第33話 セリーヌの遺産
「ここがセリーヌ・デュフォールの家か。晩年の彼女がなにをしていたか、ずっと不明じゃった。三百年も昔のことゆえ、今更調べるのは不可能と思っておったが……人生、どこでどう繋がるか分からんのぅ。それにしても綺麗な状態じゃ。お主が管理していたのか、ミスティ?」
セリーヌの屋敷を見上げたロゼットは、感慨深そうに呟いてから、隣に立つミスティに話しかける。
「はい。ボクととマスターの思い出の場所です。ボク一人になっても、二人の時間を忘れたくなくて。二人だけの場所だから、ほかの誰かを連れてくることなんてない……そう思っていたんですけど」
ミスティは俺たちをここに連れてきてくれた。
それが彼女の中で、どういう意味を持つのか、正確に知ることはできない。
しょせんは、会って半月も経っていない他人だ。
それでも、ミスティは初めて会ったときと変わったような気がする。それがいい方向への変化だったら嬉しい。俺たちがそのきっかけになれたのだとしたら、とても光栄だ。
俺と水羽とロゼットとミスティは、セリーヌの墓の前で手を合わせる。
死者の弔い方は、地球もこの世界も大差ない。
南無阿弥陀仏とは唱えないけど、安らかに眠れるよう、心の中で祈る。
「図書室はこちらです。その中に、開かずの本があります」
ミスティの案内で、家の中を歩く。
俺たちがここに来た理由は主に二つ。
ロゼットが「セリーヌのコレクションを見たい」と言い出したのが一つ。
もう一つは「どうしても開くことができない本があるんです。魔法でガードされているらしく……力任せに開いて破くのは嫌ですし。かといってマスターが施した封印を解除する技術はボクにはなく……手伝っていただけませんか?」とミスティが頼んできたからだ。
ロゼットでさえ尊敬している、いにしえの魔法師セリーヌ・デュフォール。
そんな人が封印しなければならなかった本には、なにが書かれているのだろう。
俺でも興味が沸いてくる。
「ほほう! 素晴らしい! 一万冊はありそうじゃ! 活版印刷が発明される以前にこれだけの本を集めるとは、さすがはセリーヌ。魔法書に限らず、乱読家だったようじゃな。そして綺麗に整頓されている。これはお主が?」
ロゼットの言葉通り、その図書室は美しかった。
ただ本が棚に収まっているというだけでない。カーペットやカーテンに気品がある。窓から差し込む光量は優しく、本を傷めることはなさそうだ。しかし椅子が並ぶ場所は、読書に支障がない程度に明るくなっている。
たとえ読書家でなくても、ここに足を踏み入れたら「少し読んでいこうか」という気分になるだろう。
「いえ。マスターが生前からこうしていました。ボクはたまにホコリをとっていただけです」
「セリーヌは実に几帳面だったのじゃな。ワシも少しは見習わねば……」
「開かずの本はこれです」
ミスティは本棚の森を迷わずに歩き、その中から一冊の本を取り出した。
タイトルがない。
装丁はシンプル。
辞書のように大きくて厚いが、それは技術的に紙を薄くできなかったからで、時代を考えれば当たり前のものだ。
「ふむ……これは、なんと重厚な封印か。しかし本の傷み方からして、日常的に何度も開いていたようじゃな。鍵となる術式さえ知っていれば、簡単に開けそうじゃ……が、逆に言えば、鍵が分からぬと……どこから手をつけたものか。うむむ……」
ロゼットは唸り、本を見つめて歩き回ったり、椅子に座ったりと、挙動不審になる。
邪魔しては悪い。しかしロゼットが助力を求めてきたらすぐに応えたいので、俺たちは俺たちで静かに読書する。
しばらくすると――。
「よし、決めた。鍵の解読は諦めた。外側から強引に、されど慎重にこじ開ける。ミズハ、魔力を貸せ。セリーヌの封印は強固で緻密じゃが、三百年経って緩んでおる。ワシとミズハの魔力なら、本を傷つけずにこじ開けられるじゃろう」
「おっけー。好きなだけ使って」
「ロゼット。あんた、他人の魔力で魔法を実行できるのか……?」
「うむ。もちろん同意があればの話じゃ。他人の魔力を無制限に使えたら、ワシは本当に敵なしになってしまう」
「同意があったとしても凄い技術だな……なら俺の魔力も使ってくれ」
「……ミズハのは慣れているからいいが、アキトの魔力は得体が知れないから嫌じゃ」
真顔で嫌がられた。ちょっとショックだ。
「あの……アキトさんの黒い魔力、ボクは格好いいと思います。だから落ち込まないでくださいね」
ミスティは俺の頭を撫でて励ましてくれた。
まるで年上のお姉さんのよう……いや、実際に年上だ。最低でも三百年は生きてるんだ。
「あ。ごめんなさい、いきなり失礼でしたね……ボクはマスターにこうされるの嬉しかったので、つい……」
「……ありがとう。確かに、ちょっと元気出たよ」
「それはよかったです……!」
「こらぁ、アキトくん。私以外の女の子とイチャイチャしちゃ駄目でしょ!」
水羽が睨んでくる。それから彼女は、
「ねえ、ミスティちゃん。あとで私にもナデナデしてね」
と、おねだりした。
俺じゃなくてミスティに頼むんかーい。
場がリラックスしたところで、ロゼットと水羽が二人がかかりで本に魔力を送った。
より正確に表現すれば、水羽が魔力をロゼットに送り、それをロゼットが制御して、二人分まとめて本に流している。
本の周りに、光の粒子が飛ぶ。
それらは魔法陣のような、あるいは電気回路のような模様を描く。
俺もそれなりに魔法の勉強をしたつもりだけど、ロゼットがなにをしているのか高度すぎて分からない。
「……よし! 天才の封印術式を堪能させてもらった。じゃが、こちらには三百年分の英知がある。解除させてもらうぞ!」
光の粒子が規則正しく回転し、そして、カチャリと鍵を開けたような音がした。
ロゼットは表紙に手をかける。わずかに開く。
表紙とページの隙間から呪いがあふれ出すようなことはなかった。爆発したり、電撃がまき散らされたりもしなかった。
「あの、ロゼットさん。続きはボクに開かせてくれませんか……?」
「そうじゃな。お主も十分に強い。トラップがあったとしても対処できるじゃろう。とはいえ、ワシらも隣にいるぞ」
「はい。お願いします」
ミスティは椅子に座り、その本に視線を落とす。
まるでセリーヌと対話するかのように、ゆっくりと開く。
ただ、ページをめくる音だけが図書室に聞こえた。
「これ……マスターの、日記……?」
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