第19話 疑似世界の襲撃

 風呂から逃げ出した水羽は、その勢いのまま城からも逃げ出したらしい。

 夕方になっても帰ってこないので、俺は村まで探しに出かけた。


 ここエミリエ村は、本当の田舎の村からすれば町に見えるけど、王都のような都会に比べると村に感じるという、微妙な規模の場所だ。


 周囲を畑に囲まれていて、その主な生産物は小麦などの穀物。野菜農家も多いし、畜産もかなりの規模。菜の花畑もあるし、その花の蜜を目当てに養蜂場を営んでいる人もいる。

 いつだったか水羽が「土が肥えている」と言っていたけど、この生命力に溢れる景色を見ると、農業の知識もないのにそれを実感できる……気がする。


 そんな牧歌的な景色の中を抜けて村に入る。田舎だから木造家屋が並んでいるのだろうと思いきや、石畳で舗装された道やレンガ造りの家々が目に飛び込んでくる。初めてこの村を訪れた者は「思ったより発展している」という感想を抱くだろう。

 村の面積はそれほどでもない。

 けれど、飲食店に酒場、雑貨屋、衣料品店、鍛冶屋、病院など、生活に必要な店は一通り揃っていて、行商人が訪れるのを待たなくても買い物に支障はない。

 田舎だけど、都会の息吹を感じられる場所。それがエミリエ村だ。


 俺はエミリエ村の石畳を歩きながら、水羽の姿を探す。

 ちなみに冒険者ギルドには真っ先に行ってみたけど、今日は来ていないらしい。


「まさか遙か遠くまで逃げたってことはないよな。どっかでヤケ食いでもしてるのかな?」


 この百年間、水羽はドカ食いを趣味にしていた。それを思い出した俺は、露店が並ぶ通りを覗いてみた。が、水羽はいない。

 小腹が空いたのでソーセージの串焼きを買い食いしてみる。要は地球でいうところのフランクフルトだ。パリッとしていて美味しい。


「こうやって美味しそうな臭いを漂わせながら歩けば、水羽が釣られて出てきたりしないかなぁ」


 半ば冗談、半ば本気の独り言を呟きながら、適当に歩く。

 と。

 自然豊かな公園に入った瞬間、雰囲気が一変した。


「……なんだ?」


 場所は間違いなくエミリエ村のままだ。別の場所に転送させられたなんてことはない。後ろを振り返れば、さっき歩いてきた道が変わらず続いている。

 変わらない? 本当に?

 露店には店員がいた。買い物客もいた。

 公園には小鳥がいた。

 なのに全員、消えた。どこにも気配がない。


「足音がなければ、動物の声も……よそ風も感じない。耳が痛いほどの無音……疑似世界に閉じ込められたか……?」


 疑似世界。

 それは結界の一種。

 術者の力量にもよるが、直径数十メートルほどの異世界を作り出し、対象をそこに閉じ込める魔法だ。

 対象が増えるほど難度は増大し、疑似世界は簡単に壊れてしまう。

 というより、疑似世界の使い手が少なすぎて、一人を何分か閉じ込めるだけで達人と呼ばれるらしい。そのくらい難しい魔法なのだ。

 つまり、俺がいるここが疑似世界だとしたら、相手はその時点で魔法の達人ということだ。


「誰もいない……閉じ込められたのは俺一人か? にしても、すでに百メートルは歩いたぞ。疑似世界にしては広い……」


 まさか村を丸ごと再現したのだろうか。俺は息を呑んだが、程なくして見えない壁に当たった。敵の魔力は無限ではないらしい。

 この結界のモデルになったエミリエ村では、こちら側とは無関係に変わらぬ日常が続いているはずだ。

 俺は人気のない場所で飲み込まれたので、俺が消えたことに気づいた者さえいないだろう。


「問題は、なぜ俺を閉じ込めたか……恨まれるような心当たりは……山ほどあるか」


 なにせこの一年で盗賊を殺しまくった。残党とか仲間とかが俺を恨んでいても不思議ではない。


「恨まれる心当たりが山ほどとは呆れた男じゃな」


 声が聞こえた。同時に膨大な魔力を感じる。

 回避――いや避けきれない。それほどの広範囲攻撃がくると気配で分かる。

 俺の頭上に魔力が集中する。発動する前からそれが冷凍系だと分かったが――まさか、これほどとは! 直径十メートルはあろうという氷の塊が目の前にいきなり現れる!


 闇の魔力を円錐状に展開。頭上に氷に向けて発射。

 俺一人分が入り込めそうな穴を穿ち、その隙間に潜り込むことで事なきを得た。

 地面に落ちた氷塊は衝撃で砕け、その破片は即座に消えてしまった。溶けたのではない。消えた。

 魔法で空気中の水分を凍らせて落下させたのではなく、完全に魔力だけで構成された疑似物質だったのだろう。

 だが幻ではない。穿ったときの手応え、地面を叩いた衝撃から、質量を有していたのが分かる。当たれば死んでいたかもしれない。


 間違いない。

 俺をここに閉じ込めた奴は、俺の命を狙っている。


「ほう。そういう方法で避けたか。やりおる。では、これならどうじゃ!」


 炎。

 炎の矢が無数に、それこそ雨みたいに降り注いできた。

 さっきの氷塊も広範囲だったが、こっちは更に桁が違う。移動して避けるなんて絶対に無理。避けられないなら被害を抑えるため、こっちから飛び込んでやる。


「霊よ、爆ぜろ!」


 足を魔力でガードしつつ、靴と地面のあいだに霊を呼び出して自爆させた。その勢いで俺は空高く舞い上がる。

 炎の矢の群れ。それを突っ切って、抜けた。まだ目の前は赤い。しかし、それは炎ではなく夕焼けの赤。敵が作った炎は地上に墜ちて、公園の草木を燃え上がらせる。


 氷はすぐ消えたのに、炎は広がる。別に不思議ではない。もともと炎とは可燃物があれば勢いを増すもの。魔法で作った種火が消えても、どこかに一度着火すれば魔法と無関係に広がっていく。

 最強の属性というものがあるわけではない。が、広範囲を最小の力で破壊するという点において、炎属性は最良の選択だ。


 公園に足をつけたままだったら、俺は炎に包まれていた。

 そうなれば防御に魔力を振り分けることになり、そこに追撃が落ちてきたらヤバかった。

 だが、そうはならなかった。

 俺は上空に逃れ、余裕を持って周りを観察できる。


 敵の魔法の発動は早い。逆探知して位置を特定するのは難しい。

 しかし使った魔法は極めて大規模。だから魔力の痕跡が大きい。それを立て続けに使ってくれたから、おおよその位置は掴める。


「そこだ!」


 闇の魔力を凝縮。

 教会の塔を目がけて、砲弾のように発射。

 綺麗なステンドグラスを有する教会は、一撃で瓦礫の山に変わった。


「恐ろしい奴じゃ……この一瞬でワシを見つけ出し、あんな威力の攻撃をしてくるとは……これほど肝を冷やしたのは、はてさて何十年ぶりかのぅ?」


 大通りに着地した俺の前に、人影が現れた。小さい。というより幼い。今の俺とさほど変わらぬ年齢。

 実年齢はともかく、見た目は十歳かそこらの少女。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る