【03】変死体(2)

瀬古慎也せこしんやは今、富〇町のゲームセンター二階にある、<占いの館>を訪れていた。

彼は地元選出の衆院議員朝田正義の私設秘書をしている。


朝田は現在当選8回を数えるベテラン議員で、政権与党の重鎮と呼ばれていた。

しかし彼は、昨年10月に起こった事故により重度の火傷を負い、現在も意識が戻らないまま集中治療を受けている。


生き馬の目を抜く政界では、彼の政治生命は既に終わったと囁かれていた。

それと同時に、朝田が地元〇〇県に築き上げた権力の砦が、崩壊の兆しを見せ始めていたのだ。


発端は、朝田の息子が社長を務める朝田建設から、彼の政治資金団体への闇献金問題が、社員の内部告発によって明らかにされたことだった。

朝田正義を再起不能と見なしたのか、地検特捜部が関係者の捜査に乗り出したのだ。

そして瀬古も、現在その捜査の対象となっている。


<占い処>の看板が掲げられた室内は、仄暗い灯りで照らされていた。

扉を開けた正面の壁一面に黒い緞帳が張られ、その前に頑丈そうなテーブルが置かれている。


そしてテーブルの向こう側に、緞帳を背にして全身黒ずくめの女性が腰掛けている。

彼女が占い師なのだろうと瀬古は思った。

それと同時に、彼はその女性が、まるで背景の黒に溶け込んでいるような錯覚に襲われた。


――何故俺は、急にこんな場所に来たんだろう?

瀬古は占いになど全く興味がなかった。

そんなものを本気で信じる奴は、馬鹿だと思っていたくらいだ。


彼が今日富〇町を訪れたのは、この町に巣食う半ぐれ集団<阿奈魂蛇アナコンダ>のリーダー毒島洋ぶすじまひろしに会うためだったのだ。

それなのに何故か、このビルの前を通りかかった際、この<占い処>に入らなければならないという気持ちになってしまったのだ。


瀬古が椅子に座ると、身に纏った黒装束とは正反対の、真っ白な顔をした占い師が口を開いた。

「この式盤に手をかざして下さい」

静かなその声は、彼の疑問を一切許さない程、蠱惑こわくに満ちていた。


瀬古は言われるがままに、目の前に置かれた銅板に手を翳す。

占い師が<式盤>と呼んだその銅板は、方形と円形の二段になっており、表面に複雑な紋様や文字が刻まれている。


占い師は瀬古の手の上に自身の手を重ねて、暫くの間黙想していた。

そしてその手を引くと、おもむろに語り始める。


「あなた様は現在、過去に犯した罪におののいておられます。

正確にはその罪により、ご自身が罰せられることを、強く恐れていらっしゃいます」


占い師の言葉は、確信に満ちていた。

瀬古にその真偽を確認することすらしない。

そしてその語る内容は、彼の心の奥底に直接響くものだった。


実際瀬古は朝田正義の私設秘書として、到底表沙汰に出来ないような悪事に手を染めてきた。

彼が直接犯罪を行った訳ではなかったが、実質それらの犯罪を指揮したのは瀬古だったのだ。

そのことによって彼は、朝田から三人いる公設秘書以上に信頼を得てきた。


彼が関わった犯罪には、二つの殺人事件も含まれていた。

8年前の<フォーゲートスタジアム>建設に関わる事件と、昨年の闇献金に関わる事件だ。


彼はその事件について後悔もしていないし、被害者に謝罪する気など毛頭ない。

ただ目の前の占い師が言った通り、自分が罰せられることを恐れているだけなのだ。

占い師の言葉によって、今そのことに改めて気づかされたのだった。


彼の心中の葛藤を他所に、占い師の静かだが強い力に満ちた言葉が続く。

「されども、あなたにとって吉となるのは、警察に出頭なされて、罪を清算することでございます。

決してこれから行こうとされていた場所には、行かれませんように」


そこで言葉を区切った黒衣の占い師は、瀬古を強い眼差しで見つめた。

「そこに行かれるのは、凶でございます」


「そこに行くのは凶、そこに行くのは凶、そこに行くのは凶、…」

瀬古は占い師の言葉を何度も反芻する。

そうしていくうちに、<そこ>に行かなければならないという、強い義務感が心に満ちてくるのを感じていた。

<そこ>とは、毒島洋と会う約束をしている場所だった。


フラフラと立ち上がった瀬古は、見料をテーブルに置いて<占い処>を後にした。

そして日が沈み始め、ぽつぽつと人通りが出始めた繁華街を歩いて行く。


「そこに行くのは凶、そこに行くのは凶、そこに行くのは凶、…」

彼は歩きながら、占い師の言葉を反芻していた。


『せこさん』

その時突然、横から彼に声を掛ける者がいた。

瀬古が声の方を見ると、ビルに挟まれた狭い路地の中に、フードを目深に被った人物が立っている。


誰だろうと不審に思う彼の耳に、そのフードの奥から声が聞こえてきた。

その声は、聴覚を介さず、彼の意識に直接響いてくるようだった。


『おかべあやか、…、たけもとしゅん、…、はちねんまえ、…』

聞き覚えのあるその言葉に、彼が根源的な恐怖を感じた次の瞬間、彼は絶命した。


***

鏡堂をはじめとする県警捜査一課の捜査員たちは、既に陽が落ちた富〇町の事件現場周辺の実況見分と訊き込みに当たっていた。

現場の路上にはブルーシートが敷かれ、被害者の遺体が覆い隠されている。


その遺体の顔を見たすべての捜査員が、先日の<雄仁会>組員変死事件との関連を確信していた。

被害者の顔には、小谷剛おだにたけしたちと同様に、眼を背けたくなるような恐怖の表情が刻まれていたからだ。


しかし今回の事件では、周辺で事件発生の瞬間を目撃していた通行人が何人かいたため、当時の状況を詳しく知ることが出来たのだ。

ただ、その目撃者たちも被害を受けていた。


目撃者三人のうち、現場に最も近い場所にいた女性は、意識を失って救急搬送されていた。

残りの二人も気分が悪くなったため、その場で応急処置を受けていたのだ。

幸いその二人は既に回復していたので、状況の聞き取りを行うことが出来た。


「ここを通り掛かったのは、何時頃ですか?」

鏡堂の質問に、近隣の飲食店で働くその男性は、少し首を捻った。

「はっきりとは憶えてないですけど、5時過ぎだったんじゃないですかねえ」


「その時の状況を、憶えておられる範囲で結構ですので、出来るだけ詳しく話して頂けますか?」

男性は彼の質問に肯くと、早口で話し始めた。


「僕があっちの角を曲がってこの道に入った時、丁度あの男の人が、あそこの路地に向かって立ってたんですよ。


そしたら急に音がして、バタンと倒れたんです。

僕もその音を聞いて、急に気分が悪くなって、その場にへたり込んじゃったんです」


「音ですか?どんな音でした?」

「何か、悲鳴みたいな音でした。『キャー』っていう」

「悲鳴ですか。

それを聞いてあちらの方が倒れ、あなたも気分が悪くなったんですね?」

「そうです。突然頭がクラっときて」

男性はその時の気分を思い出したのか、顔をしかめる。


「その後、路地から誰か出て来ませんでしたか?」

男性はその質問に少し考え込んだが、すぐに首を横に振った。

「多分誰も出て来なかったと思います」


鏡堂は男性に礼を言うと、訊き込みを終えて、もう一人の目撃者に訊き込みを行っていた刑事に近づいた。

そして二人の目撃証言を擦り合わせ、内容に齟齬がないことを確認する。


鏡堂は班長の熊本に近づくと、訊き込みの結果について報告を行った。

「鏡堂の考えを聞かせてもらえるか?」

報告を聞いた熊本の問いに、彼は自分の推論を口にする。


「殺害方法は、もしかしたら毒ガスのような物じゃないですかね」

「毒ガス?」

「ええ、今回周辺を歩いていた目撃者も被害に遭ってます。

特に一番近くにいた通行人は、意識不明になってますからね」


「犯人がガイシャに毒ガスを吹き付けて、それが周囲に拡散して二次被害が出たということか。

なるほどな」

熊本がその意見に納得したように頷いた時、天宮が口を挟んだ。


「しかし今回は分かりませんが、前回のガイシャ3名からは、毒物反応が検出されてませんよね」

「その点は分からんな。

ガイシャの死後、体内からすぐに消えてなくなるような毒があれば、という前提になる」


鏡堂の見解を聞いた天宮は、さらに食い下がった。

「音の問題はどうですかね。

悲鳴のような音だと言っていましたが」


「ガスの噴霧装置の音じゃないのかな」

「ああ、確かに蒸気が噴き出す時には、悲鳴に似た音が鳴りますよね」

「まあ、いずれにせよ、現時点では推論に過ぎん。

ガイシャの検視結果を待って判断するしかないだろう」

二人のそのやり取りを、何故か熊本はニヤニヤしながら聞いていた。

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