桜とエリカとゲームセンター
6-1
◆◇◆
予定されていた体力測定も無事に終わり、僕は僕が思っていた以上に身体が柔らかくなったのだと言う事を周りの反応から、またもや知らされる事になった。
女の子の身体の方が柔軟性があると過去に勉強した際に、うっすらと把握していた事ではあったけれど、まさか自分の身体でそれを比較する事になるとは……
確かに、ストレッチをする際に以前よりも身体がスムーズに動かせるとは思っていたけれど、それは体重が減ったからだと考えていたから、僕自身もこうして数字に出されると驚くしかなかった。
僕の身体の柔らかさが想像以上だと桃瀬さんも驚いていて、両足を床に着ける一八〇度開脚が出来るのでは無いかと言われ、若干怖さもあったけれど思い切って脚を開くと案の定出来てしまって僕自身も最早笑うしかなかった。
その光景を見ていた周囲から、そのままバレエとか新体操をやっている人が得意そうな片方の足を上げてバランスを取るポーズを強要されたりもして、当然やった事なんて一度も無かったのでその時は断ったけれど、家に帰って転んで万が一の事が無いようにメイさんに見て貰いながら携帯端末で調べた画像を見よう見まねで再現したら、これもすんなりと出来てしまって僕は女の子の身体の凄さを思い知る事になる。
身体の柔らかさ以外は特に良かったという所は無く、持久力はそれ程変わってはいなかったけれど、握力は落ちていたし、筋力も女子の中での平均的な数値ではあった。
そんな体力測定が終わり、週末のお昼休み。僕達は昼食を済ませ食後の会話に桃瀬さんがその事を話題にして来たので、僕も思い出しながら周囲に家での出来事を話す。
「それで、家に帰った後に皆さんが言っていた事を調べてみまして、私も見よう見まねでやってみたら案外すんなりと出来てしまいまして……」
「ええっ!? 日和さんあの後やってみたんだ! すんなり出来るとか正直見てみたいけど、でも人前でやって欲しくないって気持ちも湧いて来るんだよねー」
「さ、流石に私もあんな姿勢は人前では無理ですよ? それに、服装もキチンと運動に適した格好を用意しないといけませんし」
下がスカートの制服姿では、あのポーズは色々と僕に不都合な事ばかりで無理である。今日は体育の授業も無いので体操服も持って来ていないので、きっぱりと頼まれても出来ない事を告げると、桃瀬さんはやって欲しい訳では無いと慌てて訂正して来た。
「ち、違うわよっ!? 私は日和さんを自慢したいけど、日和さんには気品ある姿でいて欲しいのよ!」
「チュンちゃんそれってつまりどういう事? 日和さんの身体の柔らかさは周知させたいけど、あのポーズはちゃんとした格好でして欲しいって事?」
「そう、そうなの! 例えばだけど、私達だけで貸し切りにした体育ホールか何処かでレオタード姿で新体操を踊る日和さんが見てみたいっていうか……!」
「な、何でそうなるんですか。私、新体操なんて習った事ありませんよ? それに、どうしてレオタード姿なんですか……?」
「気品があって柔軟性も証明するなら、新体操が当て嵌まるからじゃない? でも、日和さんにレオタードは流石にチュンちゃんスケベ過ぎだよー。スタイル抜群だから凄く似合うとは思うけどさぁ」
そのまま桃瀬さんと南野さんで、周知させたいのに貸し切りはどうなのかとか、どんなレオタードが似合うのかだとかの会話が続いていく。
僕の話をするのは別に気にはならないのだけれど、想像の中とはいえ格好が格好なので恥ずかしくなって二人を止める。
ヒートアップしつつあった二人を抑え、途中から僕達の会話を真っ赤な顔にして聞いていた吉田さんが、正気を戻し話題を変えようと僕に身体の柔らかさについて尋ねて来る。
「でも日和さん、ストレッチをするだけでも身体が引き締まったり、柔らかくなったり出来る物なの? この前聞きそびれちゃったけど、一体何をどうするの?」
「そうですね、私の場合はまず身体を鍛えようとして、疲労や負担を減らす目的で始めてみたんですよ。ストレッチだけでも十分に効果がありますから、まずは普段使わない筋肉を意識しながら動かして身体を緩めていくんです」
そう言いながら、僕は吉田さんに幾つか簡単なストレッチの方法を椅子に座った状態で腕や足を使って軽く教えてみる。
シャドウレコード内で隊員達も良く使っている基礎的な方法ではあるけれど、僕も昔は幾つか試してみた方法を話していく。
話していく途中で、吉田さんとは違う声の相槌が聞こえて来て、気が付けば真剣に僕の話を聞いている女子達に囲まれていたので、僕は驚いてしまう。
どうやら普通の女子高生の常識の範囲では無かったらしく、桃瀬さんも何だか表情を変えて僕を見ていた。
「ねえ、日和さん……基本に忠実な内容だったけど、随分と本格的で詳しいのね? ヒーロー支部にこの話をして徹底させたい位にね」
桃瀬さんの顔つきは何時もとは全く違う雰囲気になっている。その異様な表情に、僕も周囲も思わず息を呑んでしまう。
「ど、どうしたのさチュンちゃん……? 日和さんの話は凄かったけど、何か変な所でもあったの?」
「いいえ、春風、寧ろお手本にしたい位よ。仮にもヒーローの私がそう思うくらいなのよ……? 日和さん、一体どうやってそんなに勉強したの?」
桃瀬さんの目付きも普段は僕に向けないような鋭い物になっている。僕はただストレッチの話をしただけなのに、何か彼女の癇に障るような迂闊な事でも言っただろうか……?
シャドウレコード内でも貧弱な部類であった僕でも出来る範囲の内容であるし、身体を動かす事自体は僕自身の両方の能力を把握する為にも必要な事でもあったので、知られてはいけない大事な部分をぼかしつつ桃瀬さんに説明する。
「え、えっと……身体を動かす事は、一応私の能力を私自身が把握する為にも必要な事だったと言いますか、効率良く身体を治すには筋肉や関節の動きも勉強する必要がありましたので……身体を鍛える目的と合わせていたら、自然と覚えるようになっていたんです……」
雰囲気に圧されて、恐る恐る説明していく。一応は嘘はついてはいないので、これでどうにか納得して欲しい。
すると、僕の説明を聞いた桃瀬さんは、そう、と一言言い放つと僕からは表情が見えない程に首を下げ、肩も震え出した。僕はこの状況に困惑して南野さんの方に顔を向けるが、彼女も同様に困惑していた。
桃瀬さんは一体どうしてしまったのか、訳がわからない僕は思わず彼女の方に手を伸ばして尋ねる。
「あ、あの、桃瀬さん……一体どうしっ、ひゃあっ!?」
「わああああんっ! 日和さああああん! どうやったら日和さんみたいな身体のケアの大事さを知ってる子を増やせるのおおおおっ!」
桃瀬さんは突如立ち上がり、声を掛けて伸ばした僕の手を両手で大事に握り締めながら、今にも泣きだしそうな位にしょんぼりとした悲痛な顔で僕にそう訴えて来た。
なんでも桃瀬さん曰く、彼女が所属しているヒーロー支部では下級のヒーロー達は能力を鍛える事に感けて、肉体の基礎的な鍛錬が疎かになりがちになるらしい。一応与えられるトレーニングメニューはこなしているようではあるけれど、クールダウンが不十分で肉体的疲労を残したまま能力鍛錬に励もうとしているので、全体的なトレーニングの効率低下を嘆いている。
僕に向けていた視線も、護衛対象の僕でも理解しているような事を、何故ヒーロー側が理解出来無いのかという感情からだった。
睨むような視線を僕に向けていた事を謝罪しながら、桃瀬さんは僕の手を両手で揉みつつ愚痴っていく。
「護るべきお姫様が皆を癒す為に一生懸命学んでいる大事な事を、どうしてウチのバカ達は私が言っても聞こうとしないのよー!」
現状を嘆きつつも僕の手を堪能するかのように触りながらメンタルを回復している桃瀬さんは、雰囲気も何時もの調子に戻っているので驚いていた周囲も落ち着いている。いっその事、僕を医療スタッフとして勧誘すればもしかしたら言う事を聞いてくれるのでは無いのかと、桃瀬さんが大胆な事を言い出し始めた時に、廊下から僕を呼ぶ声が聞こえる。
「失礼、日和 桜さんはいますわよね? 今回こそは直前で取り止める事の無いきちんとした勝負内容を思い付きましたのよ! 聞いて下さいまし!」
声のする方向に顔を向けると、其処には桔梗院さんと影野さんがいた。またもや僕と勝負をする為にその内容を考えて来たと言っている。
彼女の話にきちんと対応するべく、僕は椅子から立ち上がって桔梗院さんの元まで近づく。同様に興味を持った表情の桃瀬さん達も僕の後ろに立ち並び、突然の来訪者にも関わらず笑顔になった桃瀬さんが声を掛ける。
「数日ぶりね、桔梗院さん! 別に日和さんとの勝負じゃなくても、私達に会いに来てくれても良いのよ~?」
そう言って、桃瀬さんは僕の前に歩み出て行き、桔梗院さんに近付こうとして影野さんに阻まれている。スキンシップに失敗して揉めている桃瀬さんを他所に、少し間を置いて僕は話を続ける。
「そ、それで、桔梗院さん。今回で三度目でしょうか。その肝心の勝負の内容というのは一体……」
「全く、あの方はもう少し適度な距離感を保って欲しい物ですわね。それはそれとして日和さん、今回の勝負は学校の行事とは離れた内容といたしましたわ。事前に生徒会室へ赴き、既に翠様の許可も頂きましたの」
三度目の正直と言った所だろうか、今回は事前に青峰先輩に許可を貰っての話となる。先輩が許可を出したと言う事は、身の危険が及ぶ可能性の無い物ではあるのだけれど、身体測定や体力測定の時とは違って本格的に考えて来たであろう事に、僕も緊張してしまう。
どんな内容が出るのだろうと身構えていると、桔梗院さんは二本の指を立てた手を僕に向けて来た。
「日にちは明日の土曜日! 時刻は午後の一時半で、場所は我が桔梗院家が事業を行うアミューズメント施設にて、わたくしと影野のペアと日和さんとそちらの吉田さんでペアを組んで、二対二での娯楽勝負を行いますわ!」
桔梗院さんが今回の勝負内容を提示する。どういう訳か吉田さんも巻き込まれてしまい、後ろを振り向くと吉田さん本人も驚いた顔になっていた。
これにはどういうことなのかと、桃瀬さんも桔梗院さんに尋ねだした。
「ちょっと、桔梗院さん? 幾ら勝負内容が娯楽とは言っても、どうして吉田さんも一緒になる訳?」
「そうですよ、私だけならともかく吉田さんも巻き込むのは、一体どういう事ですか?」
桃瀬さんに続いて、僕も尋ねる。すると桔梗院さんは堂々とした表情で僕達に説明し始めた。
「ふふん、それはこの前A組に訪れた際に、その吉田さんが日和さんの従者になるのも悪く無いと反応を示していたからですわ。それでしたら今回勝負に協力して貰おうかと」
僕達の勝負に、協力して貰う形で吉田さんまで巻き込んでしまうとは。娯楽という内容なだけに、どういった物なのかはそれだけでは判断のしようが無いのだけれど、友達の吉田さんを僕の都合で従えさせるつもりは無いので断ろうかと思っていると、肝心の吉田さんがやたらと張り切った顔になっていた。
「よ、要するに私が日和さんと組めば、お姫様の従者になれるって事だよね! 日和さん、私、協力するよ! 勝負内容も何だか楽しそうだし」
「えぇっ!? い、良いんですか? 吉田さんに迷惑では無いかと思い勝負を断ろうかと考えていましたが……」
一体どうしてなのかと僕が思っていると、吉田さんは微塵も迷惑だとはそんな素振りを見せずに、逆に僕に協力出来ると聞いて途端にやる気になっていた。周囲では話を聞いていた南野さんを含めたクラスメート達が何故か羨ましそうな顔をしている。
「良いなあ吉田さん。まあこの中じゃ桃瀬さんを除けば、日和さんと一番仲良くなったし当然かもね」
「チュンちゃんに付き合わずに私も頑張ってお弁当を自作し始めれば、ワンチャン私が選ばれてたかもかあ……悔しいけど、頑張ってね吉田さん!」
「何の勝負か俺達にはわかんねえけど、吉田さんも日和さんと一緒にいると絵になるよなぁ……騎士派には悪いけど、俺はこっちの方が見てて癒されるしやっぱ姫にはメイド派かなぁ」
いつの間にか教室内は男女問わずすっかり盛り上げムードになっていて、南野さん達が吉田さんを囲み何やら応援を始めている。僕達の話を聞いていた男子が、何やら聞き覚えの無い単語を呟いたかと思えば別の男子に絡まれ、姫の隣は騎士だメイドだと言い争いつつ数人が教室を離れて行った。
……この際、姫が誰なのかは深く考えない事にして、騎士が恐らく桃瀬さんだとすると、メイドが吉田さんと言う事になるのだろうか……? これ以上考えると話が脱線してしまいそうなので、僕は桔梗院さんの方に集中し直す、すると桃瀬さんがA組の雰囲気に圧されそうになっている桔梗院さんに何やら指摘をしていた。
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