第6話「悪魔が消える別荘⑤」

「俺が目論んでいるわけでは無いし、痛くも痒くも無いね」


何処からともなくグラシャラボラスは注射器を取り出した。何か液体が

入っている。良からぬ薬品。わざわざこのタイミングで取り出したという事は

彼が得をする何かがある。


「依頼はレイラ・ファウストの死体を手に入れる事。魂の回収。そして

邪魔になる悪魔の始末…出し惜しみする必要は、ねえだろォ」


ザガンは金属を自在に操る。走って取り上げるのは間に合わない。金属が

それよりも速度を上げて、注射器の破壊を狙う。破壊は出来たが、既に

液体は相手の体内に入ってしまった。空っぽの注射器。粉々だ。


「近づいちゃダメだ、レイラ!」

「え―」


顔を上げた。もう目の前にいた。その怪物は人型ではあるものの、人語も

話さない。レイラの体が折れてしまう。体内に格納して、そのまま連れ去ろうと

している。レイラは手を伸ばす。彼女の細い腕をあらぬ方向へ折り曲げようと

する。痛みに顔を歪めながらも必死に手を伸ばす。何かが、そう何かにひびが入る

音が聞こえた。確かに聞こえた。ベヒーモスでは無い。ザガンでは無い。なら何の

音だ。グラシャラボラスは聞こえているのかどうか分からない。

ふと彼はレイラを見た。恐怖に歪む顔を拝んでやろう、そんな気持ちだった。


「…は?」


これはレイラじゃない。ただの…ただの人形じゃないか!


「どういうことだ!?」

「―僕の別荘で好き勝手してくれたね。あぁ、床の凹みについては気にしなくて

良いよ。正しい行いから作ってしまったものだし」


最重要事項、色欲の王アスモデウスの暗殺。殺害。本物のレイラは別の悪魔に

優しくお姫様抱っこされていた。腕の中で何が起こったのか分からず、目が点に

なっている。


「やぁ、久し振りだねザガン」


見覚えのある鮮烈な色。ショッキングピンクの髪の男。密室に閉じ込められた時、

外への道を教えてくれていた。この男が色欲の王アスモデウス。七柱の悪魔、

そのうちの一柱である。聞けばレイラたちが別荘に来た時からずっと近くにいた

らしい。アズールとして街中を出歩いていた。


「あのへりくだった態度も演技だったんですね!」

「そう言う事になるね。僕としても丸くなったと思うよ。ザガンが」

「俺が、か」


気まずそうな顔をするザガン。彼の反応を面白がっているアスモデウス。すぐに

表情を引き締めた。


「用件は分かっている。先に彼を取り押さえようか。一段落したら、ちゃんと話を

聞くからね」


三人の悪魔を相手取る得体の知れない怪物。戦いの最中、レイラは目を背けた。

この世界ではあまりにも無力な存在である。彼女の姿をそのまま映すはずの鏡は

変わらず似て非なる男の姿を映している。彼女はそっと左手の薬指にある指輪を

摩る。その指で鏡に触れた。不思議な事が起こった。鏡は同じ動きをする。指と指が

重なり合った。


「テメェ…テメェ、やっぱりソロモンか!?クソッ、忌々しい人間の王め!また

俺たちを下僕として扱うか!!?」


グラシャラボラスが怒りの声を上げる。レイラを殺す理由がある。人間が必要だから

と言う理由もあるが、他にもある。だってあの鏡は人間の魂を映す。元の形すら

映し出す。


「私は、レイラ・ファウスト。どんな過去があろうと、前世であろうともそれが

私の名前です。それにザガンさんたちを下僕だなんて思ってない。今までも

これからもそんな風に扱ったりしない。その…えっと…」


かっこよく締めるつもりが、急にきょどった。ザガンたちは首を傾げる。

何を言いどもっているのか分からない。


『下僕でも使い魔でも無いなら、何なのだ』


そう鏡に映る男に尋ねられた気がする。


「と…友達、ですッ!」


あぁ、だからか。ザガンもベヒーモスも、初対面のアスモデウスも心は読めない。

レイラが彼らに対してどう思っているのか。想像するほかなかった。表情を

見ればある程度感情は推定できる。そう思ってくれていたのか。

失笑。


「悪魔と、人間が、友だち?…ハハッ、そんなこと、あるはずが無い…!有り得ない」

「どうして?人間と悪魔だってちゃんと仲良くできるよ。迷子の人間を襲わない

悪魔がいるなら、悪魔を友だちと思える人間がいたって不思議じゃないでしょ。

というか、こんな恥ずかしくて当然の事を私の口から言わせるな!恥ずかしい!」


顔を真っ赤にしながら怒るレイラに少し気が抜ける。


「友達、ねぇ…」

「あ、繰り返した!幾らザガンさんでも怒りますからね!怒ります!」

「ごめんごめん。…嬉しいから、思わず繰り返しただけさ。さがってろよ」

「…うん!」


安心できる声、背中だった。


「殺しの達人だからどうした。あんまり舐めるなよ。死なんて生温い。そのまま

狭い牢獄に入れてやる」


あちこち反射しながら、読めない軌道で金属が飛ぶ。光沢感のあるラインを避けも

せずに正面から打ち砕こうとするのだ。強い力で引っ張られる。


「どうぞ」

「こンのぉ…!!」

「舐められたものだよ。僕を殺す?あまり前線に立たないから無理も無いけど、

僕は色欲の王。七柱の悪魔だ。君のような命を軽んじる悪魔に負けるつもりは、

毛頭ない」


アスモデウスがグラシャラボラスの顔に手をあてがう。白目を剥き、完全に

気絶した。未だにぴくぴくと痙攣している。悪魔アスモデウス。色欲を司り

礼節を重んじる悪魔。心を惑わせる術を操る悪魔である。



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