第2話 監視

「若狭湾でまたネズミ」


その記事が新聞に掲載されたのは、初めてのネズミ報道から4日後だった。今度はマスコミ各社がこぞって取り上げ、社会的な関心事となった。テレビには生態学者が登場し、異常発生した後、次々と海に飛び込んでゆくレミングの例を挙げて、動物の集団自殺の一例だと解説した。


そんな騒ぎの中、新海は1カ月後のエネルギー学会での発表の準備を進めていた。「ネズミ力発電:その可能性と危険性」と題した発表は、いままで誰も取り上げたことのないネズミ力発電に正面から挑んだ、注目すべき発表になるはずだった。


新海は、ネズミ力発電に関して、分散型と集中型の2種類を考えていた。分散型とは、ハムスターが回すような小さな回し車を1匹1匹のネズミに与え、小さな発電器をつけてそれぞれに発電させるというものだった。分散型は、ネズミの管理が容易である反面、ネズミ小屋を1匹ずつに与えるコストや、発電効率の面で問題があった。


一方の集中型は、直径10mから20mの巨大な回し車を建設し、その中に数万匹のネズミを入れて集団で走らせ、発電を行うというものだ。発電効率が良い反面、多くのネズミを集中的に管理する難しさがあった。


新海は、NEZDACは集中型を開発していると考えていた。巨大な設備を必要とする集中型の方が予算の獲得が容易であるし、巨大な回し車の中を無数のネズミが走る姿は、プロジェクトの成果をアピールするのに十分なインパクトを持っているからだ。ただし、集中型は設備が巨大な分、事故も大規模になる恐れがあった。新海は、それを危惧していた。


若狭湾のネズミ騒動は、それからしばらくたつと、全くといって良いほどマスコミに登場しなくなった。怪奇現象に敏感な女性誌さえも、完全な沈黙を守っていた。1月もたつと、誰も若狭湾のネズミなど話題にもしなくなった。しかし、新海がそれを忘れることはなかった。


「何かが狂い始めている」


新海は不安を募らせながら、静岡で開かれるエネルギー学会へと向かった。


学会が開かれる国際会議場に到着した新海は、受付でプログラムとハンドアウトを受け取って驚いた。彼の名前と、あらかじめ事務局に送付した発表の資料が、冊子から削除されていたのだ。会議場の席を立ち、抗議に向かった彼を出迎えたのは、背広姿の眼鏡をかけた中年の男と2名のSPだった。


「あなたが新海さんですね」


男は鋭い目つきに似合わず、柔和な声で話しかけてきた。


「そうですが、何か」


「あなたの発表のことですが、お分かりでしょうね」


「これから、抗議に行くところです。手違いだとは思いますが」


「手違いではないのですよ。ご理解をいただけますか」


新海は慄然とした。SPが付いていることから察するに、この中年男は資源エネルギー庁の高官に違いなかった。


「分かりました。おとなしくしていましょう。どのみち、マスコミも抑えられているのでしょうからね」


新海の皮肉を、男は無視した。


「ご理解いただけて感謝します。しばらくご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします」


新海がちらりと後ろを向くと、人影が柱を横切った。新海は、監視されていた。


新海が学者になってから、もう15年がたつが、これほどまでに露骨な抑圧は初めてだった。それは、結果として新海の発表が、NEZDACの現状をかなり正確にとらえていることを証明していた。そして、それは、決して発表されてはならない機密だったのだ。


宿をキャンセルし、その日のうちに研究室に戻った新海は思索を進めた。NEZDACがネズミ力発電を開発していることは確かである。そして、それは完成に近づいている。しかし、国はその存在を隠そうとしている。しかも、若狭湾からはネズミが揚がっている。


「ネズミ漏れか」


新海は、わざとらしく大声で言ってみた。盗聴マイクの向こうでは、さぞかし驚いているだろうと想像すると、少しだけ気が晴れた。


ネズミ漏れ。それは、ネズミ力発電所が、絶対に犯してはならないミスだった。ネズミには、一般的に不潔なイメージがある。そのネズミを大量に飼育するのだから、ネズミ力発電所は、第一にクリーンなイメージを売り物にしなければならない。ネズミ力発電所に対する世間の嫌悪感を払拭するためには、発電所内のネズミが外界から完全に遮断されている必要があった。たとえ一匹でもネズミが漏れたとなると、ネズミ力発電所のイメージが決定的に悪化してしまうのだ。


新海自身は、しばらく前まで、ネズミ漏れに対しては比較的寛容な立場をとっていた。ネズミ自体は、世間でイメージされているほど汚い存在ではないと考えていたからだ。自然状態でも家の中にネズミは存在するのだから、微量のネズミが発電所から漏れても、状況はさほど変わらないと考えていた。


しかし、現在の新海は、ネズミ漏れに対して厳しい見方をしていた。発電所内で飼育されているネズミが、自然界に存在するネズミと同じだとは限らないことに気づいたからである。発電効率を上げるために、遺伝子操作によって特殊なネズミが合成されている可能性があった。特殊なネズミが自然界に大量に放出された場合、何が起こるか予測できなかった。


クリーンな環境で飼育されている発電所内の特殊ネズミが自然界で病原菌に接触した場合、強力な媒介となって、日本中に伝染病が蔓延する可能性が高かった。


(特殊なネズミか)


新海は、今度は口に出さなかった。国がマスコミまでコントロールして今回のネズミ漏れを隠蔽しようとしているのは、ネズミが特殊であることが発覚するのを恐れたためだと考えられた。しかも、ネズミ漏れは、ネズミ力発電所に何らかの故障が発生しており、重大事故の前兆である可能性が高かった。その場合、早急に発電所の運転を停止させ、なんとしてでも事故を防がなければならない。新海は、研究室を後にした。

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