第3話 封印の記憶 ③
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僕は、ふと眼が覚めたような気がした。安座真さんの話の間、まばたきを忘れていたのか?
それどころか僕は、安座真さんの話に入り込みすぎて、自分自身が比嘉さんという人と稽古をしたような気がしていた。
それにしても、安座真さんが打たれたという脳天がちょっと痛むのも、気のせいなのかな?
「安座真さん、その、あれっていうのは」
「気になるよね、でもここからが本題さ」
そう言うと、安座真さんは話を続けた。
四年後、高校生になった私は、部活として剣道を続けていた。
あの件以来、私は神掛かったように強くなっていた。だから進学も、剣道が強い県外の高校にしたんだ。ここじゃないけどね。
その高校で寮生活を送っていた私は、毎日激しい練習に明け暮れていたし、一年生から認められて大会にも出ていたから、まともに帰省することもできなかった。
でも、高校最後の夏は違ったんだ。
その夏の大会前に怪我をしてしまってね、私の部活は夏前に終わってしまった。だから私は、最後の夏休みを沖縄に帰って過ごしていたんだよ。
久し振りに過ごす沖縄の夏。居心地はもちろん良かったけど、それまでミリミリと音を立てるような全国レベルの緊張感に浸っていた私にとって、突然に訪れた穏やかな日常は、実はちょっと辛かったんだ。大会に出ていれば今頃、なんて、そんな悔しさもあったと思う。
それで私は、毎日馴染みの道場に出向いて軽い稽古をさせてもらう傍ら、小学生の指導をさせてもらっていたんだ。
本当は比嘉さんと稽古したかったんだけど、引っ越してしまったそうで、もういなかったからなぁ。
小学生の稽古は早く終わる。私も一応受験を控えていたからね、道場はそこで引き上げて、あとは家で受験勉強っていうわけだ。
初めてあの家族に出会った、いや、正確に言えば、初めてあの家族の会話を聞いたのは、そんな道場の帰りだった。
「夜の8時頃、夏の沖縄ではこの時間、空に夕日の名残があるだろ?夕焼けはとっくに消えてしまったのに、明るいとも暗いとも言えない不思議な風景を作り出す時間。映画の世界ではマジックアワ-という時間帯だ」
「マジックアワ-、ですか」
僕はその言葉を知らなかった。
「そう、マジックアワ-。言葉どおり魔法の時間だよ。でも日本では、逢魔ヶ刻と言う」
「おうまがとき?」
「魔物に出会う時間ってことさ」
安座真さんの話は続く。
私の実家はね、沖縄でも田舎と言われる土地柄でね、バスを降りると家まで一本道。その道沿いにある家々も同級生が結構住んでいるし、子供の頃から知っている家ばかり、のはずだった。でもその家は違ったんだ。
大きなガジュマルの木のそばにあって、昔からよく知っている場所、ずっと前からそこにあったはずなのに、それは初めて見る家だった。つまり、それまでずっと気づかなかった、ということだね。
なぜ今更その家に気が付いたのか?
それは、その家からとても楽し気な笑い声が聞こえてきたからなんだよ。
ブロック塀で歩道と隔たれたその家は、カ-テンの掛かる大きな窓がいくつもあって、明るい光が漏れている。温かい家庭を連想させる優しい光、そしてその窓から、仲のよさそうな家族の会話が漏れ聞こえていたんだ。
その会話は、そうだな、今日の晩ご飯はハンバ-グだよ、とか、今夜のドラマは見逃せない!とか、あのアニメ録るの忘れた!とかね。家族の会話としては、ありきたりなものだったと思う。でも、これが実に楽しそうでね、それからは、その家の前を通り掛かる度にそんな会話が聞こえてきて、つい立ち聞きしてしまうんだ。
どうやらその家は、両親と娘の三人家族、そして数匹の猫がいるようだった。家族が話してると、それに割り込むように必ず猫の鳴き声がしたし、家族もそれに合わせて言うんだよ、かわいいね、かわいいねって。猫を囲んで笑顔が溢れている。そんな幸せな家族の風景が目に浮かぶようだったよ。
いつしか私にとって、その家の前を通るのは、ちょっとした楽しみにもなっていた。
でもある日、私は気付いてしまったんだ。その家族の会話の不自然さにね。なにが不自然かって、それはね、前に聞いたことのある話が、また出てくるんだよ。
一度や二度なら単なる偶然かと思った。でもね、夕食がオムライスだとか、新番組のドラマの話とか、アニメを録るとか録らないとか、少しづつ違う気はしたけど、ほとんど同じ会話が順番に繰り返されているんだ。
気のせいだと思いたかったけど、そのせいで余計、その家族の会話に聞き耳を立てるようになってしまった。
そしてある日、父親だと思っていた声が、突然こんなことを言ったんだ。
「おとうちゃん、帰ってこないね」
すると母親の声が続いて、こう言った。
「おかあちゃんも、帰ってこないね」
それに娘の声が続いた。
「おねえちゃん、寂しくないかな、早く行かなくちゃね、迎えにね」
そして小さな子供の声が、聞こえた。
「おなか、すいたね」
初めて聞く声だった。全身に鳥肌が立った。
そして急に恐ろしくなって、私は家まで走って帰ったんだよ。
「た、ただいま!」
「どうしたの?」
私の顔を見るなり母が聞いた。
「顔、真っ白だよ?」
「ん、いや、なんでもない。なんでもないんだけど」
私は、少しの間うつむいたまま息を整えると、思い切って聞いてみた。
「あのさ、バス停からうちまでの道沿い、ほら、あの大きいガジュマルの手前位に家があるの、分かる?ブロック塀と大きな窓があってさ」
私の話を遮るように、母は言った。
「あぁ、新垣さんねぇ」
そうか、新垣さんっていうのか。知らない家だったな。そう思ったとき、母は続けて言った。
「でもあそこね、今は誰も住んでないよ」
母は、少し言いにくそうな表情を浮かべていた。
「えっ!そんなはずないよ、僕は毎日通り掛かって、電気も点いてるし、ずいぶん楽しそうな声が聞こえるよ?」
そう反論する私の顔を母はまじまじと見ていたが、冗談を言っているわけではないと思ったのか、こう続けた。
「へぇ、そうかねぇ、お母さんもよく通り掛かるけどさ、そんな声なんて、聞いたことないねぇ」
そこに父が割って入った。
「そりゃあれだ、親戚がいるんだから、後始末に来てることもあるさ、それにあそこは、猫がいるしなぁ」
母が続いた。
「そうそう!猫がいるね、三匹かな?あ、子猫を拾ったって聞いたことがあるから、四匹?」
「そうかもなぁ、だからさ、あの後、猫の世話に姪っ子だかが来てるわけさ」
父の言葉に母も納得したというように「だぁるねぇ」と言うと、ほらね、といった顔つきで僕の顔を覗き込んだ。
私はそんな母を無視して、更に聞いた。
「あの後って、何があったの?」
あの家には今も何かがいることを父と母は知らない。私は真剣だった。
「ね、あの後って、なにさ」
二人とも、そのことについては話したがらなかった。でも、そんな私に押されたのか、ようやく父がその重い口を開いてくれた。
その家は昔から空き家で、古い上に小さいからずっと買い手がつかなかったこと、それが二年ほど前、その家がリフォ-ムされたのを機に家族連れが引っ越してきたこと、そしてその家には数匹の猫がいて、とてもにぎやかで幸せそうだったこと。
そこまでは私も納得だった。私がいない間にリフォームされているからあの家は記憶になかったし、漏れ聞こえる会話から想像する家族にぴったりだ。
父は話を続けた。
「でもな、ほんの一か月前さ、あそこの家族は全員が亡くなったのさ」
母が重苦しい口調で続いた。
「あっちよ、バス停の先にある交差点、あっちで家族の乗った車が飲酒運転の車に突っ込まれたんだよ」
その家族は元々この土地の出身ではなかったから、葬儀は別の場所で行われたという。なにしろまだ付き合いも浅く、父も母もそれ以上のことは知らなかった。
でも残された猫たちや今後のこともあるため、親戚が来ては猫の世話をし、荷物を片付けているらしい。
「そうなのか・・」
父さんと母さんの話を聞いて、あの家にいるものがなんなのか、私にははっきりと分かった。
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翌日、私は昼と夜の狭間、逢魔が刻にその家の前にいた。
その日も、家の大きな窓からは明るい光が漏れ、家族の楽し気な会話が聞こえている。そしてやはり、猫の声も聞こえる。
私は歩道からブロック塀の内側に入り、大きな窓に顔を近づけて、言った。
「お前たち、猫だね」
その瞬間、今まで続いていた楽し気な家族の会話はぷつんと途切れ、同時に家は真っ暗になった。
明かりなんて、最初から点いていなかったんだ。
やっぱりか。口には出さなかったが、そう思った私はなおも続けた。
「お前たちは、幸せだったんだね」
家の中からは何の反応もない。でも私には分かっていた。やっぱりいる。
「でもね、お前たちが大好きだったおとうちゃんもおかあちゃんも、そしておねえちゃんも、もういないんだよ。もう帰ってこないんだよ。もう死んでしまったんだよ」
家の中の気配が濃くなった。
分かる。暗闇の中、八つの目がこちらを見ている。猫は三匹じゃない、四匹だ。
「だからお前たち」
私が更に話し掛けようとしたその時、私を圧倒するように声が響いた。
「うそだっ!!」
父親の声だ。
「うそ!」
母親の声。
「うそうそうそ」
娘の声。
「うそだうそだうそだうそだうそだうそだ」
「うそだうそだうそだっ!!!!」
「ヴ-ヴゥゥ---!」
三人の声と猫の声、子猫の声に聞こえた。
「うそじゃないんだ、もう三人は帰ってこないんだよ」
私は持てる限りの力を言葉に込めた。
「お前たちは幸せだったんだろ?おとうちゃんもおかあちゃんも、おねえちゃんも、お前たちのことが大好きだったんだから、ちゃんと認めるんだ、お前たちも大好きだった三人のために、もう静まるんだ!!」
このまま放っておけば、この猫たちはこの世に強い未練を残す。そして、もうすでにマジムンになろうとしているこの猫たちは、きっとこの世に害をなす。
その時の私はそう思って、猫たちの未練を断ち切り、救ってやろうと思ったんだ。
でもすぐに、それが未熟な私の浅はかな考えであると、思い知ったんだよ。私が猫たちに敗けたのかって?
いや、違う。
ただただ、私の考えは浅はかだったのさ。
安座真さんは、僕の眼を見つめながらそう言うと、少し目を伏せた。
「猫たちはね、こんなことを言ったんだよ」
安座真さんは更にうつむいた。もしかしたら安座真さんは、泣いているのかもしれない。
そこからの話を、僕は聞いているのか感じているのか、よく分からなかった。
「おとうちゃんがね、言ってたんだよ」
娘の声だった。
「おとうちゃんは、お前たちが大好きだって、でもきっと、お前たちはおとうちゃんより早く死ぬんだよって」
父親の声がそれに続く。
「そう、お前たち猫は、人間より寿命が短い。だから早くお別れするんだよって」
次に母親の声が、静かに言った。
「でもね、お前たちのように人に愛された猫は、死んでも天国に行かないんだって。天国じゃなくて、長い長い虹色の橋を渡って、そこで暮らすんだって」
猫たちは口々に私に訴える。
「そこは天国じゃない。でも、お前たちはそこで幸せに暮らして、おとうちゃんたちを待つんだよって」
「そのうちね、おとうちゃんたちがその橋を渡って、お前たちを迎えに行くからねって」
「そしたら一緒に、天国に行こうねって」
「おとうちゃん、おかあちゃん、おねえちゃん、家族みんながそろったら、一緒に天国に行くからねって」
「約束するよって」
「だからきっと」
「きっと」
「おとうちゃんたちは、死んでない!!」
「おとうちゃんたちは今、虹の橋の向こうにいるの!!」
「おかあちゃんも、おねえちゃんも!!」
「みんな、みんな、虹の橋の向こうで私たちを待ってるの!!」
「だから迎えに行かなくちゃ」
「そう、迎えに行くの」
「私たちが、おとうちゃん、おかあちゃん、おねえちゃんを迎えに行くんだよ!」
「おとうちゃんを!」
「おかあちゃんを!」
「おねえちゃんを!」
「おとうちゃん!おかあちゃん!おねえちゃん!」
「あ--んあ--ん」
「あ--んあ--んあ--ん」」
猫たちの叫びは、鋭い刃となって私の心を切り裂いた。
この子たちの未練を断ち切るなんて、僕には無理だ。私はそう思った。
私の耳に、また猫たちの声が響いた。
「だからね、私たちはその日まで、一生懸命に生きるの」
「みんなを迎えに行くその日まで、ちゃんと生きるの」
「あの人たちが愛してくれた、猫として」
「にゃ-んにゃ-んにゃ-ん」
猫たちが鳴いている。
きっと涙を流している。
私の目からも涙があふれた。
拭いても拭いても、涙は止まらない。
そして私はその場から、立ち去るしかなかった。
この子たちはマジムンなんかにならない。
それが分かったからだ。
その後、私はその家の前を通るのをやめた。
降りるバス停を一つ先に変えたんだ。
夏休みも終わろうとするある日、受験勉強をしている私に、なにげなく母が言った。
「そうそう、前に言ってたあの家ね、親戚が猫の世話をしに行ったら、猫たちみんなそろって居なくなってたってよ、どこに行ったのかねぇ」
「ふぅーん、そうねぇ」
気のない返事をしながらも、私には猫たちがどこに行ったのか、本当ははっきりと分かっていた。
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つづく
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