01、キューブ
「ハァ……ハァッ!」
薄暗い岩壁に囲まれた空間の中、16歳の新人探索者である今野 ハルカは後悔していた。
死の縁を悟るとは今まさにこのことだと実感したからだ。
化け物共が跋扈する『ダンジョン』内において、武器も防具も全てぶっ壊れるという致命的なミス。もう少しちゃんと手入れしておけばと後悔するがもう遅い。
今は瓦礫の陰に隠れてやり過ごしているが、あの大きな化け物はいずれこちらを見つけ出してしまうだろう。奴らは嗅覚が非常に優れており、人間の匂いに強く反応する。
錯乱状態で右も左も分からない。
ダンジョンの出口が分からなくなってしまった。
だからハルカは焦っている。
「あとは……後は後はどうしよう!」
ハルカの狼狽は右側頭部に装着された『アイショットカメラ』を通じて、音声や映像共に視聴者へと伝わっている。
チャット:これまじでやばくね?
チャット:まずいまずいまずい
チャット:絶対に捕まらないで!
チャット:声出したらやばいだろ、見つかる
チャット:あいつの声聞こえた? 怖すぎ
ダンジョン攻略に付き纏うリアルな命のやり取りに、ハルカが垂れ流している映像を見ている視聴者は各々の感情はどうあれ興奮している様子だった。
そのチャットは右耳に装着されたインカムによって読み上げされており、ハルカは視聴者に打開策を求め始める。
「み、みんなぁ……、ここ殺されちゃう。どどど、どうしよう……」
チャット:声出すなって言ってんだろ
チャット:静かにして! 動かないで!
チャット:少し待とう、魔物がどっか行くかも
チャット:勇気出して、応援してるよ
視聴者達は親身になってくれているが、具体的な打開策はやはり出て来ない。
今ハルカを追って来ている化け物は嗅覚が優れている。なのにほとんどが隠れてやり過ごそうと忠告してくる。彼らには『探索者』としての知識が欠けているのだ。
それもそのはず。
彼らはただハルカの配信を興味本位で見に来た一視聴者に過ぎないのだから。
それでも天啓となるチャットを打ち込んでくれる視聴者も中には居る。
──チャット:煙幕グレネード持って来てなかった?
「……ッ!」
ハルカは焦っていて忘れていた。
こういった時の為に今回は逃走用の『煙幕グレネード』を用意していたのだ。
煙に紛れてこの場から逃走する。
これが今の状況を打開出来る唯一の策。
『ドコ……? コワクナイヨ……デテオイデ』
背後から化け物の声が聞こえてくる。
奴の足音と息遣いがこちらに近付いてくる。
恐ろしくてしかたない。
チャット:今の声めっちゃ怖い
チャット:近付いて来てる!
チャット:逃げろって!
チャット:心臓止まりそう
チャット:早く煙幕使って!
煙幕グレネードを使ったところで、あの化け物の目や鼻を果たして誤魔化せるだろうか。だが残された手段がもうこれしかない。
やるしかない。
『ミツケタ』
決意を固めたと同時だった。
視界の端から角を生やした豚の頭が出て来たのは。
「がッ!?」
即座にグレネードを投げようとした次の瞬間には、ハルカは後方の壁に叩き付けられていた。化け物が手にしていた棍棒で殴り飛ばされたのだ。
「……ぐっ。うぅ」
視界がくらりと揺れて定まらない。
どうやら後頭部を強打してしまったようだ。
殴り飛ばされた衝撃で煙幕グレネードもどこかへ飛んで行ってしまった。
万事休すか。ハルカに残された手段はもうない。
あと一つを除いて、の話だが。
『モウ、オニゴッコ……オワリカナ?』
化け物が下卑た笑みを浮かべていた。
豚の癖して二足で立つそいつの顔面は、まるで人間と豚の醜悪な部分を集めて寄せた様な作りをしている。
ピッグマンと呼ばれる化け物だ。
話を聞くに人間を好んで食べるらしい。
人間が化け物に食べられているところを映せば放送事故どころではない。
チャット:大丈夫!? しっかりして!
チャット:ホラー過ぎてやばっ
チャット:早くにげろって!
チャット:豚が喋ってて草
チャット:もう見てられない
チャット:誰か近くに居ないのか?
チャット:ハルカちゃん死んじゃう!
視聴者がチャット欄で大騒ぎしている。
もう見てられないなんてチャットを打ち込んでいる視聴者が居たが、こういった放送事故を求めてハルカの配信に訪れている者も中には居るだろう。
現に普段は視聴者の同時接続数が30人程だったのに対し、今はどこから聞きつけて来たのか1万人もの視聴者がハルカのライブ配信に集まって来ていた。
刺激に飢えているのだ。
応援してくれているが、翌朝のニュースに乗りそうな瞬間に立ち会えることを視聴者達はどこか期待している。
「に、ニュースになってたまるか」
頭からドロリと生暖かい液体が滴り落ちて来る。
血だ。目に入ってしまったので視界が赤くなってくる。
「こっちに……来ないで」
『ムリムリ』
化け物がハルカの元に近付いてくる。
「……来ないで」
『ダメダメ』
化け物はハルカに耳を貸す気がないようだ。
『オマエ、バカ』
後頭部を強打し、気を失いそうなハルカにピックマンはまた嘲弄の笑みを浮かべている。もう仕留めたと思っているらしい。
だから気付かないのだろう。
ハルカが胸元から一つのアイテムを取り出したことに。
「使い方……知らないけど、お願い」
『ナニソレ?』
それは四角いキューブのような形をした『アイテム』だった。
瞬間、ピッグマンの目に恐怖が宿り、後方へと大きく飛び退く。
『ナ……ナンダソレ!?』
ピッグマンの顔面に張り付いていた笑みが消えている。
それほどハルカが取り出したアイテムが恐ろしいらしい。
いや違う。
青白く発光する小さな四角いキューブから、ただならない気配を感じたからだ。
空間が歪んでいる。
人一人がすっぽりと収まる程の真っ黒な
──「……ん? どういう状況だこれは」
歪から女の子の声が聞こえてきた。
既に視界が朧げなハルカには声の正体が分からない。
白髪の少女がただ、薄く見える。
そしてその少女はキューブから呼び出されたことは理解出来た。なにせ空間の歪から彼女が姿を現したのだから。
チャット:え、何これ!?
チャット:空間が歪んでる
チャット:また敵か?
チャット:子供?
チャット:うおおお! 助けてくれ!
チャット:主が何かアイテム使ってたから味方じゃね?
チャット:逆に怖いんだけど…
チャット:いや、これ絶対やばいやつだって
読み上げされている視聴者のチャット欄も混乱している様子だった。突如として現れた少女が味方なのか敵なのか検討が付いていない。
ハルカもそうだ。
キューブを使ったことで呼び出されたあの少女が、味方に付いてくれるのか、それとも新敵を呼び出してしまっただけなのか分からない。
「……う~む。よく分からんが、貴様を叩きのめせば良いようだな、豚畜生め」
頭から血を流すハルカ、手に棍棒をもつピッグマン。
双方を見比べた白髪の少女が「覚悟しろ」と呟く。
『グギャアアアアッ!?』
次の瞬間、ドンッ! という衝撃音の後に、ピッグマンは遥か後方にぶっ飛ばされてしまった。
何をしたかは分からなかったが凄まじい威力だ。
岩壁に激突した化け物はひしゃげて潰れ、もはや形を保っていない。
一撃だ。
「そこの小娘、オレを呼び出したのは正解だったな。もう心配はない」
こちらに振り返った小さな女の子が不敵に微笑む。
とても可愛らしい子だった。
チャット:うおおおおおお味方だ!
チャット:くそ強くて草
チャット:一撃やん、今何やった?
チャット:かわいい
チャット:そもそも何者だよ
視聴者も突然の出来事が続いて盛り上がっている。
あの子がピッグマンを倒してくれた。
ホッとしたせいか、ハルカの意識が遠くなっていく。
「も、もう限界……」
「おい、待て。気を失うな小娘、お前には聞きたいことがあるのだ。おい! こら! これでは助けた意味がなくなるだろう! おーい!」
女の子の焦り取り乱した声が聞こえたのを最後に、ハルカは完全に意識を失った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます