カラスの恩返し

くろみる

カラスの恩返し

ほとんど日が沈み、空が真っ黒になりかけた頃、私は木にくくりつけられた輪っかのついたロープを眺めていた。木の上では、カラスがカァカァと鳴いている。

「おい」

後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。

私と同じ中学生だろうか。髪も、瞳も、服装も、全てがカラスみたいに真っ黒である。

「...とめないで。」

「...?なんで俺がお前のことをとめなくちゃいけないんだ。それより両手を出してくれ。渡したいものがある。」

彼は私に近寄ると、そう言った。

彼に両手を差し出すと、ドサッと何かをのせられた。

「ぎゃああああ」

思わず叫んで、手に乗せられたものを振り払った。彼が渡してきたものは、得体のしれない虫や、元が何だったか分からない食べ残しだった。

「なんてことするのよ!」

「おい!なんで捨てるんだよ。」

はあ!?

「くそっ、これじゃだめなのか。体も元に戻らないし。」

彼はブツブツと独り言を言いながら、ごみを拾い集めた。

まずい、変な人に遭遇してしまった。は、はやく逃げなきゃ。

「ま、待て!俺、お前に恩返しをしないと家に帰れないんだ。」

「どういうこと?」

「この前、カラスを助けただろ。」

確かに数日前、捕獲器に捕まったカラスを助けた。

「そのカラスが俺だ。」

は?

「人に助けられた動物が人の姿に変身して、恩を返すと元に戻る。仲間のカラスからもたまに聞く話だ。」

にわかには信じがたい話だ。ただ、私は家族に興味を持ってほしくて、心配してほしくて、数日前に家出をし、私が通う中学校付近で、夜遅くまで過ごした。そのときに捕獲器とカラスを見つけた。

中学校は、森に覆われていて、夜は人が全く通らない。彼の話はもしかしたら本当かもしれない。

「つまり、君は私に恩を返すために、人の姿になって、あんなものを私に渡してきたんだ。」

「ああ、そうだよ!頼んでもいないのに、お前が勝手に俺を助けるから!おかげで鋭いくちばしも、美しい羽も、力強い足も失って、残ったのは貧弱な手足だけ。おまけにお前が俺の恩返しを拒否したせいで、カラスに戻れない。どうしてくれるんだ!」

彼は苛ついた様子で私をまくし立てた。

なぜ私は助けた相手に怒られているのだろうか。

空の色がより一層真っ黒になってきた。

流石に手が汚いまま死にたくはない。今日は諦めて帰ろう。

「あ、そうだ。明日もここに来い。早めに恩返しをしないと俺が困る。」

「わかった。でも明日は学校があるから、終わってからでいい?あと、私の名前はお前じゃなくて風花。君、名前は?」

「好きに呼んでくれ。」

「それじゃあ、黒一で。また明日、黒一。」





「ただいま。」

「随分遅かったわね、早くご飯の準備手伝ってちょうだい。」

「うん。」

「「いただきます。」」

お父さんが家に帰ってきたタイミングで、家族が揃い、夕食の時間が始まった。

「翔、聞いたぞ。サッカーのキャプテンに選ばれたんだってな。すごいな!」

「まあね。」

「そうそう、来月の全国大会が楽しみね〜風花もそう思わない?」

「うん。」

興奮気味に話すお母さんをよそに、私はそっけなく返した。

「何よその態度。嬉しくないの?もしかして妬んでるの?あなたはお兄ちゃんと違ってなんの取り柄もないのに。」

私の兄翔は、勉強もスポーツも器用にこなして、おまけに学校の皆からの信頼も厚い。

それに比べて妹の私は、何をやっても中途半端、クラスでも正直、皆とは仲が良くない。

「でも、私ね、今日小テストで満点だったよ。」

「あら、そう。でもお兄ちゃんはそれが当たり前にできてたわよ。」

そんなの知ってる。私の自慢は、兄の自慢に到底及ばないことぐらい。

でも、そんな私のことも少しでいいから、褒めてほしい。関心をもってほしい。




朝、また学校へ行かなくちゃいけないと思うと気が滅入る。

学校に着くと、クラスが騒がしかった。

私は自分の席に座り、女子達の会話に耳をそばだてた。

「ねえ、今朝校門近くの木にさ、首吊り用のロープがあったんだって。」

まずい、回収するの忘れてた。

「えー怖っ。なんかさー最近物騒だよね。隣町で中学生が殺害されたり。」

「ほんとほんと。後はたくさんの猫やカラスが殺されたりね。」

ふと窓を眺めると、黒一と木の上に大量のカラスがいた。

何をしているんだろう?




昼休み、私は一人で弁当を食べていた。

前は他の女子達と無理して一緒に食べていた。でも、私の立ち位置は所謂金魚のフンというやつで、皆の話にただ相槌を打つだけで、何か言っても大体は無視されるし、遊びには誘われない。どうしたら、皆と馴染めたんだろうか。どうしたら皆の興味を引けたんだろうか。




退屈な学校から開放され、私は待ち合わせの場所に向かった。

ロープがあった木は、中学校周辺の森の中にあり、そこには黒一がいた。

ぎゅるるる〜〜

黒一の腹から情けない音がした。

「風花、何か食べ物をくれ。」

「そんなんで恩返しできるの?」

「仕方ないだろ。人間の生存術なんて知らないんだから。」

私は、コンビニで菓子パンや唐揚げを買ってきた。

黒一はこんなに美味いもの初めて食べたとか言って、一度に何個もの唐揚げを頬張ってむせていた。


「ねえ、これ。すごくキラキラしてる。」

今度は黒一は私のリュックについた螺鈿細工の施された円いストラップをいじっている。

「それ、私がつくったの。」

「すごっ。こんなのが作れるんだ。」

久しぶりに褒められて、口元が緩む。

「それ、あげる。」

「いいの?やった。」

口先は悪いが、案外素直でいいヤツなのかもしれない。


「ねえ、黒一。今朝は何してたの?」

「カラスから情報収集してた。」

「カラスの言葉がわかるの?」

「当たり前だ。人の喉じゃカラスみたいに鳴くのはちょっと大変だけど。この森は俺達の寝床なんだ。でも最近、近隣のカラスがよく殺されてるだろ?最近その犯人がこの近辺に現れたらしいんだ。」

「ふうん」

「俺からもきくけどさ、昨日、あそこで何にしてたの?」

「えっ。」

言葉に詰まる。でも、黒一になら、話してもいいかもしれない。

「あーその…自殺…しようとしてた。誰かの記憶に残りたくてさ。」

「変なの。人間ってそんなことで死のうとするんだ。」

「っ!カラスごときには分からないよ!」

「は?なんだと!」

私は森の奥へ走った。

「おい、どこいくんだよ!」




無我夢中で走ったせいで、大分森の奥まで来てしまった。何で話しちゃったんだろ。黒一はカラスで、人の気持ちなんて分かるわけないのに。私はリュックから化粧道具を出し、顔をきれいにした。

すっかり暗くなると、事前に輪っかを作っておいたロープをリュックから取り出し、枝にくくりつけた。

今まで私に関心がなかったお父さん、お母さん、兄貴も、これで少しは私のことを意識してくれるかな。悲しんでくれるかな。

クラスメイトはきっと衝撃を受けるだろうし、月日が経っても、記憶の片隅に、でも確実に私がいるんだろうな。

最初に私を見つけた人はトラウマになっちゃうだろうな。ずーっと私のことを覚えているんだろうな。

「ふふっ。」

自分でも驚くぐらい不気味な笑い声が漏れた。

ガサッガサッ 

何かの足音がする。一旦ここから離れよう。

しかし、逃げても足音の主は追いかけてくる。

道路に出ると、電灯に照らされて足音の主が顕になる。

「あれ〜こんな夜更けに女の子が一人でなにしてるのかな〜」

30代くらいの男性に、ねっとりとした声色で話しかけられた。

恐怖で足がすくみ、モタモタしていると、一気に距離を詰められ押し倒された。

まずいまずいまずい。心臓がバクバクと早鐘を打つ。

「この前さーこの辺に罠仕掛けといたんだけどさ。せっかく捕まえた獲物を誰かに逃がされたみたいなんだよね。ねえ、君だよね、逃がしたの。よくも僕の楽しみを台無しにしてくれたね。」

「まあいいや。ここに都合よく女の子が一人いるし。最近さー人を殺めてから畜生だけじゃ物足りなくなってきてるんだよねえ。」

まさか中学生殺害事件と、猫、カラス殺しの犯人が目の前にいるなんて。

嫌だ嫌だ嫌だ。確かに死にたいと思っていた。でも死ぬなら美しく死にたい。残酷に死にたくない。

「君を殺したら、君の家族や友達は僕のことずっと覚えててくれるんだろうなあ。」

だ。

私ははっと急に冷静になった。この男、私と似てる。やってることは違えど、本質は同じだ。



ガアッ!ガアッ!ガアッ!

突然カラスの鳴き声がしたかと思うと、カラスが次々にカッカッカッと鳴き始めた。そして、次々と男の後頭部を蹴り飛ばした。

「クソッ邪魔をするなこのクソガラス!」

「ゲホッ、風花!こっち!」

聞き慣れた声がした。なんで黒一がここに?

男がカラスに気をとられている隙に、男を押しのけ、黒一と合流し、自宅まで走って逃げた。


はあ、はあ、はあ

家の前で二人で息を切らす。

「ねえ、何でここが分かったの?」

「カラスに聞いた。ゲホッ、それで、風花が襲われてたから、あいつは敵だ!攻撃しろって無理してカラスっぽく鳴いた。そのおかげでゲホッ今喉がやられてる。」

最初の鳴き声は黒一のだったのか。

「助けてくれてありがとう。それから、ひどいこと言ってごめんなさい。私、自殺はやめる。気づいたんだ、あいつと私、おんなじだってこと。そしたら、急にそんな自分に嫌悪感を感じてさ。」

「その方がいい。」

「黒一、体が。」

黒一の体がだんだん黒い羽に覆われていく。黒一には十分すぎるほど恩を返してもらった。

「俺、最初は人になって最悪だって思ってたけど、なんだかんだ楽しかったよ。あと、最初はあんなこと言ったけど、本当は助けてくれたこと感謝してる。」

照れくさそうに彼は言った。

「こっちこそ、本当にありがとう。」

黒一はあっという間に羽に覆われ小さくなり、一匹のカラスになった。黒一は全身を、確かめるようにつつくと、飛び去ってしまった。




後日、私が通報したおかげか、男は捕まったという。

誰かの私に対する記憶が、楽しいものであるように、私は今日も生きている。



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