第9話 ふたりの母 最終話

 そう思った瞬間!私の霊気は肩から腰に掛けて切り裂かれた。


「っ!っつ!」


 体が切れたわけじゃない、霊気が切られたのだ。だがチーノウヤは目の前だ。私の後ろにいるのは?


 振り返った私の前には、目の前にいたチーノウヤの瘴気とは比べものにならない大きさの瘴気が立ちのぼっていた。

 瘴気は次第に形を成し、人型となる。頭とおぼしき位置に爛々と光る両目が見えた。鼻はよく分からないが、口はある。大きく開けている。瘴気は更に収束し、人型を際立たせていく。その頭のシルエットは、坊主。そして、両耳がない。


「こいつ!ミミチリボージ耳切坊主か!」


 ミミチリボージ、耳切坊主と書くその怪異は、女に取り憑き、子供を呪うマジムンだ。元は徳の高い高僧だったものが、俗欲にまみれてその手を汚し、悪逆の限りを尽くしたと伝えられている。そしてその報いで討ち取られる際、両耳を切り取られたという。

 元々高僧であったミミチリボージの力は強い。その力は古くから恐れられ、唄にも歌われて伝承されるほどだ。


 巨大なミミチリボージの瘴気は人型に結晶した。その両手に刃物を持っている。


-包丁か?いや、あれは鎌だ!

-まずい、目の前にはミミチリボージ、それにチーノウヤもまだ祓えていない。

-あのチーノウヤ、こいつと一体化していた?いや、チーノウヤは本来優しいマジムンだ。こいつに、ミミチリボージに憑かれているんだ!


「ふん!なら話は早い!!まずお前からだ!」


 私は足を開き、両手を広げた。ありったけの霊気を体に纏い、両手の指でそれぞれ印を結び、霊気の刃を作りだした。


「だぁーー!!」


 私は前のめりになりながら突っ込む。目の前に立ち塞がるミミチリボージの口に、霊気の刃を突き立てる。

 ミミチリボージは両手の鎌で私の霊気を切り裂く。だが、濃く練り上げた私の霊刃は切れない。

「がぁーーーー!!」

 霊刃が貫いた真っ黒な顔に、刃以上の大穴が開く。そして次に、頭が吹き飛んだ。


-まだだ!!


 そのとき、私の耳に優梨先生の声が響いた。

「おかあさん!!」

 とっさに振り向くと、優梨先生の体にチーノウヤが取り憑こうとしている。

「また!こいつ!!」

 優梨先生に走り寄る私は、また後ろから切られた。それも脳天から真一文字に、そして、胴体を横から輪切りに。ミミチリボージはまだ祓えていないが、ダメージはあったはずなのに。それにこれは・・ひとりじゃない!


「がぁ!!」


 私は悲鳴を絞り出した。血は出ない。だが、霊気がずたずたにされた。


-なんで?ふたり?さっきのヤツじゃないの?


 息も途切れ途切れで、そいつを見る。

 私を切ったのは、やはりミミチリボージだ。だが、瘴気の塊は3体分。


「ま、まずい」


 私の脳裏に、このマジムンの伝承を唄った歌詞が浮かぶ。


 ウフムラウドゥンヌカドゥナカイ

  (大村御殿の角のところに)

 ミミチリボージヌタッチョンドー

  (耳切坊主が立っているよ)

 イクタイイクタイタチョウガ

    (何人立ってる?)

 ミーチャイユーチャイタチョンド

  (三人四人、立ってるよ)

 イラナンシーグンムッチョンド

   (鎌や刀を持ってるよ)


-だめだ。伝承のとおりなら、ミミチリボージは四体。もう一体いる。

-そうか、チーノウヤ。あいつの中に、もう一体いるんだ。

-ミミチリボージに取り憑かれていた。だからあんなに強い。

-気付くのが、遅かった。

-逃げるべき、だった。


「うるま」

 私はひざまずき、息子の顔を見る。

 うるまは泣きながら、私に手を伸ばした。

「かあさん、かあさんかあさん、かあさん!!」


 チーノウヤが優梨先生に迫る。次に取り憑かれれば、祓うのは困難だ。

 優梨先生がうるまを庇い、その胸に抱きしめ、そして叫んだ。


「だめよ!触らせない!!この子は私が守るの!!」


 突然、ふたりに迫っていたチーノウヤの動きが鈍り、天を見上げて叫ぶ。

「が、がが、ががが!がぁーーーーー!!!」

 チーノウヤを形作る瘴気から、更に大きな瘴気が離れた。

「あ、あれは、四体目のミミチリボージ!」


-うるまを胸に抱く優梨先生の姿に、チーノウヤが応えたのか!


 チーノウヤの体が優梨先生を包む。取り憑こうとしているのではない、逆だ。優梨先生の霊気がチーノウヤを取り込んでいるんだ。


 優梨先生の霊気が膨れ上がった。


-大きい!優梨先生とチーノウヤの霊気!だけど、まだ足りない。


 優梨先生とチーノウヤの霊気が四体目のミミチリボージからうるまを守っている。だが、四体目はその両手に持った包丁で、ふたりの霊気を切り刻む。

「あっ!ああーー!!」

「ががが!がぁーーー!」

 人間とマジムン、ふたりの霊気では強大なミミチリボージには敵わない


「うるまーーー!やるのよーーー!!」

 私は叫んだ。同時に、うるまの両目が見開かれ、そして輝く。


「うあーーーーーーーー!!」


 うるまは再び、その体に輝く霊気を纏った。

 その力は、優梨先生とチーノウヤの霊気と混ざり、瞬間的にミミチリボージの瘴気を吹き飛ばす。


 四体目のミミチリボージは、消え去った。


「やった、うるま!」


 私にはもう、あまり力が残っていない。だが2回も霊気を放った小さなうるまに、これ以上の負担は掛けられない。子供の身で霊気を使い果たせば、魂が散って昏睡する。それどころか、もう目覚めないかもしれない。


 マブイ(魂)を落とすのだ。


 ミミチリボージはあと三体。もう、残す手はひとつだ。

 私は立ち上がり、三体のミミチリボージに立ちはだかった。残る霊気全てを体に纏って。

 ミミチリボージたちは私に群がる。両手に持った鎌で、そして包丁で、私の霊気を切り刻んでいる。

 私はその全ての攻撃をあえて受けた。その代わり、ミミチリボージの瘴気も、私の体に取り込む。

 最後の一手、私は、私の魂を差し出すのだ。私の魂は、人の魂の形を保てなかった。


「私は、ワタシはこれから、マジムンに、なる」


 ワタシの体は崩れ落ちた。だがそこにはまっすぐ立つワタシがいる。霊気と瘴気が混ざり合ったワタシの姿だ。

 ワタシの体は、肉体の時と比べものにならない大きさに膨らむ。それはもう人間のものではない。

 ワタシは両手を広げ、三体のミミチリボージを抱え込んだ。ミミチリボージの瘴気は強いが、その瘴気をも自分のものとしたワタシには敵わない。だが、そこまでだ。


 ワタシは優梨先生とうるまに顔を向けた。


「ワタシが、押さえる。こいつらを。ワタシが、押さえるから、優梨先生」

「・・・に・げ・て」


 ワタシの心が絞り出した音ではない声を、優梨先生は受け取った。即座に立ち上がり、うるまを抱いて駆け出す。

 優梨先生は走った。その体には、自身の霊力と共にチーノウヤの力も纏っている。優梨先生の体はほのかに輝いていた。

 優梨先生は走る、信じられないほど速く、わんわん泣いているうるまを抱きしめながら。

 ふたりは、異世界と化した廊下の結界を突き破った。


 ワタシは走り去る優梨先生の背中を見つめ、最後の言葉を掛けた。


「うるま、うるま、ワタシの可愛い、カワイイ、コ」

「アンマークートゥ、アンマークートゥ、かあさんのことだけ、みておきなさい」

「かあさんがずっと、まもるから」

「ミミチリボージから、オマエヲ、マモルカラ、ナイチャ、ダメよ」


「ナチュルワラビヤミミグスグス」

 (泣く子は耳を、切られるよ)

「ヘイヨウヘイヨウナクナヨ」

 (さあ、ないちゃだめ)

「ヘイヨウヘイヨウナクナヨ」

 (さあ、泣かないで)


 遠ざかる優梨先生の肩越しに、うるまが顔を出している。ワタシに手を伸ばして、涙で頬を濡らしている。


「アア、カワイイ、コ、ワタシノ・・・ウルマ」

「かあさん!かあさんかあさん!!」


 ウルマノコエガ、ワタシヲヨブコエガ・・・・キコエタキガ・・シタ。



「うるま君、学校はどう?楽しい?」

「うん、おかあさん、楽しいよ?1年のときの友達がまた一緒だし!」

「そう、良かったわぁ、うるま君も2年生だもんね!またお友達が増えるわね!」

「そうだわ、うるま君、ひまちゃんなんだけど・・」

「え?ひまちゃん?」

「うん、ひまりちゃん」

「それ、誰?ぼく、ひまちゃんって知らないよ?」


 あのとき、僕の言葉に母は寂しそうな表情を浮かべていた。

 そうだ、僕はあの頃、母はおかあさんだと思っていた。いや、つい最近までそう思っていたんだ。

 でも今はもう知っている。ひまりちゃんは幼なじみの同級生。あいつに憑かれて体が透けていた。


 母は僕の先生だ。小学1年生の時の、あいつから僕を命懸けで守ってくれた、担任の先生。

 母には強い力がある。その力で、あれからずっと僕を守ってくれていた。そして母の中のマジムン、チーノウヤも、母の一部になって僕を守っている。


 今はそれが分かる。


 母の名前は、真鏡優梨まきょうゆうり

 東京で過ごした母との日々、沖縄に住んでいたことだけは覚えていたけど、あの頃のことは霧の中の出来事のようにおぼろげだった。


 どうして忘れていたんだろう?

 僕の本当のおかあさん、名城明日葉なしろあしたばのこと。


 僕が覚えていたのは、母の胸の温もりと、あの言葉だけだ。


「アンマークートゥアンマークートゥ、おかあさんのことだけ、見ておきなさい」


 剣道部の監督、安座真さんが僕の力を見抜いて、そしてこの力を引き出してくれた。そして僕は、全てを思い出した。


「うるま君、今日は剣道部の朝練でしょ?もう出ないと。はい、お弁当」

「ありがとう、母さん。じゃ、行ってくるよ」


 母は6歳の僕を引き取って、そして東京に移り住んだ。沖縄では僕を守り切れないからだ。結婚もせずに僕を育ててくれたのは、きっとチーノウヤの影響もあるんだろう。

 チーノウヤは、母性の塊だから。


 僕が全てを思い出したことを、母はまだ知らない。


 ありがとう、母さん。

 でも、もう少し強くなったら、僕は沖縄に帰るよ。

 おかあさんの、名城明日葉の魂を、あいつらから解放する。


 もう僕は、決めたんだ。

 もっと強く、ならなくちゃ。


 もっともっと、強く。


 僕は名城明日葉と優梨先生、ふたりの母の子供。


 真鏡漆間まきょううるまだ。




逢魔が時に、出会うもの ふたりの母 了

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