第34話 人生は甘くて難しい
三百年開かなかった本。ロゼットでさえ難儀した封印されし本。
ならば中身は当然、魔法の奥義などだろうと誰もが予想していた。
だが、日記。
予想外だった。けれど予想しておくべきだったかもしれない。日記を他人に読まれるのは恥ずかしいものだ。厳重に封印したって不思議ではない。
ページをめくるたび、ミスティの目に涙が貯まっていく。
俺と水羽とロゼットは目配せし、図書室をあとにした。
危険な魔法書の類いだと思っていたから一緒にいた。ただの日記帳なら危険はない。
ミスティを一人にしてあげるべきだろう。
三百年分を泣きはらす権利が彼女にはあるのだ。
俺たちはリビングで待機する。
何時間かするとミスティが来た。両手でセリーヌの日記を大事そうに抱きしめて。
「セリーヌは本当に天才じゃな。目が充血する機能までお主につけたらしい」
「……ロゼットさんはイジワルですね……そういうところ、マスターにちょっと似てます」
「くふふ。それは光栄じゃ。で、日記になにか書かれていたか聞いてもよいか?」
「……全てお話しするのは恥ずかしいので勘弁してください。この日記帳はボクが管理します。勝手に読んでは駄目です。でも……少しだけお話します。のろけ話になりますが、聞いてくれますか? マスターって酷い人なんですよ?」
酷い人、とミスティは実に嬉しそうに言った。
「マスターは、確かにいつもボクを褒めてくれていました。可愛いとも言ってくれました。だから大切にしてくれてるのは知っていました。けれど、最高傑作とは言ってくれませんでした。マスターは、七罪源のカードを最高傑作と言っていたんです。ボクは強欲なので、そんな些細なことさえ引っかかっていました。この日記に、どうしてボクを最高傑作と呼ばなかったか、その理由が書いてあったんです」
そこまで口にして、ミスティは言葉を切った。
なかなか続きを言ってくれない。
三呼吸ほどしてから、ようやくミスティは恥ずかしそうに呟く。
「家族だから。家族を最高傑作と呼ぶのはおかしいから、ミスティは最高傑作と呼ばない。そんなことが書いてありました……酷くないですか? 直接言ってくれれば、ボクは飛び上がって喜んで、三百年も思い煩わずに済んだのに……こっそり日記に書いて、厳重に封印して……酷い人。マスターがこんなに恥ずかしがり屋だなんて知りませんでした」
ミスティはますます頬を赤らめて、
「教えてくれたら……ボクはもっとマスターに甘えたのに……」
甘々なことを言い出した。
聞いてるだけで脳がとろけそうだ。
「ミズハ、アキト。呆れた顔をしとるが、お主らがイチャイチャしとるときのほうが甘々じゃかなら。少しは自覚したほうがよいぞ」
ロゼットに恥ずかしい指摘をされた。
そこまでではないと思うのだが……。
「ボクは自分の価値を証明するため、カードを集めるという役目を果たそうとしていました。でもマスターの本当の願いは、自分の発明で人が死ぬのは嫌というもの。そして日記を読んで、もう一つ気づいたんです。死んで欲しくない人の中に、ボクも入っているって。ボクが壊れたりしたら、マスターは悲しむと思うんです」
「……のぅ、ミスティよ。もしワシがお主のボディと同等のものを作れたら、すぐに世に発表する。他人に認められるのは気持ちがいいものじゃ。それはお主も分かるじゃろう?」
ロゼットの問いかけに、ミスティは頷く。
「なのにセリーヌはお主の存在を誰にも教えなかった。いや、お主そのものには使命があるから発表しないのは当然としても、それを構成する理論さえ公表しなかった。なぜじゃろうな?」
「……なぜでしょう?」
「ワシは手紙を出して、王都の魔法師たちに、セリーヌの著書を改めて調べさせた。そして……実はカードについて警告する本はあったのじゃ。しかし警告があっても、カードの実在を誰も確認できなかった。だからその本は、セリーヌの名を騙って書かれた偽書として扱われていた。ワシでさえ報告を受けてようやく思い出したほど、この三百年、隅に追いやられた本じゃった」
「……そうでしょうね。生前のマスターもぼやいていました。神域の力に七罪源の型を与えて召喚するカードを作ったと言っても、誰も信じてくれなかった、と」
「それでも書き記し、後世に伝えようとしてくれた。じゃが、ミスティに関しては、本当に記録がない。しかし家族と聞いて納得したぞ。お主の存在をほのめかすことさえしたくなかったのじゃろう。ワシのような者どもが、お主を捕獲して調べようとするのは明白。お主には並の魔法師を返り討ちにする力があるとしても、戦いが増えれば心労が積み重なる。過酷な使命を与えておきながら……いや、過酷な使命があるからこそ、それ以外では平穏に生きて欲しかったのじゃろう。と、ワシは思った」
「ロゼットさん……ありがとうございます。あなたの言葉で、また一つマスターを好きになれました」
「くふふ。どうやら一人で戦おうという気は完全に消えたようじゃな」
「はい。それで、改めてお願いします。ロゼットさん、ミズハさん。そしてアキトさん。ボク一人の手に負えないことが起きたら、また手伝ってください」
「無論じゃ。いつでも頼るがいい」
「当たり前よ。あんな危険なカードがほかにもあるなんて、放っておけないもん」
「俺の答えはすでに言ったけど、改めて。ぜひ手伝わせて欲しい」
俺たち三人の答えを聞いて、ミスティは安堵したように息を吐いた。
それから、笑顔。
混じりっけなしの喜びが浮かんでいた。
ミスティには、ずっとこういう顔をしていて欲しいと心から思う。
「俺と水羽は、ずっと楽しく生きていく。そのためには世界が平和でなきゃ。俺は水羽のためなら、平和を脅かすものを排除する。どんな些細なものでも」
俺が本心を言った、次の瞬間。
微笑んでいたミスティの表情が曇り、むすぅっと擬音が聞こえそうなほど頬を膨らませた。
なん、だ……? 俺、マズいこと言ってしまったか?
「アキトさんがミズハさん第一なのはここ数日で実感しましたけど……だからって今言わなくてもよくないですか!?」
「くふふ。アキトはミズハが絡むと知能指数が落ちるのじゃ。それはどうにもならんのじゃよ」
「ミスティちゃん。秋斗くんは格好いいから仕方ないけど……ハッキリさせとくね。秋斗くんは私のだから!」
「そ、そんなの分かってます。二人の仲を邪魔しようとかは思ってません。ただ妄想くらいはさせてください」
「妄想……それならオッケー!」
水羽は親指を立てる。ミスティは頷く。
それを見てロゼットが「くふふ」と愉快そうにしている。
なんだ? 女子にしか分からない言語が場を支配しているのか?
「ミズハさんのオッケーが出たところで、それでは、みなさん。お城に帰りましょうか」
「……あれ? ミスティちゃん、お城にずっと住むの?」
「はい。そのつもりです。まさか、遠くから妄想するだけだと思いましたか? これまでのボクだったらそうだったでしょうね。けれど今は違います。他人に縋ることを覚えましたから」
ミスティは胸を張って言う。
なかなか不貞不貞しい表情ができるようになったみたいだ。いいことだと思う。
「俺としてはミスティが城に住むことに異論はない。水羽がどうしても嫌だって言うなら別だけど……」
「どうしても嫌ってほど嫌じゃないけど……っていうか別に全然嫌じゃないし! ミスティちゃんとはもっと友達になりたいし。うん、私も大歓迎よ! これからよろしくね!」
「友達……アキトさんが女たらしなら、ミズハさんは人たらしですね……そういう純真な笑顔を向けられたら、実務的な話をしづらくなります……」
「実務的、とは?」
ロゼットが口を挟む。
「……エミリエ村の近くの森で、カードが二枚も活動していました。ただの偶然かもしれません。でもマスターが言っていました。七罪源のカードは、強い魔力に引き寄せられる、と。ボクはあそこにカードが二枚あったのは、必然だったと思っています」
「ふむ……するとエミリエ村の近くに、強い魔力の発生源があると? しかしワシはそんなもの感じなかったがのぅ」
「私も……私ははあそこで生まれ育ったけど、そんな強い魔力に心当たりないけど……」
「俺も知らない」
と、俺たち三人が答えると、ミスティは「え!?」と声を出して固まった。
「生きながら歴史と化したロゼットさん。初代聖女のミズハさん。そして幼くして膨大な闇の魔力を操るアキトさん。こんな三人が一緒にいたら、それは十分に強い魔力の発生源だと思うんですけど……自覚ないんですね……」
「「「あ~~」」」
魔力の発生源なんて言われると、地脈とか、巨大魔石とか、古代文明の遺物とか、そういうのをイメージしてしまう。
だけど、そうか。俺たちくらいになると、そういう扱いになるのか。
「闇雲に世界を放浪するより、俺たちのそばで待ち構えていたほうがカードと遭遇できる確率が上がるってことか」
「はい。というわけで、友情を育むだけでなく、カードの回収という実務的な理由もあるので。よろしくお願いします」
こうして城で一緒に住む仲間が増えた。
四人になってもあの城はまだまだ広い。
水羽と再会した直後は、二人さえいればいいなんて思っていたけど、最近は賑やかなのが楽しかった。
それにしても、城に帰る道中の数日間。
ミスティがやたら俺を見つめてくるし、水羽はいつも以上に俺にくっついてくる。ロゼットはなにか感づいているみたいだけど聞いても理由を教えてくれない。
やはり女子にしか分からないことがあるのか。
それとも俺が年齢二桁の若造だからか。
くそ、人生は難しいぜ。
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