第5話 来世の記憶
ただ、よく思い出してみると、自分が子供の頃に想像していた大人というのもは、
「今のような大人だったのだろうか?」
ということであった。
それは確かに、
「想像した大人」
と違うというのは当たり前のことなのだが、
「子供の頃が子供の頃で、自分が大人になってからの意識のようなものが、まるで、予知夢でも見たかのように、想像できる」
ということだったのだ。
それがどういうことなのかというと、
「子供の頃に見た大人の記憶は、きっと夢なのだ」
ということである。
つまりは、将来に対しての、
「起きてみる夢」
というわけではなく、
「過去に感じたことが潜在意識として記憶されていたものとして見る夢」
という、
「普段に寝ていて見る夢だ」
ということである。
だから、
「過去に経験したことでなければ、見ることのできない夢」
ということで、
「大人になったわけがないのに」
と考えてみると、その夢というのが
「自分の潜在意識の中にあったことだ」
と思うと、
「遺伝子が見せたのか?」
と感じ。そうなると、
「家族が見た夢の記憶が遺伝子が入っていて。ご先祖様の、近い分の記憶が、潜在意識として、夢に映像化されて出てきた」
ということになるのだろう。
と思うのだった。
しかし、それだけではなく、もう一つ感じることがあった。
それが、
「前世に思いを馳せた」
ということであり、前世は、自分の遺伝子に関係があるわけではなく、自分が生まれる前の意識が乗り移ったのかも知れない。
と思うのだ。
そう考えると、
「前世と、遺伝子というものは、基本的には、関係ないのではないか?」
と思えた。
すると、
「遺伝子というものに、記憶は関係なく、自分が本能として感じることが、遺伝子として、血のつながりとして、脈々と受け継がれるものだ」
といってもいいだろう。
しかし、
「前世」
というものは、遺伝子に関係のないもので、
「記憶があったとすれば、潜在意識ではない意識の方に含まれていなのではないだろうか?」
と感じるのだ。
「潜在意識ではない意識は、記憶とは違うものなのか?」
それとも、意識と記憶の、ちょうど中間が、その
「潜在意識ではない意識がかかわっているのだろうか?」
と感じるのであった。
記憶と意識を考えていると、
「将来において、いつまで、自分の記憶が維持されているのだろうか?」
ということを考えてしまう。
記憶というのは、
「意識と一緒になって思い出すから、覚醒し、過去の記憶ということになる」
といってもいいだろう。
だとすると、
「思い出そうとしても思い出せない」
あるいは、
「思い出したとしても、曖昧なものでしかない」
ということで、その記憶が本当に間違いないものなのかどうか、自分でもハッキリと分からないことが多かったりする。
それが、
「デジャブ」
であったりするのだろう。
それを考えると、
「デジャブというものは、ひょっとすると、前世から続いているものを見ているだけではないか?」
ということを考えると、
「なぜ、曖昧にしか思い出せないのか?」
ということになる。
それを思った時、
「記憶の覚醒」
というのは、意識として記憶が覚醒するだけではなく、まわりの環境が影響してきているのではないか?
という考えにも至るのであった。
というのも、
「線瀬の記憶は、時代が違っているからではないか?」
と考えるからだ。
少なくとも、前世というのは、
「自分が前世で死んでから、あの世で生まれ変わりを待って、そして、満を持しての生まれからりではないか?」
と思っているからだ。
「前世の記憶」
というものはない。
まったく新しい命として生まれてくると思っているが、実際には、
「命のリサイクル」
なのかも知れない。
つまりは、
「命というものには限りがあり。死んでから生まれ変わるところまでは、死後の世界にいるわけだが、いずれは、この世に生まれ変わる」
ということになるという考えである。
しかし、宗教的な発想は違う。
基本的に、
「生まれ変わり」
という発想は、どの宗教にも変わりはないだろうが、
「人間として生まれ変わりには、生まれ変われるための、条件というものがある」
ということである。
つまりは、
「生まれ変わるためには、この
「条件に沿って、生まれ変わることになる」
という教えであるが、ここから先が、宗教によって違っているということであろう。
「輪廻転生」
という発想は、言葉や若干の意識の違いこそあれ、基本的には変わらないと思える。
その中で最初に聞いた考え方というのが、普通は、人間の記憶として鮮明に残っているというもので、坂巻助手も同じだった。
「輪廻手症」
というのは、
「人間は死んだら生まれ変わる」
という発想で、
「生まれ変わる時、その死後の世界のランクで、その先が決まってくるという考えであった」
というのは、まず、
「すべての人間が人間に生まれ変わる」
というわけではなく、中には、
「神として君臨する」
ということで、
「天界に召される」
という人もいる。
もちろん、釈迦などのような悟りを開いたような人だけなのだが、そんな人たちは、いわゆる、天国というところで、幸せに暮らせるということであろう。
そして、人間に生まれ変われない人間として、死後の世界においての裁判において、
「地獄行き」
ということになった人である。
こちらは、宗教によって違うのだろうが、
「地獄にずっといなければならない」
というもので、よくいわれる、
「地獄絵図」
というものを、見たことがあるが、そんな世界でもがき苦しむというのだ。
「血の池地獄」
であったり、
「針の山地獄」
と呼ばれるところに鬼がいて、鬼に支配される形であった。
そんな地獄絵図だけではなく、もう一つの考え方として、
「生まれ変わることができる」
というものであった。
ただし、生まれ変われるものというのは、人間ではない。どの生物なのか分からないが、どれかの生物に生まれ変わる」
ということだ。
しかし、そうなると、基本的に、
「自然の摂理の中」
ということで、
「弱肉強食」
というものの餌食になるということだ。
しかし、もっといえば、
「人間に生まれ変わったからといって、弱肉強食から逃れられない」
というわけではない。
というのも、
「人間ほど、残酷で、ひどいものはない」
といえるのではないだろうか。
というのも、
「人間という動物だけは、自分の私利私欲のために、平気で人を殺す」
というのだ。
他の動物は、そんなことはない、なぜなら、
「私利私欲」
というものがないからだ。
つまり、感情というものがあるわけではなく、
「本能に支配されている」
といってもいいだろう。
人間というものは、意識という、他の動物にはないものがあるが、その分、動物には、
「発達した本能」
というものがある。
人間も、動物の一種なので、本能というものはあるが、それにもまして、他の動物にはない、
「意識」
というものがあることで、
「覚醒」
もするし、頭で理屈を考えて判断するという
「意識の方の覚醒」
も行われるということになるだろう。
しかし、人間が、
「動物として生まれ変われる」
ということになると、その命は、人間ではなく、動物のものということになる。
ということになると、人間として生まれ変われるべき人間が、どんどん少なくなっていくということになるが、実際に、
「人口が減るどころか、増え続けている」
ということになる。
だとすると、
「動物に生まれ変わる」
という発想は、若干弱いのではないか?
と考えられるが、それ以上に、
「人間の命に限りがある」
という発想も怪しいのではないか?
と思うのだった。
そこで一つの仮説として、
「死後の世界などというものは、本当はないのではないか?」
という考えである。
宗教というものが、
「人間に都合のいい考え方」
というのを行うと、このような発想になるということであった。
つまり、人間は、
「自己覚醒ができる」
という発想でもある。
そうなると、
「神というものの存在」
というのも、怪しいのではないか?
と思えてくるわけだが、そこまで行くと、飛躍しすぎではないかと思うのだが、
そもそも、、
「神の存在」
というのは、過去の人間が、その考えを、書物にしたり、口伝で伝えたり、宗教のような形にして、時代から時代に受け継いできたものではないかと考えるのであった。
神の存在」
というのは、宗教的な要素が満載な考え方である。
まずは、
「聖書」
から、
「人間を作った神」
という発想。
「ギリシャ神話」
でも、
「オリンポスの十二神」
というものがいるではないか。
日本においても、各神社に神様というものがいて、さらに、日本という国は、神様からの子孫として、数千年の歴史がある、
「天皇家」
という、万世一系の皇族が続いてきているのだ。
一時期、政府や軍による、
「統治手段」
として、
「天皇の神格化」
が行われた時代があったが、ほとんどの人間が、「疑うことなく信じていた」
というのも、すごいものだといえるのではないだろうか。
いくら宗教が違っているといっても、古代から脈々と続く考え方に、
「神という、共通の存在が、この世の中に君臨している」
といってもいいだろう。
そういう意味で、
「宗教は元々一つであり、その宗派が分かれたことで、全世界に無数にある宗教画生まれた」
といってもいいだろう。
「ユダヤ教とキリスト教」
「仏教とヒンズー教」
と言ったようなものがそうだともいえるだろう。
日本でも、元々、一つの仏教が、宗派というものに分かれて、
「浄土宗」
「日蓮宗」
などというものに分かれたといっていいだろう。
特に日本では、鎌倉時代などでは、
「今まで信じていた宗教があてにならない」
ということで、他の宗派がどんどん出てくる。
それは致し方のないことなのかも知れないが、それが宗教というものであり、特に、
「日蓮宗」
などは、他の宗教に対しての敵対心が強いという。
確かに、宗教を信じていても、
「坊主のいっているような幸せが訪れるわけではない。それどころか、領主に搾取されてばかりではないか」
と、考えると、他の宗派が、自然に出てきても、それは、無理もないことだといっても過言ではないだろう。
しかも、
「今、信仰していれば、死後の世界で幸せになれる」
などといって、
「死ななければ答えがでない」
という、
「曖昧な教え」
であり、そんな、まるで、
「欺瞞でしかないような教え」
をまともに信じているのだから、それだけ、
「宗教というものの影響力が強い」
ということなのか、それとも、
「宗教に頼らなければいけないほど、この世は地獄だ」
ということになるのだろうか。
きっと、
「後者なのだろう」
と思う。
時代によっては、
「キリスト教というものが入ってきた時、どんどん、キリスト教の信者が、増えていったではないか」
という。
ペリー来航後に鎖国を解いた時、あれだけ、
「尊王攘夷」
といって、攘夷運動が激しかったではないか。
確かにそれまで鎖国政策をしていたから、そこまで、外国を恐れていたのだろうが、キリスト教だって、初めて入ってきて、
「海のものとも山の者とも分からない」
というものだったはずなのに、ほとんど見たこともないような外国人宣教師の言葉に乗せられ、
「キリスト教信者」
というものが増えていった。
それは、アジアのどこの国も同じだったことから、
「それだけ、
「キリスト教の教え」
というのが、すごいものだったということなのだろうが、裏を返せば、それだけ、領主の搾取がすごく。そうでもしなければ、領主が統治できなかったということになるのであろう。
それを思うと、
「キリスト教というものが、発展していったのも分からなくもない」
といえる。
しかし、そのキリスト教の教えというのは、
「統治する側にとっては、これほど厄介なものはない」
なぜなら、
「人間は、神の下で平等だ」
ということになると、統治というものを、根本から否定しているということになる。
なぜなら、
「庶民は、神のいうことしか聞かなくなる」
ということであり、
「領主や、幕府、朝廷のいうことは聞かない」
ということで、統治が根本的なところで崩れることになる。
徳に当時の封建制度というのは、
「土地を中心とした主従関係」
というものが、根本にあって、
「領主が、その人の土地を保証するということに対して、領民は、何かあった時、真っ先にはせ参じる」
ということで、
「いざ鎌倉」
などという言葉があったほどである。
ここに、統治する側とされる側の間に、
「ご恩と奉公」
という関係が結びつくことでの統治ということになったのだ。
しかし、時代は、
「幕府の弱体化」
そして、
「国人や、配下の人間による、クーデター」
という、
「下剋上」
という時代が起こり、それが、
「群雄割拠の戦国時代」
に入っていったのだった。
ちょうどその時に、海外では、
「大航海時代」
というものが起こってきて、それが、
「キリスト教の伝来」
をもたらしたといってもいいだろう。
しかし実際には、
「キリスト教の布教」
というものは、実は、
「宣教師を先遣隊として送り込み、そこで、自国の宗教との間で諍いを起こさせて、その混乱に乗じて、相手国を占領してしまう」
ということを常套手段として、
「植民地を拡大していったのだった」
それが、ヨーロッパに国々による、
「植民地」
というものであり、日本もその運命に直結していたのだ。
それにしても、
「キリスト教と、自国の宗教が争い、混乱が起こるほど、キリスト教の教えというのは、どこの国でも受け入れられる」
というものだったということであろう。
そう簡単に、キリスト教の布教というものがうまくいくというのは、すごいことであろう。
そんなに誰もが、キリスト教を信じたということは、
「本当にキリスト教の教えが、教えとしては素晴らしいものだったということなのか?」
それとも、
「日本のように、領主による搾取がすごかった」
ということになるのかのどちらかであろう。
そもそも、
「武力による支配」
というのは、日本に限られたことではないので、キリスト教というものを、
「救世主」
として受け入れたとしても無理もないだろう。
そして、それだけ宣教師というものが、
「洗脳がうまかったのか?」
ということになるだろう。
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