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そして土曜日になる。約束の時間が来るまでにそわそわしていた僕は、部屋が散らかっていないか確認をして時間を潰していた。因みに、今日は朝からメイさんも僕の部屋にいて貰っていて、今日の連絡の際に一緒にいても良いかと言う許可も貰っている。
「大丈夫ですよ桜様、お部屋は十分に綺麗です。グレイス様に見られても何も注意されるような事はございません」
「そ、そうだよね、僕もわかってはいるんだけれど、なんだか気分が落ち着かなくって、普段とは反対の事を一人でやるって言うのは大変だよ」
部屋の時計を見る。指定された午前十時頃になる。正確にはまだ十時丁度になるには、後十分程早い。
「今日は私もいますのでご安心下さい。そろそろお時間のようですし、グレイス様も普段の桜様の行動を知っておられますし、向こうの方も既に待っておいででしょうから、連絡の方もしても宜しいかと思われます」
少し早いかなと思ったけれど、メイさんにそう言われてしまう。クッションに座り前回やった通りに端末を操作すると、言われた通りに直ぐに通信が出来た。
「うふふ、桜ちゃん、メイちゃん、数日ぶりね! 護衛の件聞いたわよ。私達も思っても無かった事が連続して起きてて大変だったみたいね」
モニターには何時も会議で使用している会議室では無く、自室にいるグレイスさんが映っていた。見た目もこちらに来る時用の姿では無く、グレイスさん本来の赤い髪に紫色の瞳の姿で、服装もそれに合わせた妖艶な物だった。
僕が引っ越す時からグレイスさんは姿を変えていたので、この姿を見るのは久しぶりになる。
「グレイスさん! おはようございます! 僕が引っ越す時に着いて来てくれたグレイスさんの姿は変装していた姿でしたから、その姿を見るのは久しぶりですね」
「そう言えばそうなるのかしらねぇ、桜ちゃんは相変わらず可愛い姿ね。それで、わざわざ私のみで連絡をしたいという事は、レオ様達にあまり相談したくない内容だったりするの?」
モニターの向こうのグレイスさんは、そっと微笑みながら僕を見つめる。話をする為に先日起きた事を思い返すと、いまだに恥ずかしさがあるけれど、助言を貰う為には話をしなければならない。
「そ、そうなんです……実は報告をする前に、一度メイさんにも相談をしていまして、それで、このような方法を取った方が良いと言われたんです」
あら、まあ、とグレイスさんはメイさんをちらりと見つめると、僕に視線を再度向ける。僕は一呼吸おいてから、報告する際に文字には出来なかった身体的な事情を話し始めた。
もう一人の護衛対象の桔梗院さんからの勝負宣言から始まり、提示された勝負内容から、一緒にいた桃瀬さんが彼女に僕の事を何から何まで伝えて、それを何とか乗り切った事まで、一連の流れを一通り話しきる。
それだけで最早頭の中がいっぱいいっぱいになってしまっていた僕は、女の子として真剣に対抗意識を向けて来る桔梗院さんを、今後どうやって対処すれば良いのかを悩んでいる事を、グレイスさんに何とか伝える。
適当にあしらうにも、正面から向き合うにも、知識も経験も何もかもが足りていない。このまま一人で抱えていてはいずれボロが出て、それこそ女の子になった最初に、グレイスさんに言われた通りに周囲から怪しまれる危険すらある。
僕が話し終わるまで、グレイスさんは真面目な顔で真剣に聞いてくれていた。不安になる僕に、グレイスさんはキリっとした目でこちらを見つめて尋ねて来る。
「そうねえ桜ちゃん、一つ聞くけど、身体測定の時に更衣室で周りから下着姿を見られて、その姿を桃瀬さんが桔梗院さんに、耳打ちしながら事細かに伝えたって言うけど、桜ちゃん、その時はちゃんとした下着を身に着けてた?」
グレイスさんの質問の意図がわからない。けれど、これに何か意味があるのかもしれないと僕は考え、きちんと答える事にする。
「は、はい……引っ越しの際にグレイスさん達に連れられた下着屋で購入して貰った、見られても困らない物を言われていた通りに身に着けていました。桃瀬さんを含めた女子達に色々と身体を触られて、とても大変でしたが、似合っているとか、腰が細いとか良くわからない事を言われました」
シャドウレコードが、表向きに経営している会社、S&Rグルーブが販売している下着を身に着けていた筈。ブランド名は何だったのかは余り良く覚えていないけれど、確かにデザインはとても可愛らしい。周りの女子からも似合っているとは言われていたが、いまだに下着姿になった僕自身の姿を、僕は恥ずかしくてまともに見れていない。
家で着替えや入浴をする際に、鏡に映る下着姿の女の子は、どう見ても僕自身だとは頭の中ではわかってはいても、何だかとても良くない物を見ている気持ちになって、凄く悪い事をしてしまっていると思うのだ。
そんな自分自身の事なのにいまだに慣れない複雑な感情で顔が熱くなるけれど、グレイスさんの返事を聞く為にモニターに視線を向ける。
僕の返答を聞きつつ、表情も見ていたであろうグレイスさんは、凄く満足している笑顔を向けていた。
「よくやったわ! 桜ちゃん! お姉さん、桜ちゃんが地味な下着で着替えをしていないか不安だったけど、ちゃんと私の言いつけを守っていてくれたのね!」
「え? は、はい、S&Rグループの、ブランド名は全然覚えていないんですが、僕が見ても……可愛いと思うのを身に着けてました……」
自分で言っていて凄く恥ずかしい。とても仲が良くて、見知っているグレイスさん相手に伝えるだけでもこんなに恥ずかしい思いをしているのだから、レオ様達相手に聞かれていたら僕はすぐにでもその場に倒れてしまうのでは無いかと思ってしまう。
「うん、うん、大丈夫よ桜ちゃん。私とメイちゃんが選んだ下着はね、今の桜ちゃんにとっては、最先端の強化装甲技術で作られたどんな戦闘服よりも、最強で無敵になれる伝説の鎧と言っても過言では無いのよ!」
堂々と自信たっぷりに語るグレイスさんに、僕はどう反応すれば良いのかわからないでいると、側にいるメイさんから補足で説明が入る。
「桜様が今身に着けていらっしゃる下着は、S&Rグループが手掛ける『プリンセスブルーム』と言うブランドの物です。主に一〇代から二〇代の若い女性を対象としたブランドで、コンセプトは”健気でひたむきな女の子が、お姫様として輝けるように”との事で、グレイス様も開発に携わっております」
メイさんからの説明を聞いても、僕の頭がいまいち内容を理解する事は出来なかった。ただ、お姫様という単語は強い印象を受けた。
突然の話について行けずに、二人に置いていかれる僕を他所に、グレイスさんはとても嬉しそうに微笑んでいる。
「デザインに気合を入れて作ったは良いんだけど、やっぱり着る人を選ぶから売上はそこそこなんだけどね、憧れる子は多いから需要自体はとっても高いのよ~。其処にお姫様みたいな女の子になった桜ちゃんが現れた事によって、私の中でも解像度が一気に上がって大満足なの、うっふふ」
「……はぁっ!? え、ええぇっ!?」
微笑みながら、そう話すグレイスさんの視線に、驚き過ぎて、僕は思わず服の上から自分の胸を両腕で隠してしまった。
顔の熱さも限界になり、押さえた胸から心臓の音が腕越しに伝わる。それに、特に悲しい訳では無いのだけれど、どういう訳か何故か視界が徐々に滲んでしまう。そんな僕の姿を見て、グレイスさんとメイさんも慌てた様子になってしまった。
「ちょ、ちょっと!? 桜ちゃん! 決してそう言うつもりじゃないのよ!? 私が言いたかった事はエッチでいやらしい事とは違うのよ! だから、泣かないでぇ! メイちゃんからもどうにかしてよ~!」
今後の事で不安だった僕が、其処に恥ずかしさも加わって、自分でも良くわからない感情になってしまう。
ただ、頭が混乱しすぎただけで、お姫様扱いされ過ぎてどうしたら良いのかわからなくなった前の時とは違って、ただ視界が滲む程度の涙であったが、僕が落ち着くまでグレイスさんはひたすら謝ってくれていた。
落ち着いた後は、質問の意図を最初から説明されるのであった。
「……と、いう訳なのよ。決して恥ずかしがる桜ちゃんを楽しんでた訳じゃ無いのよ、ごめんなさいね」
「いえ、僕も、いまだに自分の裸や下着姿を見慣れていないので、質問に答える内に勝手に恥ずかしがってしまいました……質問の意図も理解しましたし、こちらこそ申し訳ありませんでした」
グレイスさん曰く、僕の身に着けている下着は、憧れからの需要こそは高いものの、着るには相当の容姿やスタイルを要求される代物で、名実共にお姫様な物らしい。
開発に携わっているグレイスさんも認める程にこの下着を着こなしている僕は、着替えの際の出来事があって、其処から桃瀬さんを経由して桔梗院さんにも情報が伝わっている。
つまり僕は、桔梗院さんからの女の子のプライドをかけた真剣勝負に、どうしようか一人で悩んでいた知らない内にこれに真っ向から挑み、全力を出して圧倒していると、グレイスさんからそう分析される。
果たしてそんな事があるのかと思ってしまうが、身体測定が終わった後のA組の女子達の表情や、急遽勝負を取り止めて、完全に勢いを失っていた桔梗院さんを見れば、分析も的を得ているようにも思える。
「今の桜ちゃんはね、女の子としての知識や経験は、それはまだまだ足りて無いと言えるでしょうけど、それでも他の子よりも圧倒的な部分の方があるのよ」
モニターの向こうのグレイスさんは落ち着いた僕を見つめ、一息つきながら説明をしてくれている。
「その圧倒的な部分で、桔梗院さんを静かにさせたのだから、もしまた勝負を挑まれても今回よりも過激な内容にはならないでしょうね」
「ですが、桔梗院さんの言うお姫様の勝負と言うのは、具体的にはどんな事で競うのでしょうか? 僕は最初、経済力や政治力と言った分野で挑まれるのかと思っていましたから、今後何をされるのか全く想像がつかないんです」
僕が思い悩んでいると、グレイスさんはクスクスと笑い出して、僕の言った勝負は無いと言いたげな顔になる。
「ふふ、そんな可愛らしく無い勝負、絶対起きないでしょうね。桜ちゃん相手にそんな勝負を挑んだ所で、何がどうお姫様な結果になるのかしら。それで、どうかしら? まだ不安に思うような事はある?」
グレイスさんの言葉を聞いて思い返す。護衛対象の件は、報告した際に既に返事を貰っている。桔梗院さんの家の件は、僕の調査範囲では無いので無理をする必要は無いと言われている。肝心の桔梗院さんとの勝負も、悩んでいた僕を他所に圧倒的な返事をしていた事になる。今後の勝負内容は、彼女の出方次第になるけれど、グレイスさんはそこまで過激で不安になるような勝負にはならないと予想している。
「今の所、もうこれ以上思い悩んでいてもどうしようも無いのかもしれません。それ位には抱えていた不安や悩みは解消されたと思います。グレイスさん、途中取り乱してしまいましたが、今日は本当にありがとうございました」
「あら、それは良かったわ。また何かあったら連絡して貰って大丈夫だからね。今日はこれからどうするつもりなのかしら?」
グレイスさんから今日の予定を聞かれる。今日は桃瀬さんからの提案で、上田さん達と南野さんと吉田さんも一緒に、周辺にある施設を僕に教えてくれる予定になっている。日曜日には今回の件でメイさんに何かお礼をしたいと尋ねたら、一日一緒にいて欲しいとお願いされている。
「今日はこの後、桃瀬さんの提案で、新しく出来たお友達と一緒に周辺の施設を僕に教えてくれるそうなんです。なので、お昼は珍しく外食になるんです」
「ふふ、それは楽しそうね、私の方も、まだ少し先にはなるんだけど月末にはゴールデンウィークになるじゃない? 桜ちゃんが良かったらだけど、またそっちの方に様子を見に行っても良いかしら?」
「本当ですか! 是非とも来てください! その時はメイさんと三人でまた何処かに出掛けたりしてみたいです」
グレイスさんの提案に、僕は喜んで返事を返す。メイさんの方に顔を向けると、メイさんも嬉しそうに微笑んでいる。
「グレイス様、本日は本当にありがとうございました。私一人では、桜様の悩みを聞く事は出来ますが、其処から問題解決の糸口を見つけ出す事までは出来なかったと思います」
「あら、メイちゃんも気を利かせて、私だけに連絡するように桜ちゃんにアドバイスしたじゃない。それに私だって桜ちゃんを少し泣かせちゃったし、まだまだ未熟者よ。それじゃあゴールデンウィークでまた会えたら、その時にはお友達のお話いっぱい聞かせてね?」
グレイスさんが手を振って別れの挨拶をすると、僕達も手を振って見送って通信を終わらせる。時計を見ると、まだ十一時にはなっていない位だった。
「さて、桜様。この後は外出なさる予定でしたよね? 準備の為にお着替えの方をした方が宜しいかと」
「うん、部屋着のままだと駄目だもんね。あっ、そうだメイさん。僕一人じゃまだこういう時どんな服装が良いのかわからないし、一緒に服を選んでくれる?」
「はい、かしこまりました桜様。とびきり可愛らしい格好にして差し上げます」
とびきり可愛らしい格好というのは断りつつも、メイさんと一緒に外出用の服を選ぶ。着替えて準備を済ませて家を出る。僕が家を出ると同時にメイさんも自分の部屋に戻るみたいで、一緒に外に出る。
「それでは桜様、行ってらっしゃいませ」
「うん、メイさん行ってくるね!」
メイさんに手を振ってマンションを出る。待ち合わせ場所は何時もの通学路と同じ場所。少ししたら桃瀬さんがやって来るので、他の待ち合わせ場所に一緒に向かう。
今日と明日の天気予報は、お出掛けするのにピッタリなのどかな晴れだった。
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