第17話 うるまたちの初陣 ⑧

 千代の父親は、自殺していた。千代が小学4年生の頃だという。


 父さんっ子だった千代は、その頃一緒に遊んでくれない父に、ずいぶんと文句を言ったそうだ。それに、スマホをねだったこともあったらしい。

 だがその頃、父は日に日に憔悴しているようだった。朝起きると父はスマホで何かを話している。帰りは決まって遅かった。もう寝る準備の千代が父のそばにいくと、いつも血走った目でスマホの画面を睨み付けている。そして、深夜までスマホの着信音が響く。父のうめき声がそのたびに聞こえて、布団に入っている千代の耳にもこびりついていた。


 ある日、千代が家に戻ると、父の車が停まっていた。母はまだ仕事から帰っていなかったから、きっと父は体調が悪いとかで帰ってきたんだな、と千代は思った。

 そして玄関を開け、リビングに入ろうとするが、ドアは開かなかった。

 それで台所を回ってリビングに入ると、そこには、ドアノブにタオルを引っ掛け、首を吊っている父がいた。


 口が開き、舌がだらりと下がっている。父の首が、不自然に伸びているのが分かった。

 千代は何も言えなかった。夢なのか、現実なのか、もしかしたらお父さんのいたずらかも・・

 すぐに起き上がって“ことちゃん!ビックリしたか?やったー!”って言うのかも。


 そのとき、父の右手の側で、スマホの着信音が響いた。RINGだ。


 着信音は鳴り止まない。

 ディスプレイに通知の一部が表示される。次々と。


-課長、早く来ないと部長が怒鳴って・・・・

-八千代、お前何考えてる!早く来い!先方・・・・

-返信しろ八千代!あっちの損失はもう億越え・・・

-課長、もう僕たちではダメです、持ちこたえ・・・

-あっちの担当も出ない、お前までいなけりゃ損失は・・・

-俺の責任じゃない、全部お前だからなおま・・

-覚悟して出てこいよ、いいか八千代、おまえ・・


 千代は、胃の中の物がすべて逆流してくるのを感じた。

 その場に座り込んだ。

 母親が帰るまで、何時間も。

 その間、RINGの着信音は鳴り止まなかった。


 父の葬儀の後、母は千代に教えてくれたそうだ。

 千代の父は金融のプロで、海外で資産を運用していた。そこでハイリターンの取引きに手を出す。一見急激な経済成長を見せる国での運用だったが、実は政情不安を常に隠している国だった。その取引で、千代の父は莫大な損失を出した。

 だが、そんな失敗も有り得る世界の話だ。問題は、千代の父を追い詰めたパワハラだった。


 千代の父は課長としてそのプロジェクトを管理していたが、部下である係長の問題行動に悩まされていた。それを指摘すれば、すぐにパワハラだと脅され、そのことにも悩んでいた。

 更に、上司である部長は、全てを課長である千代の父に押しつけ、問題行動を繰り返す係長のことも、千代の父の指導力不足だと断罪した。


 千代の父は、毎日繰り返されるプロジェクトの進捗をコントロールするのに必死だった。日中も、深夜も国内外からのメッセージに対応した。それに加え、係長の理不尽なメール、RINGメッセージ、更に部長から入る電話やメッセージ・・・


 上司と部下からのパワハラだった。


「ことちゃん、お父さんはね、追い詰められていたのよ?いつもあなたを愛して、気にして、仕事が一段落したらもう辞める、ことのはと一緒に暮らすんだって言ってたのに、お母さん、なぜあのとき、すぐ辞めさせなかったんだろうね」


 千代が、八千代言葉が泣いていた。

 僕たちは、千代に掛ける言葉を持たなかった。ただふたりで、千代の姿を見守ってあげるしかなかった。


 でも、千代の話で分かったことがある。もう僕だけじゃダメか。

 僕はスマホを取り出して。素早くメッセージを打ち込んだ。



つづく

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