03、【音魔法】




 今から20年程前に世界各地に『ダンジョン』と呼ばれる異空間が出現した。

 ある日、突如として空間を歪ませる『ひずみ』が発生したのだ。


 当時、ハルカはまだ生まれていなかったが、世界中の国々が混乱したという話は何度も耳にしている。


 それは歪の中に存在するダンジョンからは[アイテム]と呼ばれる不思議な資源が手に入るからだ。


 安全な飲み水を半永久的に吐き出したり、決して消えない炎を生み出したりなど、基本的にその効果はなんでもあり。


 誰もがそんな夢のようなアイテムを欲しがるだろう。

 だが、その資源の採取を阻むのが侵入者を迷わせる入り組んだ地形だ。


 それ故にここは迷宮─ダンジョンと呼ばれている。


「ふむ、迷宮か。オレには関係ないな」

「お?」


 眼前に広がる洞窟の様な景色。

 岩壁で出来た通路が無数に入り乱れるこのダンジョン内部にて、ニコラがコンコンと壁を叩き始めた。


 シンと鎮まった通路の奥に、ノック音がどこまでも突き進んでいく。


「何してるの?」

「この空間の内部構造を把握している」


 もしかして音波探知機ソナーの真似事でもしているのだろうか。


 空中や水中に伝わる振動を使って周辺状況を探る探知機という物は存在するが、たかが壁を叩いたくらいでそんなこと出来る訳がない。


 コウモリやイルカのように超音波を用いる生物は存在するが、人間が出来て良いものではない。しかしニコラは耳元に指を当てて目を閉じ、じっと意識を集中させている。


 チャット:反響定位ってやつ?

 チャット:本当に出来んのか

 チャット:無理だろ

 チャット:エコーロケーションか

 チャット:コウモリかな?


 視聴者もニコラの行動に興味津々といった感じだ。


 反響定位──エコーロケーションとは、音波を発してその音が物体に当たって跳ね返ってくる時間差を測定することで、物体の位置や距離を特定する技術のことだ。


 音波を利用して空間構造を把握し、マップを生成する音響マッピングという技術も存在する。


 これをただの子供がやっているのならば、何かのごっこ遊びとして微笑ましく見えるのだが、ニコラはピッグマンという化け物を一撃で倒す謎の幼女だ。


 無理だろ、とハルカも視聴者と同様に思いつつも、どこか期待してニコラの様子を見守る。


「よし、把握した」

「あ、本当に出来るんだ?」


 自信あり気に目を開いたニコラがこちらを腕を掴み、反対の手で前方方向に指を差し示す。


 そこにあるのは左右に別れた通路があるのみで、前方は壁があるのみ。


「ここを直進した先に大きな空間がある。恐らくそこが貴様の言う『ボスフロア』だろう。得体の知れない巨大な生物もそこに鎮座しているので間違いない」


「直進って無理に決まってるじゃん」


「押し通るまで。近道である」


「は」


 腕を掴んだままニコラがハルカの手を引き、壁まで辿り着けばそこに手の平を当てた。すると壁と手の平の間に閃光が瞬く。


「オレは【音魔法】を操る『音撃術士』である。音とは振動、すなわち衝撃。こんな脆い壁一枚、難なく破れる」


 キィンッ! と鼓膜をつんざくような音が辺りに響いたと思った瞬間、


「う、うわぁ!?」


 前方の壁が破壊されて土煙を捲き上げた。

 やがて煙が晴れると奥から見えて来たのは別の通路。

 

 ダンジョンの壁を破壊するという力技を披露したニコラは、口角を吊り上げてドヤ顔をしながら隣で胸を張っていた。残念ながら張るほど胸はなかったが。


 チャット:は?

 チャット:えええええええ!?

 チャット:ダンジョンの壁破壊すんのは草

 チャット:音魔法すげぇえええええ!

 チャット:ぅゎょぅι゛ょっょぃ

 チャット:ドヤ顔かわいいなw

 チャット:魔法って何だよ、スキルじゃなくて?

 チャット:どっちにしろすげぇな

 チャット:迷宮じゃなくなるだろこれ


「わざわざ迷ってやる必要もなし、という訳だ」

「そ、そうだけど」


 確かにその通りだとハルカは納得する。


 迷宮の入り組んだ地形が進行を阻むのなら、その壁を取っ払ってやれば良いだけのこと。実に合理的な考え方だ。


「そもそもダンジョンの壁って破壊出来たんだ?」


 誰もが一度は考えるだろう。

 ダンジョンの壁破壊した方が早くね? と。


 それを実行しようとした者はことごとく現実を知るハメになる。ダンジョンの壁は破壊するどころか、傷一つ付けることは出来ないと。


 それを理由としてダンジョンは迷宮に成り得るのだが、ニコラが放った【音魔法】とやらは簡単に壁をぶっ壊してしまった。


 だからハルカも視聴者も驚いている。

 とんでもねぇ奴が現れたなと。


「オレに残された時間は7分と言ったな。ならば試してみようか、7分でこのダンジョンとやらを踏破出来るかどうかを」


 ニコラがこちらの腕を引いたまま宣言すると、突然ヴヴンという奇妙な音を放って二人の足元が淡い光に包まれた。


「全力で掴まれ。離せば死ぬと思ってな」

「え?」


 ククク、と悪魔みたいに笑った幼女が跳躍する。

 直後、ぐんッとハルカの体が前方に引っ張られた。


「だゃわあああああああああ!?」


 体が力いっぱいに引っ張られている。

 そして遅まきながらにハルカは自覚した。


 あの悪魔みたいな幼女がまた【音魔法】とやらを使用して高速移動をしているのだと。視界が真横に伸びて凄まじい勢いで流れて行っている。


 このまま地面か壁に叩き付けられば死ぬという確信が持てる速度だ。


「に、ニコラ! 死ぬ! 死んじゃうぅぅう!」

「空気抵抗は魔法で極力抑えている。死ぬことはない。貴様みたいな小娘には少し苦しいかも知れないがな」

「そういう意味じゃなくて! かべ……壁っ! 壁に当たったら死ぬ!」

「無論である。オレの【音魔法】で破壊するまで」

「うへえええええええ!?」


 早過ぎて目を開けることが出来ない。


 前方から何かが爆発するような音が聞こえて来る。先ほどの『キィンッ』という音も合わせた不協和音が何度も何度もハルカの鼓膜を刺激する。


 ニコラはこちらの体の掛かる負担をほとんど気にしていない。


 彼女とは何とか協力関係を築けたが、目的を達してしまえば後のことはどうでも良いのだろう。それもその筈、互いが互いを利用しているのだから。


 だが、この仕打ちは流石にあんまりだろう。

 童顔で可愛い見てくれをしている癖に悪魔みたいな幼女だった。


 チャット:画面がぁあああああ!!!

 チャット:すっげぇ速度だなw

 チャット:ハルカちゃん大丈夫か?w

 チャット:普通に死ぬだろこれ

 チャット:音魔法すげぇええええ!

 チャット:画面酔いしてくるわ

 チャット:目が! 目がぁ!

 チャット:耳がぁ


 アイショットカメラを通じてハルカの目線を画面越しに体感している視聴者の中にも、凄まじい速度と激しい画面揺れ、そして響く轟音に悲鳴を上げている者が居た。


 イヤホンやヘッドホンをしていた視聴者はまさしく度肝を抜かれたことだろう。音がやばい。耳が死ぬ。


「それと画面酔いにご注意をおおおおおおッ!!!」

「ところで小娘、貴様なぜダンジョンに閉じ込められていた」

「はぁ!?」


 高速移動しながらニコラが尋ねてくる。


 これも【音魔法】とやらの恩恵なのか、爆発音やら空気が流れ込んで来る轟音の中でも、ニコラの声だけははっきりと認識出来た。


「貴様は武具を身に付けているが弱過ぎる。だから聞いている。お前みたいな小娘が、まさかたった一人でこのダンジョンに潜ったのか?」


 ハルカは轟音に掻き消されないように大声で返答する。


「そうだよ一人! 一人で来た!」

「阿呆め、自殺行為だぞ」

「でもお金が欲しいの! 探索者って一攫千金も狙えるからさ! それとダンジョン配信って人気コンテンツらしいしさ!」

「金に目が眩んだか。貴様は正真正銘の阿呆だな」


 チャット:幼女に説教されるんの草

 チャット:俺のことも罵ってくれ

 チャット:まじでただの金目当て?w

 チャット:草

 チャット:まあ嫌いじゃないよ 

 

 激しい轟音の中、視聴者にもニコラの声は伝わっているようだ。ハルカの声は口元のマイクを通じて伝わっている。だからこんな情けないやり取りを聞かれてしまった。


 だが本心だ。ハルカはお金が欲しい。

 その為に儲かると聞いた『探索者』と『配信者』を同時に始めただけ。


「貴様、本当に金だけが目的か?」

「そうだけど!」

「……ふむ。そうとは思えんがな」

「事実です!」


 だがそのお金も死んでしまっては意味がない。

 ハルカは無我夢中でニコラの腕をぎゅっと握り締めると、ふと体に掛かっていた重圧が消え去った。


 一瞬だけふわりとした無重力を感じたかと思えば、そのまま固い地面へと尻から下ろされる。


 ニコラがボスフロアまで辿り着いたようだ。


『ゴアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』


 眼前、馬鹿みたいにでかい斧と盾を持った巨大なピッグマンが、壁を破壊して侵入して来たニコラとハルカに咆哮を上げている。


「ひっ」


 血走る目を見て、ハルカは後退りする。


 通常のピッグマンにすら勝てなかったのに、その10倍はあろうか背丈のボス──キングピッグマンに怖気付いてしまった。


 腕なんて丸太みたい太いと表現することすらおこがましい。あれに掴まれれば人間なんてトマトみたいにひしゃげるだろう。


『侵入者ッ! 侵入者ァアアアアッ!!!』


 そんな腕から振り落とされた斧が、間合いを無視して空間を斬り裂いた。


 終わった。


 ハルカはそう思ったが、気付けばニコラに抱きかかえられて今の一撃を回避していた。先ほどまで自分達の居た所が大きな土煙を上げている。


「ははは、驚いたな。斬撃が飛んだぞッ」


 助けてくれたニコラは呑気にキングピックマンの攻撃を分析している。ツンとした吊り目が楽しそうに大部屋のラスボスに向けられていた。


「あ、ありがとう……」

「何を言っている、貴様をここから脱出出来るよう手引きすると言っただろう。約束を守っただけであり、ただそれだけである」


 勘違いするな、とニコラがハルカを地面に下ろした。

 耳元のインカムから『クーデレ』だの『ツンデレ』だのと聞こえて来る。やかましい。


「に、ニコラ! あの斧に注意して!」


 地面に下ろされたハルカは即座に、今しがた斧で空間を斬り裂いたキングピッグマンに指を向ける。


「ニコラ見た? 斧から飛んできた飛ぶ斬撃!」

「ああ、見たが」


 先ほどの一撃はキングピッグマンが所有する能力──いわば【スキル】だ。


 この化け物は武器、防具毎に一つずつスキルを宿しており、大斧は振り払うと斬撃を飛ばすスキルを持っている。


「あれは【スキル】だよ【スキル】! 化け物の能力!」

「すきる?」


 それはダンジョンに潜る者なら誰でも知っている。常識だ。今はダンジョン配信を通して『探索者』以外でも知っている者も多い。


 しかしニコラにはいまいち伝わらず、頭にクエスチョンマークを浮かべて小首を傾げていた。


「ニコラが使ってる魔法みたいなもので、熟練した『探索者』は皆持ってるものなの! それでダンジョンに挑むんだけど、ボスモンスターも使ってくるんだよ!」


「ほう、それは面白い」


 何がそんなに面白いのか、可愛い顔して口角を吊り上げたニコラが化け物相手に堂々と正面を向ける。


 挑む気だ。ダンジョンのボスにたった一人で。

 それも生身の幼女が。


 チャット:いけいけ!

 チャット:どうなる!?

 チャット:魔法VSスキルは激熱

 チャット:この幼女強いからいけるやろ

 チャット:倒せなきゃ主も死ぬぞこれw

 チャット:俺はニコラちゃんを信じるぜ


 視聴者はまさしく他人事のように大盛り上がりだった。

 止めようとする声は一切なし。


 もちろんハルカはおんぶに抱っこと止めようがないので、ニコラのことを見守ることしか出来なかった。


 

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