【04】8年前の事件

翌日の捜査会議では、被害者に関する情報が主に捜査員たちに共有された。

被害者は瀬古慎也せこしんや、衆院議員朝田正義の私設秘書であることが報告されると、会議室は一瞬ざわめく。

昨年起こった、一連の不可解な事件との関連性に、捜査員の誰もが思い至ったからだ。


瀬古の死因は先日の小谷たちと同様、急性の心停止で、その原因が不明という点も同じだった。

そして瀬古の遺体に外傷は認められず、体内から毒物の痕跡は認められていない。

これも小谷たちと同様の検死結果だった。

念のため、瀬古が倒れた時に現場付近にいた三名の目撃者についても、検査結果が報告され、全員から毒物反応が検出されないことが示された。


会議の中では、鏡堂の毒ガス説も検討されたが、捜査員たちの間では賛否両論だった。

特に鑑識課員からは、痕跡も残さず体内から消失するような、致死性の毒物の存在についてかなり否定的な意見が出されたのだ。


鏡堂も単なる可能性の一つと考えていただけなので、特に自説に拘ることはなかった。

それに今回の事件では、目撃者の証言の中で犯人の存在が確認されていない。

結果的に事件性があるのか、あるいは偶然の事故なのか判然としない状況なのだ。

結局今後の捜査方針も事件、事故の両面から捜査するということになった。


会議終了後、鏡堂は捜査四課の安藤恭一あんどうきょういちに呼び止められた。

「今回のガイシャの件だけどな」

安藤はそう言って、少し渋い表情を作った。


「朝田正義の私設秘書という肩書だが、噂では汚れ仕事専門だったらしい」

「汚れ仕事?」

「ああ、今検察が手を付けている闇献金の絵図を書いたり、<雄仁会>や、その下の半ぐれ連中との窓口になってるとかいう話だ。

それで、瀬古の名前が俺の耳に入って来てるんだがな」


話の流れからその先を察した鏡堂は、「それで」と、短く彼を促した。

「もう察してると思うが、8年前の上月刑事殺害事件を指図したのも、瀬古じゃないかという話なんだ」

安藤の口から、改めてその言葉を聞いた鏡堂の表情が一変する。


8年前に発生した、上月十和子こうづきとわこ刑事殺害事件は、彼にとって決して忘れられない事件だった。

当時鏡堂は、上月とバディを組んで事件捜査に携わっていたからだ。


上月刑事の死の発端となったのは、当時発生した一つの殺人事件だった。

8年前の事件当時、〇山市稲荷町の四門という場所に、スタジアム建設の計画が持ち上がっていた。


建設の目的は、地元振興のために、Jリーグチームを招致するということだったのだが、スタジアムが完成した現在でも目的は成し遂げられていない。

当時も何かの目算があった訳ではなく、建設を正当化するために、後付けで目的が設定されたと噂されていたのだ。


建設場所の有力候補に挙がった四門付近は、昔からある銀杏並木の名所で、多くの地元住民たちにとって、非常に思い入れのある場所だった。

特に樹齢八百年と言われた巨木は、神木視されていたのだ。


それらの樹木をすべて伐採して、用途も定かでない建造物を造ることに、反対運動が巻き起こったのは自然の流れと言えるだろう。

しかし反対派の人たちは、スタジアム建設そのものに反対していたのではなかった。

彼らは伝統的な銀杏並木を損なうことに反対していたのだ。


反対派の主張する通り、建設候補に上げられた稲荷町四門という場所は、決して交通の便の良い場所でもなく、周囲に商業施設もない、ある意味辺鄙な立地だった。

そんな所に、昔からある貴重な銀杏並木を壊してまで、スタジアムを建設する必要はないだろうというのが、彼らの意見だったのだ。


そもそもサッカーの試合に観客を呼ぶためには、より適切な場所が他にいくつもあり、そこに造る方が合理的と言えた。

そのため当時の県民たちへのアンケート調査でも、反対派の意見はかなり支持されていたのだ。


しかし何故か計画は、強引ともいえる手段で推し進められた。

計画の背後に、当時絶大な権力を握っていた、朝田正義衆院議員が絡んでいたからだ。

彼が計画に絡んだ理由は、土地と建設工事に絡む利権だという噂がもっぱらだった。

そしてその利権の陰に、<雄仁会>の存在も見え隠れしていたのだ。


そして反対運動が盛り上がる中で、その事件は起こった。

当時運動に熱心に参加していた、〇〇大学学生の岡部綾香おかべあやかという女性が殺害されたのだ。


そして被害者の恋人だった、竹本瞬たけもとしゅんという学生が、容疑者として逮捕された。

その事件の捜査に携わっていたのが、当時バディだった鏡堂と上月だった。


被害者の岡部と加害者の竹本は、〇山市内にある廃工場で発見された。

匿名の通報があり、現場に駆け付けた警官が発見したのだ。

発見当時岡部綾香は既に死亡しており、竹本瞬はその隣で失神している状態で見つかっている。

そして彼の手には血まみれの文化包丁が握られ、衣服にも被害者の血が大量に付着していた。


竹本はその場で逮捕されて連行されたのだが、岡部綾香の殺害については頑強に否定したのだった。

自分と岡部は、一緒に歩いているところを、何者かに襲われて失神させられ、警官によって発見されるまで、意識はなかったのだと主張した。


しかし彼らの拉致現場を目撃した者はおらず、岡部綾香殺害に用いられた凶器からは、竹本の指紋以外は検出されなかったため、彼の主張は認められなかった。

その背景には、竹本を犯人と断定する、当時の捜査一課長の強い意向が働いていた。


そしてその捜査方針に強く反発したのが、上月十和子こうづきとわこ刑事だった。

竹本瞬が恋人だった岡部綾香を殺害する動機が見つからなかったことと、彼が殺害現場で、失神状態で発見された経緯が不明だったからだ。

さらに警察に事件を通報した人物についても、有耶無耶になっていた。


捜査一課長は、それは竹本が自分の犯罪を架空の人物に擦り付けるための偽装工作だと断じた。

しかし上月は、そんな工作をするくらいなら、現場から離れて証拠隠滅を図る方が、犯人の行動原理として遥かに合理的と考えたのだ。

鏡堂も上月の意見に同調し、二人の刑事と捜査一課長との間で激しい対立が生じたのだった。


そして上月十和子こうづきとわこは、自分の考えに鏡堂を巻き込むのを恐れ、単独で捜査を行い始めた。

鏡堂はそれを強く戒めたのだが、結局彼女の行動を押さえることが出来なかった。

ただ上月が、スタジアム建設反対運動に事件の原因があるのではないかと考え、その背景を探っていることだけは、彼女から聞き及んでいた。


そんな矢先に、上月十和子が殺害された。

単独捜査を行っている最中の出来事だった。

犯人は、半ぐれ集団<阿奈魂蛇アナコンダ>に所属していた、中村翔なかむらしょうというちんぴらだった。


事件翌日に凶器を持って自首してきた中村は、酒に酔っていて、上月とすれ違う際に肩が触れ、喧嘩になって刺してしまったと供述した。

鏡堂は、ヘラヘラと笑いながら供述する中村の顔を、今でもはっきりと憶えていた。


なにしろ日頃冷静な彼が、取り調べ中に中村をボコボコに叩きのめし、同僚が止めに入らなければ、もしかしたら殺していたかも知れないからだ。

そのことを咎めた当時の捜査一課長とも、あわや掴み合いになるくらいの剣幕で罵り合った。

彼が強引に捜査を進めた背景に、胡散臭さを感じずにはおれなかったからだ。


結局竹本瞬は、岡部綾香殺害容疑で送検された。

彼はその後一転して罪を認め、服役したらしい。


そして中村翔も上月刑事殺害容疑で、同じく送検されている。

裁判で酒に酔った上での心神耗弱が認められ、僅かな刑期で昨年末に出所したようだ。

しかし中村は出所した直後に、昨年起きた一連の爆弾事件の過程で、上月十和子の婚約者だった漆原亨によって爆殺されていた。


8年前の事件を思い出しながら、鏡堂はあの事件をもう一度洗い直してみようと考え始めていた。

今回の事件との関連性は曖昧模糊としているが、調べてみる価値はあると思ったからだ。


そのことを察した安藤恭一あんどうきょういちは、頑固一途な友人を心配して言った。

「あんまり無茶して、新しい相棒を巻き込むんじゃねえぞ」

その言葉に鏡堂は、苦い笑いで返すだけだった。

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