかないと、僕は吉田さんの肩に手を触れる。
「吉田さん大丈夫です。動きやすい服装も大事ですが、私達は初心者同士ですしやり過ぎた格好になった所で、肝心の腕前がありません。本格的な姿でなくても結果はあまり変わらないと思います。でしたら、赤崎君達に変に思われない程度の格好で、ゲームを楽しみませんか?」
「えっ……? い、良いの? ゲームをする時用のちゃんとした格好って言うのがわからないけど、そんな感じで大丈夫なの?」
「はい。怪我だけはしないように転んだ時に困らない程度の動きやすさにしておきましょう。それに、ゲームに夢中になれば周りの目線も気にならなくなる筈です。勝ち負けよりも明日は楽しみましょう」
「それもそうね。私も出来る範囲でアドバイスを出すし、やるゲームもあんまりにも大変そうって難易度だと思ったら、ちゃんと桔梗院さんを止めるから安心して! まずは二人で楽しんできなさい!」
僕達の励ましで、吉田さんは緊張がとけて、途端に笑顔で頷く。
何が起きるかわからないけれど、勝ち負けにこだわるよりは、まずは友達と楽しめるかが大事になってきた。僕自身も不安になってしまった所を周りに助けられたのだから、僕だって周りを助けないとだね。
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