(7)古文の授業①

二限目は古文の授業。

講師は、阿部洋子(30歳)。

小柄な和風美人で(少し愛嬌のある可愛らしい顔)、紺のスーツをしっかりと着こなし、教室に入って来た。

(そのスーツから、ほのかに、沈香の香りを漂わせている)


教壇にのぼり、今日からの新顔立花隼人を少し見て、授業を始めた。

「今日の古文の講義は、前期に引き続き、紫式部日記となります」

阿部洋子は、クラス内を見て、

「佐藤里奈さん、原文を読んでいただけますか?」と指名した。

指名された佐藤里奈(一年A組副委員長、文学部)は、「はい!」と美しい声で返事、紫式部日記を読み始めた。


「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬこと多かり。かく、人に異ならむと思ひ好める人は、かならず見劣りし、行末うたてのみはべれば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなる折も、もののあはれにすすみ、をかしきことも見過ぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人の果て、いかでかはよくはべらむ」

(※紫式部による、有名な清少納言批判の文である)


阿部講師は、読み終えた佐藤里奈に満足気に頷き、解説を始めた。

「訳としては」


「清少納言こそは、いつもとんでもない得意顔をしておられた人のようです。

とにかく才女ぶり、漢字を書き散らしていたようですが、よく読ませてもらえば、まだまだ、未熟な部分も多く見られます。

彼女のように、とにかく、他人とは違っていることを好む人は、いつかは必ず見劣りされることになりますでしょうし、その行きつく先は、悪くなるばかりと、思われてならないのです。

彼女のような、風流を求めてばかりの人は、一般的には本当は興趣など全く無いような場面であっても、「これはおもしろい」と無理やりに「何か」を見つけ、風流の要素を見逃すことはしません。

ただし、そんな無理を続けていると、いつの間にか、普通一般の感性からは、離れ過ぎてしまうことにもつながるので、いつかは、誰も感心しないようなことを言い出す可能性もあります。

そのような、世間と離れ過ぎてしまった人の行きつく先は、どうして、まともなものであるでしょうか。」


「要するに、紫式部は、清少納言を認めたくなかった」

「彼女の得意とするらしい漢籍の知識も、自分から言わせれば、中途半端」

「世間の、実は、どうでもいいことを、無理やり面白がる悪い癖がある」

「そんなことばかりして、自己承認欲求に走る人は、やがて、世間からの評価を失い、惨めな末路になる」


そこまで解説等を行い、生徒全員の顏を見た。

「ところで、清少納言と枕草子の末路は、惨めなものになったでしょうか」

「日本、いや、世界でも稀に見る文筆家、紫式部は、何故、こんな批判をしたのでしょうか」

「もっと言えば、どうして、歴史に残る判断ミスをしてしまったのでしょうか?」


立花隼人以外の生徒は、一斉に顏を下に向けている。

阿部講師は、全く表情を変えない、立花隼人が気になった。

やさしく、声をかけた。

「どう?立花君」

「急に日本に来て、さっぱりわからない?」

「無理もないよね、スタンフォード首席と言っても、アメリカとは全く違う文化、世界ですから」

「あせらず、ゆっくり日本文化に慣れてくださいね」


声をかけられた立花隼人は、微笑した。

「阿部先生、ご心配には及びません」

「紫式部日記、源氏物語、枕草子は、全て読了しております」

「万葉集、古今和歌集などの勅撰和歌集も、暗記しています」

「さきほどの、阿部先生の質問に関しましても、私なりに分析は完了しております」


阿部講師の余裕顏が一変した。

「あら・・・」

「それなら、是非、その分析を聞きたいと思います」

「席ではなくて、教壇でお願いします」


立花隼人は、微笑を浮かべたまま、教壇に立った。

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