第18話 お風呂チャレンジ

「お風呂! それはいいアイデアね。早くあの浴槽を使ってみたかったの!」


 この城の風呂は、地下水を汲み上げて使う。その地下水が丁度いい温度なので湧かす必要がない。つまり温泉である。

 二百五十年も使われていないのでパイプが詰まっていないか心配だったけど、風呂掃除のときに栓をひねったら無事にお湯が出てきた。無色透明で温泉成分が薄めだから固まらずに済んだのろう。


「それじゃ、一緒に入ろうか」


「うんうん、一緒に……ええ!?」


「なんで驚いてるの? 前にもそういう話をしたじゃん」


「したけど、そうなんだけど! 初日からいきなりなんて、心の準備が……あわわわ……」


 いいぞ。水羽はこうでなきゃ。


「そうなんだ。年下の俺は心の準備ができてるのに、自称お姉ちゃんの水羽はまだなんだ。ふーん」


「できるもん! 心の準備、できるもん! でも……ちょっとだけ待って。すーはー、すーはー」


 水羽は深い深呼吸を続ける。


「あっそ。俺は先に入ってるから、準備ができたら来てね」


 俺は廊下に水羽を残して風呂場に行き、栓をひねって浴槽に温泉水を流し込む。そして昨日のうちに買っておいたタオルと着替え、石けんとシャンプーを持って、また浴室に帰ってきた。

 頭と体を洗ってから、温泉に浸かる。

 手足をグッと伸ばす。

 実に心地いい。

 俺が日本人として過ごしたのはたった十四年で、その多くを病院暮らしに費やした。なので実は温泉に行ったことがない。なのにこうして体を湯に沈めると「俺は日本人だぁ」という気分になる。遺伝子に刻まれているのだろうか。いや、転生したので遺伝子さえ日本人ではない。なら魂だ。日本人の魂に温泉好きの情報が刻まれているのだ、きっと。


「水羽、なかなかこないな。まあ、来ないんだろうなぁ」


 臆病な彼女が、そんなすぐに心の準備とやらをできるとは思えない。

 そもそも、こうして一人になってからじっくり考えると、俺自身、心の準備ができているのか疑問になってきた。

 もし、いきなり裸の水羽が入ってきた。そして俺の裸を彼女に見られたら。

 ……駄目だ。恥ずかしい。顔から火が出る。


「もし万が一、水羽が無理してここに来たら、俺のほうが負けそうだ。そうなる前に、早く出よう」


 俺は湯船から上がる。と、同時に。


「こ、心の準備完了!」


 水羽が扉を開けて、風呂場に入ってきた。

 彼女は白いバスタオルで体を覆っていた。一方、俺は全裸。俺のほうが無防備。


「ひゃっ!」


 という悲鳴は、認めたくないことに、俺の口から漏れた。

 だっていきなり見られたら恥ずかしいだろ! 仕方ないだろ!

 俺は反射的に両手で股間を隠す。


「え。なに、その可愛い反応……秋斗くんから誘ったくせに……いざとなったらそんな乙女みたいな声出して……」


「い、いきなりだったからビックリしただけだよ! なんで気配消して入ってくるんだよ!」


「気配消したりしてないもん! 普通にしてたから!」


 なんてこった。

 俺は緊張のあまり、脱衣場で水羽が服を脱いでいることにも気づけなかったのか。

 ヤバいぞ。このままだと本当に俺は弟ポジションになってしまう!

 落ち着け。とりあえず、また湯に入ろう。膝を抱えて肌の露出を最低限にしよう。よし。これで防御力アップだ。


「……」


 水羽は無言で体を洗っている。

 俺はその後ろ姿を見る。綺麗な背中。けれど凝視なんかできない。目をそらす。また見る。チラチラと勝手に目が泳ぐ。空気に耐えられない。かといって俺から誘ったのに逃げるなんて、もってのほか。耐える。なにに耐えているんだ? よく分からなくなってきたぞ。


 やがて。

 水羽が湯船に入ってきた。

 全裸ではない。またあの白いバスタオルで体を覆っている。俺はホッとした。が、ホッとしたと悟られたくないので表には出さない。

 余裕を演じなければ。しかし、この状況に置ける余裕とはなんだろう。ジロジロ見たらただ失礼なだけだし。なにもしないのが正解か? でも、それはそれで緊張で固まっているようにも見えるし。

 分からない。

 しょせん俺など、子供二周目の子供ベテランだ。男女の機微などなにも分からない。

 なのに、こんな状況を自ら作った時点で、俺は詰んでいるのではないか……?

 認めよう。俺の負けだ。体が茹で上がる前に風呂から出なければ倒れてしまう。


 と。

 俺が決断するより半瞬早く。


「む、無理! 私の負け! お姉ちゃんっぽく余裕を見せたいのに、これ以上は恥ずかしくて死んじゃう……外で頭冷やしてくるぅぅぅぅっ!」


 水羽はお湯をまき散らしながら勢いよく飛び出した。

 服を着たのか着てないのか分からないほど素早く、ドタバタと脱衣場からも出て行く。


「か、勝ったのか? 勝ったとして、なにに?」


 一人っきりになった俺は自問する。

 虚しい。

 勝っても負けてもなにも得ない戦いもある。そういう教訓だけが残った。

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