第5話 ふたりの母 ①
4月8日、月曜日。
-よく晴れて、良い日だわ。
私は1着しか持っていない黒のワンピースを着て、控えめな真珠のネックレスを付けた。
小さなシャツにブレザーと半ズボンを出して、小さな手と足を通してあげる。のりが効いたシャツは硬くて着心地は悪そうだわ。
「さ、うるま、おいで。お靴履いて、おかあさんと一緒に行こうね」
「かあさん、どこ行くの?」
「うん、今日はね、学校に行くの。前から言ってたでしょ?うるまは今日から小学生。1年生よ?」
うるまは私のひとり息子。シングルマザーの私の宝物。小さい頃から聞き分けの良いお利口さん。私を困らせることは絶対しない。親バカって言われるけど、違うわ。この子は賢い。
でも、ひとつだけ困ったことがある。この子のせいじゃないけれど。
「へぇ、学校に行くと小学生になるの?」
歩きながら無邪気に私を見上げるうるまの瞳はまん丸。可愛いわ。賢いのにちょっと天然なのも可愛いわ。
「そうよ~、小学生は学校に行くの。お友達やお兄さん、お姉さんたちがたっくさんいるのよ?」
「わぁ、友達?たっくんとかひまちゃんとかも来るの?」
「たっくんは来年だね、うるまの方がお兄ちゃんだから。でもひまちゃんは来るよ?一緒の学校で1年生」
「ひまちゃんだけ?でもいいや!早く行こ?」
「うん、きっとね、ひまちゃんだけじゃなくってた~くさん・・」
ああ、困った。これなのよ。この子と外に出るとすぐ。でもうるまは気付いてないみたい。気付くと泣いちゃうから、今のうちに。
「・・・ふっ!!」
「かあさん、どうしたの?」
「ん?大丈夫よ?だいじょぶだいじょぶ~!アンマークートゥアンマークートゥ。さ、行こっか」
今日はうるまの入学式。
ホントによく晴れた、良い日だわ。
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××小学校の校門前には、大振りの花で飾られた看板が立っている。薄いピンクやらブルーやら、白もある。
“令和○○年度 ××小学校入学式”、看板には筆で大きく書かれていた。その前で記念撮影をしている親子、そして順番待ちの親子も数組。
笑顔の両親に対して、子供は概ねつまらなそうな顔だ。緊張の面持ちの子もいる。
それはそうだろう、これまでせいぜい幼稚園で過ごしていた子供たちが、いきなり大きなランドセルや手に余る教材を渡され、さあ!これからお勉強!お友達もたくさん作ってね!なんて言われるのだから。
そんな親子たちを、うるまはぼんやりと見ている。
僕も写真を撮りたいなんて言うはずない。なんであの子たちにはお父さんがいるの?なんてことも言うはずない。
きっと分かってくれてるわ。うるまは賢いから。
私とうるまが校門の入り口まで歩いて行くと、数名の先生が案内と花の飾りを持って立っていた。
「本日はおめでとうございます、こちらへどうぞ」
私を見ながら声を掛けてくれたのは、女性の先生だった。紺のスーツに白いシャツが良く似合う。ストレートヘアに黒縁のメガネが知性を感じさせるが、スラリとした体躯で背が高く、バレーかバスケットでもしていたか、と思わされる。
「お名前は、うるまくん、はい、1年2組ですね。私が担任するクラスです。どうぞよろしくね?うるまくん」
私とうるまの胸に白い花飾りを付けながら、先生はうるまのほっぺたをツンっとつつく。とても優しそうな人だ。いや、この人は・・
「・・・
私はつい先生の顔を凝視してしまっていた。名字を聞き逃してしまったが、優梨先生、この人はなかなかの力持ちだ。もしかして、私たちのことも分かるかも。
「優梨先生、ですか。先生は例えば学校の怪談とか、信じます?」
「え?学校の?カイダン?」
「あ、すみません急に変なこと。うるまが学校の怪談とか怖がるので」
私は適当にごまかした。この先生は私たちの力に気付かない。それどころか自分の力にも気付いていないようだ。
学校というところには怪談が付きものだ。だけどその多くは子供たちが産みだしたストーリー。昔からの噂や都市伝説に尾ヒレが付いて、そこに子供たちの自由なイマジネーションが加わり、新たな時代の怪談となる。
本物の怪異とは無縁なもの。
そして学校には、子供たちの生気が溢れている。これから成長するための溢れるエネルギー、疲れを知らないパワー。
それらが集積した学校という場所、特に無垢な子供たちが集まる小学校は一種の聖域となり、怪異の侵入を防いでいる。
うるまは生来、怪異を呼ぶ体質だ。ううん、うるまを狙っているように集まると言ってもいい。そんな連中は雑多なマジムンになりかけの場合が多いから、いつも私が祓っている。そんな力が私にはあった。
そしてうるまにも・・
-学校という聖域とうるまが持っている力があれば心配することもないと思っていたけど、この先生がいるなら更に安心か。
私は優梨先生の顔を見ながらそう思った。
-それに、うるまには毎朝結界を張ってあげてるし、何かあればすぐに・・
「うるまはちょっと変わった事を言うかもしれませんけど、よろしくお願いします。それと、そんなときは私に教えていただけると助かります」
「はい!きちんとご報告させていただきますね!ご安心ください」
本当に良い先生だわ。この人なら安心。
その日、私は講堂の後ろの方で、元気な声で校長先生に返事するうるまを見ながら、涙と鼻水が止まらなかった。
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つづく
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