拒食症は無自覚のうちの自殺なんだと思う。

酒都レン

拒食症は無自覚のうちの自殺なんだと思う。

拒食症。

食べるの拒む病気。

書くと三つの漢字、説明するととても短い文。

それなのに女の子だけじゃない、人間が意図もせず自然としてしまう自殺。


私も1年前の中学3年生まで、この自殺を無自覚のうちにしていました。


馬鹿な噂、馬鹿な少女、馬鹿な若者、馬鹿な友達。

これが合わさってできた馬鹿な過去です。


戒めじゃないけど、なんで私って鬱になったんだろうなぁって思い返してみて私的には文章にした方が心にしっくりときたので文章にさせてください。


私は小学校2年生まで海外のイギリスに住んでいました。

イギリスと言いますと皆様が知っている通り、まあまずいってほどではないけど、味がほとんどなく、どこか素っ気ない感じの食べ物が多いんです。

特に学校の食堂なんかは、食べること自体が少し苦痛だったのを覚えています。


そんな中、日本に帰ってきた小学3年生の私にとって日本の食文化は衝撃的でした。

味の爆発といえばいいのでしょうか。

イギリスでの淡白で素っ気ない食事から一転、味わい豊かな日本食に触れた瞬間、まるでモノクロだった世界に一気に絵の具で塗られていき、脳がその鮮やかな色彩と味覚の洪水に翻弄されました。


初めて口にした味噌汁の、あの優しくて深みのある風味が舌に広がったとき、私の中の血管が弾けていくあの感覚は今でも忘れません。

お米の一粒一粒がふっくらとして、噛むたびに甘さが滲み出て、その上での焼き魚の香ばしさとその中に隠れた繊細な塩加減が、口の中で踊るように広がっていきました。漬物のシャキシャキとした食感と、ピリッとした塩味が舌を刺激し、それがまた絶妙なバランスで他の味と絡み合う。


食事をして涙が出たのはその時が初めてでした。


色が一気についていき、味の世界が広がっていく感覚は、まるで毎日の食事が新しい冒険のようでした。一口ごとに異なる風味が楽しめる日本食の多彩さに、私は驚きと興奮を覚え、食事が楽しみで仕方なくなりました。


あとあの時は給食も美味しかったんです。

カリッと揚がったコロッケの中からジュワッと溢れ出る旨味、ソフト麺の懐かしい味わい、デザートに出てくる冷たいミルメーク。牛乳に混ぜるだけで、甘くて濃厚なバニラの風味が広がる、あの瞬間が小さな贅沢でした。


毎日朝食をしっかり食べ、昼食も男子に負けないくらいお代わりし、夕食も米を三杯食べていた私は見事にイギリスに住んでた頃からたった一年で


15kgも太ってしまいました。


さらにその当時の私は価値観の違いに苦しむようになりました。

例えば、イギリスでは自分の意見をしっかり主張することが求められ、それが個性として尊重されました。しかし、日本に戻ってからは、周りと調和を保つことが何よりも大切とされ、個性を出すことや、はっきりとした意見を持つことが時に「空気を読まない」と見なされることもありそれで虐められたりもしました。


それでそれがストレスになり、また食べる食べる、食べまくるの悪循環。

それからでしょうか。小5ってすごく不思議な時期っていうか、小4まではみんな男子も女子も普通に絡んだりして仲が良かったのに急に


女子が色づきはじめて、急に「陰口」「仲間外れ」「同調意識」などがかなり色濃くなり今までの普通が、一気に普通じゃなくなりました。

それで、まあ私みたいなちょうどいい的がいじめられる笑


今はなんであんな悩んでたんだろと思っていましたが、当時はすごくきつくて毎日泣いてしまいました。



しかし、その楽しみが次第に薄れていったのはいつからだったのでしょうか。

小学校高学年になり、周囲の目や噂話に敏感になり始めた頃からだったのかもしれません。誰かに何かを言われるたびに、食べることへの楽しみが少しずつ色褪せ、気づけば食べること自体が苦痛になっていたのです。



中学に進学すると、周りの子たちが「ダイエット」や「美しさ」に関心を持ち始める年頃になりました。

イギリスではぽっちゃりとした体型が「健康的で可愛い」と言われていたのに、日本に戻ってきてからはその認識が一変しました。周りの友達は皆、細くてスタイルが良く、それが美しいとされていたのです。


そんな価値観の違いに直面した私は、次第に自分の体型にコンプレックスを感じるようになりました。友達と比べて自分だけがかなり太っているような気がして、周りの目が気になるようになったのです。友達との何気ない会話の中でも、痩せていることが褒められるたびに、心の中で自己嫌悪が膨らんでいきました。


私もその影響を受け、「さすがに痩せなきゃ」と思うようになりました。


拒食症パレードのはじまり、はじまり。


その頃の私には、痩せるために何をすればいいのかよく分かっていませんでした。ただ食べる量を減らせばいいと思い、食事を避けるようになったんです。


最初はちょっと食べる量を減らすだけだったのが、次第に食事そのものを避けるようになり、最終的にはほとんど何も食べられなくなっていました。それでも、その頃の私は「これでいいんだ」「痩せるためには食べない方がいいんだ」と思い込んでいました。


今から見ても馬鹿ですねぇ、本当に笑


食事の量は日に日に減り、体重が減っていくことに一種の快感すら覚えるようになりました。それが「拒食症」だと自覚するには、まだまだ時間がかかりました。

なぜなら私は痩せても痩せたようには見えない体だったからです。


服を脱ぐとガリガリなのに服を着れば、少しぽっちゃりか標準体型くらい。

その時はなんで?なんで?と焦っていましたが

最近インスタを見ていると私は「骨格ストレート」で痩せて見えないとありました。

いやぁそりゃあ拒食症になっても痩せて見えないわけでしょう。

無意味な努力だったんですね笑


拒食症の時って何がきついかって食べれないことよりも、無気力になることによって考えが本当に極端にどんどん暗くなることなんですよね。


意味もなく急に涙が出てきたり、息が辛くなったり、それでどんどんネガティブになっていくんです。自分だけが醜くて、汚らしいものに見えてくるんです。


痩せても痩せて見えなかった私はついに極端なみちに行きます。

「吐く」ということです。

食べて幸福感を感じて吐き、幸福感を感じて吐く。

これの何がいいって、親が心配してくれるんです。

普段は私にあんなに興味がなさそうで仕事に熱中している親が

私を見て哀れんでくるかのように気にかけてくれるんです。

それが嬉しくて嬉しくて、どんどん拒食症に拍車をかけて行きました。


やがて体力がなくなり、日常生活すらままならなくなった中学3年生の夏、ついに身体が限界を迎えました。

倒れて病院に運ばれた時、初めて自分が「拒食症」という病気になっていたことを知りました。それまでの私は、自分が何をしていたのか、どれだけ自分を追い詰めていたのか、全く気付いていなかったんです。


自分の体型が気になり始めたあの日から、私は食べることに対して徐々に強迫観念を抱くようになり、ついには拒食症に陥ってしまったのです。


美しくなるために、自らの体を追い詰め、無自覚のうちに自ら自分の体を壊していく。


これを自殺と呼ばずになんと呼べばいいのでしょうか?


私は病院を退院し、バス停近くのモスバーガーに入りました。

そして「海老カツバーガー」と「ポテト」を注文し、トレイに載せて運び、レジでお金を払って席に座りました。


あの時だけは妙に無気力だったのを覚えています。


焼きたてのカリッとした質感のバンズの表面、熱々の揚げたてで湯気がほのかに見えるサクサクエビカツ。

ただぼんやりとバーガーを眺めていたら涙が勝手にポロポロ出てきたんです。

バンズの柔らかさと海老カツの重量が手に伝わってきたバーガーを持つ手がわずかに震えました。


本当に不思議でした。


嬉しくて感動して泣いてるわけでもない、悲しいから泣いているというわけでもなく、ただ勝手に涙が出ていたんです。


ようやく一口、口に運んだ時には海老カツが大きすぎて、口が開かずに途中でバーガーをこぼしながらもかぶりつきました。


美味しかった本当に。


手が震えていたせいで、ソースが少し垂れてしまいましたが、そのささやかな失敗さえも、どこか愛おしく感じるほどに美味しかった。

海老カツバーガーを食べている時、私は久しぶりに周囲の目なんて気にせずに食べました。


気にする余裕もなかったんです笑


結局バーガー半分、sサイズポテトすら食べきれず、私は家に持って帰りました。

当たり前ですよね、今までまともに食事が摂れていなかった人がこんなに一気に食べれるはずがないんです。


昔はこんなバーガー2つくらい余裕で食べれたのに、当時は半分すら食べれなかった。


でもそれでも嬉しかったです。


幸せだったです。


食事をしている最中窓の外から通りを行き交う人々の姿が見えたのですが、一人一人が何か目的に向かって歩いているんだなぁと思いながらジュースを飲みました。


そのうち自分もまた少しずつ前に進んでいるような気がしてきまして、気づけば自分も普通の生活に戻っていたんです。


今は私はもう全然吐くことすらなく毎朝ご飯を2杯ほどおかわりしています笑

まあさすがにもう太らないように、45kgから46kgを行き来していますが。


自分で自分を追い詰め、食べるという喜びを奪い取ったのは、他でもない私自身だったんです。


拒食症という病気は、単なる「痩せたい」という願望が行き過ぎた結果ではありません。それは、心の中にある何かが崩れ、食べることを拒むことでしか自分を保てなくなってしまう病気だと私は思うんです。


私は食べることの大切さ、そして、自分の体を大事にすることの大切さを学びました。


この文章を書くことで、同じように苦しんでいる誰かが少しでも気付いてくれたらいいなと思います。自分を追い詰める前に、自分を大切にすることができるように。



酒都レン。

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