第5話 崩壊

村山崇むらやま たかしは苛立っていた。ネズミのテンションを制御する決め手とされた制御剤A-10の投入が終わっても、ネズミのスピードは上がる一方だった。コントロールルームのガラス越しに見える直径18.5mの回し車は、微かに振動しながら、回転を続けていた。


村山はコントロールパネルを拳で叩いた。


「何故だ!」


ぶつけどころのない疑問と怒りが、そんな言葉になって無人のコントロールルームに響いた。


この5年間、村山は身を粉にして研究に没頭してきた。体力の均一なネズミの育成法に始まり、ネズミの力を効率的に回し車に伝えるための回し車表面の材質の開発、そして、試行錯誤の末に完成した制御剤A-10。研究は、順調に進んでいたはずだった。


ところが、実用化のための最終試験に入ってから、マイナートラブルが相次いでいた。28日周期で変動するネズミの運動曲線のために、出力に不安定性が生じたり、ネズミの排泄物による回し車の効率低下が発生した。回し車の振動が冷却パイプを破損させ、2カ月前には、小規模ではあったが、あってはならないネズミ漏れも起きてしまった。


そして、昨日から今日にかけての予想外の加速とそれに伴う大規模なネズミ漏れ、さらに今、制御剤A-10が制御不能な加速に対して無力であることが露呈しようとしていた。村山には、すべてが、この日の破局のために準備されていたかのように思えた。


村山はコントロールルームを出ると、回し車へと向かった。ネズミ交換用のハッチを開けると、高速で回転する回し車の内部へと足を進めた。


回し車の内部には、ネズミの悲鳴、異様な熱、異臭が充満していたが、5年間、ネズミに囲まれて生活してきた村山は意に介さなかった。


「何故だ!何故止まらんのだ!止まれ!」


村山は、眼下で走り続ける無数のネズミに向かって叫んだ。


14時19分、コントロールルームに到着した翔太は、異様な光景をモニタ越しに見ていた。人がいてはならないはずの回し車の内部に、白衣を着た男が立っていた。男は狂気じみた表情で、ネズミに向かって何かを叫び続けていた。


「村山...」


翔太は絶句した。いつも柔和だった村山の表情は、まるで別人のように硬く、やせこけていた。翔太は、マイクスイッチをオンにした。


「村山!俺だ!新海だ!聞こえるか?」


村山はネズミの方を見て、叫び続けていた。コントロールルームのスピーカーからは、ネズミの鳴き声だけが聞こえていた。


「村山!聞こえるか!俺だ!新海だ!」


再び翔太が叫ぶと、モニタに映った村山が反応した。声に気づいたらしい。


「村山!どうしたんだ!どうすればいいんだ?」


モニタに映った村山は、冷めた表情で唇を動かした。言葉はネズミの鳴き声にかき消されたが、翔太は、2年間発電所でアドバイザーをしていたため、騒音の中で会話するための読唇術を身につけていた。


「終わりだ」


村山の言葉に、翔太は慄然とした。


「村山!正気か?お前は、ここの責任者だろ!」


村山は冷たく笑った。


「だから言ってるんだ。終わりだ。間違いない。巻き添えが嫌ならさっさと立ち去れ」


「できることがあるはずだ!それを考えるんだ!」


「終わりだ」


村山はそう言うと、カメラに背を向けた。


「あなたも終わりです。新海さん」


突然の声に振り向くと、そこには長身のスーツの男が2人、立っていた。


「遅かったですね。渋滞にでも巻き込まれましたか?」


翔太は冷静を装って言った。男達は、翔太の言葉を無視した。


「さあ、行きましょう」


男の一人が、手錠を取り出した。


「逮捕状はいらなのかな」


翔太は、大きな独り言を言った。男たちが近づいてきた。そのときだった。


衝撃がコントロールルームを包み、その場の全員が床に倒れ込んだ。翔太はとっさにモニタに目をやった。村山も衝撃で倒れていたが、再び立ち上がろうとしていた。


「何が起こったか、私が説明しましょう」


翔太は立ち上がると、ズボンの汚れを払いながら言った。


「おそらく、3基ある発電機のうちの1つに異常が発生したと思われます。このままいくと、あと8分以内に、決定的な破壊が起こります」


スーツの2人の表情に微妙な変化があった。


「つまり、言いたいのは、さっさと立ち去れということです。私は強く抵抗しますから、かまっていると、あなたがたも巻き添えになりますよ」


翔太は、開き直って、コントロールパネルの椅子に座った。


「いい加減なことを言うな!来るんだ」


2人の男が、両脇から翔太を抱えようとした。翔太は、立ち上がると同時に左の男の顎に肘を入れると、後ろに回り込んで腕を固めた。


「だから言ったでしょう?抵抗するって」


「これでも抵抗するのか?」


もう一人の男が、懐から銃を取り出した。沈黙が続いた。翔太は時計に目をやった。


「どうした?」


男が勝ち誇った表情を見せた、そのときだった。再び衝撃がコントロールルームを襲い、翔太以外の二人は床に倒れた。翔太は床に投げ出された銃を拾うと、男たちに銃口を向けた。


「ほら、あと5分です。逃げてください」


翔太は回し車へと向かった。ハッチを開けると、回し車内部へと進んだ。ネズミの臭いと異様な空気に、翔太は吐き気を催した。


「何をしに来た?死にたいのか?」


うずくまる翔太に、村山は言った。


「その言葉、そのままお前に返す」


翔太は手すりを使ってようやく立ち上がった。足場の下には、無数のネズミが走り、体力の限界を超えたネズミが、ポップコーンのように空中に舞い上がっては消えていった。


「何とかならんのか?発電機の切断はできないのか?」


「さあな。もう、どうでもいいことだ」


村山の目は焦点を失っていた。翔太は、怒りと恐怖を感じたが、吐き気とめまいで、どうすることもできなかった。翔太は時計を見た。


「あと6分か」


翔太は本当の残り時間をつぶやいた。


「いや、4分30秒だな」


村山は言った。


「もう一度言う。何とかならないのか?」


翔太の言葉を、村山は黙殺した。


「分かった。好きにしろ。惜しい人間を亡くしたな」


翔太はそう言うと、後ずさりでハッチへと向かった。村山は翔太の方に目もくれず、ばんやりネズミたちを眺めていた。


その時、力尽きて大きく舞い上がったネズミが、村山の肩口に落ちてきた。村山はネズミを拾ってそれに目をやった。ネズミは、虚ろな目で、必死に呼吸をしていた。村山の顔色が変わった。


翔太が叫んだ。


「ネズミが可哀想だと思わんのか!」


あの、動物に優しかった村山が、こんな残酷なことを行うとは信じられなかったし、信じたくなかった。


村山は翔太の方をにらみつけた。


「お前に何が分かる!お前に何が分かる?俺だって、俺だってネズミが好きなんだ。大好きなんだ!」


村山がひざから崩れ落ちた。


「俺だってネズミが好きなんだ。かわいいんだ。でも、毎日ネズミは死んでゆくんだ。俺はどうすればいい?俺は毎日泣いてればいいのか?俺にできることは、せめてネズミが役に立つことを、不潔じゃないってことを知らせるために、プロジェクトを成功させることだけだった。それだけだったんだ...」


村山は、苦しそうなネズミを両手にしっかり抱いた。村山の頬を涙が伝った。流れ落ちた涙は、走り続ける無数のネズミの中へ消えていった。


その後の光景を、翔太は忘れることができない。まるで魔法のようにネズミたちは静かになり、大きな意思に従うように走る速度を落としていった。ネズミ力発電所の出力は急速に低下し、14時39分、回し車の回転は自然停止した。

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