桃と桜
2-1
◆◇◆
遂に訪れた希星高校の入学式。僕にとっての一世一代の潜入作戦がいよいよ始まる。
高校の女子制服を身に纏い、鞄は用意したし、ハンカチやティッシュも準備万端である。
「変な所はありませんよね? 制服はグレイスさんに言われた通りキチンと着ている筈だし、靴下も違う種類の物は穿いていませんし、髪も寝癖はブラシで入念に梳かしましたし、後は、後は……」
「桜ちゃんおはよー……今日は朝から随分とパタパタ慌てているけど、鏡の前でどうしたのよぉー……」
僕が出す物音に目が覚めたのか、煽情的な寝間着姿で隣の部屋からグレイスさんが寝ぼけ気味にやってくる。彼女は引っ越しの後、一度シャドウレコードに戻る用事があり、数日して全ての用事をこなして入学式の前日に僕が心配だからと、こうして泊まり込みで来てくれたのだ。
今の僕の姿は彼女によって徹底的に鍛えられた、完全な女子高生スタイルになっている筈だ。でも、一人で着替えていざ鏡の前に立ち、不安でへにゃりとしている自分の顔を見ると、途端に居ても立ってもいられなくなってしまい軽くパニックを起こしてしまった。
「おはようございます、グレイスさん。うるさくして起こしてしまってごめんなさい……あ、あの、今の僕は言われた通りにちゃんと出来てますでしょうか……?」
「んんー……? あぁ、そういう事ねぇ……私が教えた通りに桜ちゃんはちゃんと制服は着ているけど、どうしても不安になっちゃうのかしら。だったら髪型とか軽く弄ってみましょうか」
そういうとグレイスさんは、ブラシとヘアゴムで僕の髪をササっと弄り髪型を変えてくれた。後ろの髪の一部を左右に分けてヘアゴムで纏めただけなのに、鏡に映る僕はさっきとは少し印象が変わって見える。
「桜ちゃんの髪は長くて綺麗だし、能力者の特徴で髪の色も特殊だから、ただでさえ周りの女の子達は意識して羨ましがるわよねぇ、なら何もしていないよりかはこうやって少し髪型を弄ってオシャレしておけば、悪い印象は与えないと思うわ」
「な、なるほど……そうなのですね! 勉強になります。後で自分でも出来るように練習しておきますね」
「うんうん、がんばれがんばれー。後は緊張しちゃって唇が乾燥気味になってるから、リップクリームを塗っておけばいい感じになるわよ」
そう言われてふと鏡を見る。言われてみれば確かに口元も少し気になる。
鞄の中に入れてあるポーチから色の付いてないリップクリームを取り出し、自分で塗ってみる。こういう細かい所が足りて無かったから、僕は不安になってしまったんだなと自己分析してみた。
これではまだ無事に作戦をこなせそうに無いかもしれない、でもここで凹んでいては立派な四天王にはなれない。
この作戦を成功させて、見事頼れる素敵な僕になり、僕の成長を期待してくれているレオ様を喜ばせるんだ。
鏡の前で握り拳を作りむんっと気合を入れる、先程とは変わって鏡に映る僕は少し凛々しく見えた。よし、これで大丈夫な筈だ。
僕が気合を入れていると、隣でグレイスさんはくすくす笑っている。
「うふふ、桜ちゃん気合入ってるわね。今日は入学式だけなんでしょ? そんなにすぐ情報が手に入るなんてレオ様達も思ってないだろうから、まずは学校に慣れる所から頑張れば良いのよ。後は一人称を意識出来れば誰も貴女の素性なんて見抜けないでしょうねぇ」
「えっ? あっ、そういえばそうでした! でも一人称ですかぁ……僕じゃあ確かに変ですよね……わ、私……ですか。な、なんだか知ってる人の前で一人称変えるのって気恥ずかしいです……」
全く面識の無い相手になら、一人称を変えて話しても多分普通に話せると思う。けれど、今まで親しくして来た相手に急に一人称を変えて話すと何だか凄く身体がムズムズしてしまう。
今までの僕の事や、少し前の僕の姿も知られている分、いきなり自分の呼び方を僕から私に変えるのなんて何でこんなに難しく感じるんだろう。
特にグレイスさんは、今まで散々僕の恥ずかしい姿を見て来た筈だけれども、それは意識の外の出来事だったり無理矢理身体を見られたりして来た恥ずかしさだったから、今回の僕が自分で言わなければならないこれは別の恥ずかしさを覚える。
そんな一人で勝手に恥ずかしがってる僕を見て、グレイスさんが突然僕を抱きしめて来た。寝間着姿の彼女の身体は色々柔らかくて、感じた事の無い感触に驚きすぎて声が出せない。
「ああ、もうホントに桜ちゃん可愛すぎるわぁ……こんな健気な子をこれから血気盛んな思春期男子もいる戦場に送り出さなきゃ行けないなんて、お姉さん辛すぎてしんどいわぁ……」
ぶにゅんぶにゅんで、もにゅんもにゅんとした温かくて柔らかい物を僕に押し当てながら、僕を心配するように語りだす。
「良い? 貴女位の歳の男子は普通、異性との繋がりに酷く飢えているものなのよ? この前のお引っ越しの時もそうだったように元が同じだから大丈夫だとか絶対に思わないでね、心配で心配でもう」
息が出来ない位に潰されそうになっている僕は、とりあえず放して欲しくて思わずグレイスさんの背中をぺんぺんと叩いて意思を知らせるのが精いっぱいだった。
「あらっ、ご、ごめんねぇ桜ちゃん……お姉さん、恥ずかしそうに一人称を変えてもじもじしてる桜ちゃんが可愛すぎて、つい理性が吹っ飛んじゃったわ。多分、今のレオ様に同じ事をやったら確実に気絶しそうだから、私達の前では無理して変えなくて良いからね」
「はぁ、そうですかぁ……潰れて窒息するのは嫌なのでわかりましたぁ……こういうのって外で慣れたら知ってる人達の前でも恥ずかしく感じなくなるものなのでしょうか」
突然の抱擁に服や髪が乱れて無いか鏡の前で確認しながら、グレイスさんに尋ねてみる。いつか僕も自分の事を私って呼ぶようになるのかなぁ。
大人の人なら男性でも普通にそう言う人もいるし、いずれ大人になる僕も格好良くそう言えるようになりたいな。
「うーん、まあ慣れたらそうなのかしらねぇ。イグアノだって一人称私だし、桜ちゃんみたいなお年頃の子達って徐々に使い分けを覚えていく頃だと思うからこれもお勉強なのかもね。でも、もし桜ちゃんが能力や強さがそのままで男らしい言葉遣いだったり俺とか使ってたら、これを矯正するのにもっと大変だったわよ」
これもお勉強の一つだとグレイスさんはそう言う。確か、時と場所と場合が大事だとか服装や言葉遣いの話を、何処かで聞いた事があるような気がする。
この作戦も高校に通える学生位の年齢の子が必要だった訳だし、そういう物が求められていると言える。四天王ザーコッシュの存在を徹底的に隠す為に、僕はわざわざ女の子にされた訳だけれど、このひと月程で指導されたのは女の子としての服装や髪型や身の回りのケア位で、立ち振る舞いや言葉遣いでグレイスさん含め、女性隊員達からは何か言われた事は無い。
男だった身としては何だか散々な評価をされたような気がしたけれど、もうそろそろ出発しないと入学式に遅れてしまう。幸い乱れた所は無かったので、このまま玄関に向かう。
「それじゃあグレイスさん、僕もう学校の方に行きますね。昨日から家に来て下さってありがとうございます。今日僕一人だったら慌てて大変な事になってました」
「うん、桜ちゃんも気を付けて行ってらっしゃい。寄り道はしないと思うけど、今日は久しぶりにレオ様達に顔を見せる日だからそのつもりでね」
そういえばもうそんな日になるんだ。久しぶりの報告会議でレオ様達の顔が見られる。今の僕の姿を見てどんな反応をしてくるんだろうか、少しは落ち着いて下さっていると良いのだけれど。
学校指定の靴を履き、玄関のドアを開ける。行ってきますと声を掛け外に出る。
さあ、いよいよ大事な作戦の始まりだ。まずは学校に通う一般生徒として上手く馴染んで、それから情報収集だ、頑張るぞー。
◆◇◆
マンションから出て、歩いて数分が経とうとしている。レオ様から貰った地図を予め確認しておいたけれど、こうして実際に道を進んでいくのは初めてになる。
数日前に来るべきものに備える為にバタバタして、出歩ける程精神的な余裕が無かったというか、なんというか……幸い、メイさん曰く数日前から体調に気を遣って身体を冷やしたりとかしなければそこまで辛くはならないとの事らしい。
肉体よりも、下着やら何やら色々汚したりしてしまった精神的な疲労の方が大きかったので、後は何度か経験して乗り越えるよう頑張るしかない。そう思うと入学式より前に来てくれたのは、これも幸いなのかもしれない。
という訳で、ここひと月何もかも初めての事ばかりの僕は、また新たな初めての経験に新鮮な気持ちにさせられっぱなしなのである。緊張はするけれど、これまでの経験は全てこれからの日の為の物なのだ。再度気合を入れ直して、一歩一歩周囲の景色を覚えながら進んでいく。
少し歩いていけば住宅街とは違う広い道に出て、自分と同じ制服を着て同じ目的地に向かおうとしている人をちらほら見かける。彼ら彼女らは一瞬僕に視線が向いたかと思うと、一瞥しただけでおっかなそうに距離を取ってしまう。
一体なんでなんだろう、髪の色や目の色もそうだけれど、やっぱり僕の姿は何処か変なのだろうか。
家できちんと確認はしたし、グレイスさんだって我を忘れて抱き着く位には僕を褒めてくれたのに。
先程まで期待と気合で明るい気持ちで歩けていたのに、急にあんな対応をされると不安になってくる。道は間違っていなかったのでそこには安心したけれど、学校でちゃんと上手くやれるのかな。どうしよう。
同じ制服を着ていた人から、男女問わず予想していなかった対応をされて、思わず落ち込んでいると、不意に横から声を掛けられる。
「ねえ、そこの貴女随分不安そうな顔をしているけど、一体どうしたの? 大丈夫?」
声を掛けられた方に顔を向けると、そこには僕と同じ制服を着た女の子がいた。
明るめの茶髪をポニーテールにして、前髪にピンク色のヘアピンを付けたほんのり瞳が桃色に見える、僕よりもスタイルも身長もある活発そうな子だ。
周囲を見渡すと、少し離れた所に何人かはいるけれど、距離を取られた僕の周りには誰もいない。
わざわざ彼女はそんな僕に話し掛けて来たのだと理解する。その上で大丈夫? と聞かれたので、とりあえず返事をしなければ。
「えっ、あっ……わ、私ですか……? えっと、はい、大丈夫です……」
出る前に言われた一人称もちゃんと意識して返事をしてみる。突然声を掛けられたので変な感じになってしまった。うん、大丈夫じゃない。
「いやいや! 大丈夫じゃなさそうだけど!? ホントに大丈夫なの貴女? 見た所一人だけのようだし、何かあったの?」
ポニーテールの彼女は、見た目通り活発に僕の様子を伺ってくる。声は少し大きめだけれど、話し方や表情を見る限り、僕を気に掛けているのは確かだ。出会って間も無いのにここまで接して来るのはどうしてなんだろうと思うと、また別の女の子達がやって来て、彼女に声を掛ける。
「おはよー、チュンちゃん。って、隣の子誰!? 凄っ! えぇ……こんな子初めて見るわぁ……私らと別次元過ぎじゃんよ」
女の子達は僕を見て、途端に騒ぎ始めた。それをチュンちゃんと呼ばれた最初に僕に話し掛けて来たポニーテールの子が一喝してその場を収める。
「コラー! はしゃぎ過ぎよ! 急に騒いだらこの子だってびっくりしてるでしょ!? 皆同じ制服着てるし、学校に向かってる途中でしょ、サッサと行けっての」
「あぁ、確かにそうねぇ。じゃあ私ら先行って通学路にとんでもねえ子がいたって話してくるわー。じゃあねチュンちゃんまた学校でー」
そう言って、後から来た女の子達はチュンちゃんという子に任せるようにスタスタと先に行ってしまった。
僕は出会ってすぐの知らない人から別次元とかとんでもねえとか言われても、何がそれに当てはまるのか良くわからないので、ポカンとしてしまった。
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